3日に肺炎のため89歳で死去した巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんの通夜が7日に、告別式が8日に東京・品川の桐ヶ谷斎場「雲」で執り行われた。8日の告別式では巨人OBの中畑清氏が弔辞を読んだ。
【弔辞全文】
監督、親父さん、そしてミスター。長い間ありがとうございました。あなたは私の人生の全てです。思い出は山ほどあります。忘れられないのは、伊東キャンプです。監督と二人で交わした個人ノック、忘れられません。ノックの天才ですね。飛び込んでも、飛び込んでも絶対捕れない距離感、それを打ち分ける天才です。捕れない。それに向かって、「この下手くそ、下手くそ」。私はノッカーに「この下手くそ、下手くそ」と言い返しました。たまに打ってくれるサービスボール。
そして、伊東キャンプの最終日、我々を苦しめた馬場平でのランニング。馬場平というのは急な坂道が続いていく。そして折り返し、緩やかな坂道を帰るという一周するランニングコースです。厳しいです。きつかったです。私は最後のチャンスだと思い、篠塚に「シノ、何とか監督走らせろ。1回走らせろ」とけしかけたのは私です。
それに対して、笑顔で挑発に乗ってくれましたよね。ペッペッと両手に唾を吐いて、「よーしっ」と一気にあの坂を登り始めたんです。一気に登り始めて、姿が見えなくなり、しばらくして、帰ってきてくれるのかなと思いましたけど、なかなか帰ってこない。やっと姿が見えた時には、もう息絶え絶え。ケツ割れして、子供がうんこ漏らしたようなそんな感じで、ヘタヘタになって帰ってくる。
その姿を見て、我々選手は長嶋コールを始めました。「長嶋、長嶋、長嶋」。ゴールした時に、初めて親父さん、ご苦労さまでした。そして、雲の上にいた監督長嶋茂雄が、我々のところまで降りてきてくれたのかなという感情を持ちました。
そして、もう一つは、ミスター。この言葉に本当に憧れを感じていました。一度でいいから本人に向かって「ミスター」と呼びたかったです。そのチャンスが、現役が終わり、引退した後に、監督とゴルフを、千葉県のゴルフ場で一緒にさせていただくことがありました。今日がチャンスだ、そう思って、面と向かって言うのは勇気が要ります。背後から背中越しに「ミスター」と声かけたら、「おお、どうした、キヨシ」と満面の笑みで振り返ってくれました。
その時に子供のような気持ちで、私は心臓が止まるぐらい感動し、喜んだことを覚えています。それ以来、「ミスター、ミスター」と呼ばせていただきました。
ミスターの凄さ、いろいろあります。そんな中で、私の中で忘れられないのは、ミスターは万人に対し、誰にでも対し、心優しい笑顔を見せながら対応する、言葉をかける。
本当にありがとうございました。頑張るだけ頑張ってきた89年だと思います。ここで一息入れてください。ゆっくり休んでください。そしてまた、その満面の笑みで国民の前に出てきてくれる夢を見させてください。安らかにお眠りください。本当に長い間ありがとうございました。
◆中畑 清(なかはた・きよし)1954年1月6日、福島県生まれ。71歳。