長嶋茂雄さんの死去を受け3日、落語家の林家三平がスポーツ報知の取材に応じ、追悼した。
三平は父の初代三平さん(80年死去)を通じて知った長嶋さんの訃報を「僕の大好きだった昭和が終わってしまったなと…」と悲しんだ。
長嶋さんが「我が巨人軍は永久に不滅です」の名ゼリフを残した引退の時、当時3歳の三平は後楽園球場で見た光景をいまでも覚えているという。「スタジアムが震える感覚ってこういうものなんだなと感じました」
長嶋さんに言われて覚えている言葉がある。「3は英語で太陽(Sun)なんだよ。君のお父さんは、舞台では太陽のように輝いているね」。背番号「3」のミスターと「三」がつく「三平」を重ねての言葉だった。
スポーツ報知のコーナーで、記者として球場へ取材に通っていた三平。長嶋さんはたくさんの記者に交じる三平をいつもすぐに見つけ、手を振り、声をかけてくれたという。「『ちょっと痩せましたね』『日焼けしましたね』とかすぐ気づいて言ってくれるんです。本当に洞察力の鋭い方でした」
2012年、東京ドームで会った際には「『お久しぶりです。三平です』とあいさつしたら『お父さんはお元気ですか?』とおっしゃられた」といい、「父は1980年に亡くなっているんですが、きっと緊張している僕をなごませようとしてくれたんだと思います」と語った。
最後に会ったのは3、4年ぐらい前、月刊ジャイアンツの取材の際だった。「別の選手の取材だったのですが、車いすで長嶋さんが来られていた。