3日に肺炎のため89歳で死去した巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんの通夜が7日に、告別式が8日に東京・品川の桐ヶ谷斎場「雲」で執り行われた。葬儀委員長の山口寿一読売新聞グループ本社代表取締役社長・読売巨人軍取締役オーナーは通夜でのあいさつで「看護師さんたちもすっかり長嶋ファンになっていました」など病室での長嶋さんの姿を明かした。

以下は全文。

 本日はご多忙の中、読売巨人軍終身名誉監督・故長嶋茂雄の通夜にご参列をいただきましてありがとうございます。巨人軍オーナーの山口でございます。ご遺族と相談して、通夜・告別式は密葬の形で行うことにいたしまして、ご参列いただくのは、ご親族とジャイアンツの関係の方々に限らせていただきました。

 長嶋監督は穏やかに最期の時を過ごしました。先月下旬に肺炎が悪化しましたが、血圧が下がりながらも、そこからお医者様が驚くほどの頑張りを見せて、一度は持ち直しました。

 先月31日に重篤な状態となりましたが、この時も持ちこたえました。今月2日の夜、私がお見舞いに行った時は、眠っているご様子でした。翌日の6月3日、三奈さんのお誕生日の朝、静かに息を引き取りました。三奈さんのお誕生日の日まで頑張ったのだと思います。

 監督は病室で「痛い」「つらい」といった言葉は一切、口にしなかったそうです。例えば、喉の吸引は痛みを伴うようですが、看護師さんが吸引をしていいか尋ねると、監督はいつも力強くうなずいたそうです。

決してくじけない長嶋監督の姿は、看護師さんたちに強い印象を与えたようでした。集中治療室だったにも関わらず、病室には、ジャビットの写真や、オレンジ色の手作りのペーパーフラワーが賑やかに飾られて、監督を励ましました。看護師さんたちが思い思いに飾ったものでした。看護師さんたちもすっかり長嶋ファンになっていました。最期まで、周りの人々に感動を与えてドラマを残しました。

 本日も、ご遺体が東京ドームの周りを1周して、この会場に到着したその時間帯に増田陸と丸と2本のホームランが飛び出したそうであります。私たち巨人軍は、長嶋監督の不屈の闘志を受け継いで、強いジャイアンツになるよう、全力を尽くします。皆様のご遺族への変わらぬご厚情をお願い申し上げまして、本日の御礼のご挨拶とさせていただきます。ありがとうございます。

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