3日に死去した巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄さん(享年89)の故郷・佐倉市にある「二番町房州屋」は、長嶋さんゆかりのそば店。昨年1月に亡くなった2代目店主・村瀬照夫さんは、長嶋さんと中学3年間同じクラスだった。

店内には今も2人が納まっている中学時代の写真が飾られている。

 生前の村瀬さんから長嶋さんとの思い出を時折聞かされたという3代目店主の妻・真由美さん(53)は「長嶋さんが亡くなった時、仏壇に報告しました。長嶋さんが亡くなったよ、そっちで会えたかな、って」と話す。

 村瀬さんと長嶋さんは、中学1年時にいっしょに野球部へ入った。「シゲ」「テル」と呼び合う仲で、村瀬さんは二塁手、長嶋さんは遊撃手。2人で二遊間を組んでいた。真由美さんは「お父さんは『当時の長嶋はボールは遠くに飛ばすけど、野球自体はうまくなかった』って言ってました」。実際、長嶋さんは佐倉一(現佐倉)高校時代に遊撃手から三塁手にコンバートされている。

 2人で「房州屋」に来ることも多かった。中学生の長嶋さんはお金がなかったため、盛りそばかかけそばを頼んだ。「近くの川でよく遊んでいたと聞きました。長嶋さんは運動能力が高く、泳ぐのも得意だったとか」と真由美さん。

長嶋さんは当時から人を引きつけるパワーがあり、仲間の輪が自然とできていた。

 中学生男子が集えばイタズラするのは世の常。「近くの畑でイモを拝借して、2人で走って逃げたのだとか。長嶋さんは、まぁ走るのが速かったって言ってました。戦後すぐという時代が反映されているような話ですよねぇ」

 村瀬さんの長男で3代目店主の照幸さん(58)は「父は無口だったんで、私にはあまりエピソードを話してくれなかった。もっと自慢してくれたら良かったのに」と苦笑い。親友だったからこそ余計なことはしゃべらない。2人の固い絆が見て取れた。真由美さんは「高校以降は別々の道に進んだため、大人になって会うことはなかったようです。天国で、お酒でも酌み交わしていてほしいですね」と思いを馳(は)せた。(樋口 智城)

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