「手術はすごい」(講談社ブルーバックス、税込み1210円)は、第一線で活躍する肝胆膵(すい)外科医の石沢武彰氏(52)=大阪公立大教授=が、手術の奥深さを丹念に描き出した一冊だ。医学的知識にとどまらず、手術にかかわる戦略、戦術、最新鋭の器具のほか、実際の手術の手順も詳しく解説した。

時にネガティブなイメージで語られてしまうこともある手術、そして医療の「現在地」についても語った。(久保 阿礼)

 外科の“不人気ぶり”が執筆の大きなモチベーションになった。「教授になってから、初めて本当に実感しました。若い人たちが、こんなにも外科に関心を持っていないのか、と」。石沢氏は千葉大医学部卒業後、東大などで20年以上、外科医として勤務し、2022年春に大阪公立大に赴任した。そこで直面したのが、外科医のなり手不足という深刻な現実だった。

 「外科はきつい、危険というイメージで、学生に敬遠されがちだと言われていましたが、実際はもっと根深かったですね。そもそも彼らの選択肢に外科が入っていない。研修医の中には、『外科って何をしてるかよく分からない』という人もいましたね」

 新型コロナウイルスの流行も、その傾向に拍車をかけた。感染対策のため、病院内での飲み会やイベントが激減し、若手医師がベテラン医師と気軽に話せる機会が失われた。「あの先生、面白そうだな」「ちょっと話してみよう」―。そんな偶然の出会いが、進路の決定には大きな意味を持っていたが、その土壌が失われたという。

 「日本の人口は減ってきていますけど、逆に手術の対象になるがん年齢の方は増えていきます。我々の世代には『ブラックジャック』(手塚治虫著)という漫画があって、だいたいみんな感銘を受けて外科医になっているんですけど、今は違うようですね。患者さんと向き合って病気と対峙(たいじ)して、やりがいのある仕事だと若手には伝えたかったですし、外科医とはどういう仕事かを正しく伝える必要があると考えていました」

 そこから生まれた今回の著書は、医師を志す学生や医療関係者向けでもあり、これから治療を受ける患者向けでもある。

 「患者さんにとって、手術を受けるのは痛いし、つらいですよ。だけど、今はこんなに道具も洗練され、管理体制もかなり良くなっています。外科医だけではなく他のスタッフもチームで対応します。やはり、前向きに治療に取り組んでもらえるよう、手術というのはどういった形で行われるのかを知ってもらいたかったですし、製薬会社の方とか、多くの医療関係者の参考になればありがたいです」

 石沢氏は、年間140件の肝臓手術、110件の膵臓手術を行っている。開腹手術から腹腔(ふくくう)鏡、ロボット支援手術まで、多彩な技術を駆使し、患者一人ひとりに最適な治療を提供する態勢を整えている。最新の知見を踏まえ、手術の実態や医療の現状を丁寧に伝えることも医師の役割と指摘する。

 「例えば、保険外のがん治療とか『手術なしで治ります』みたいな情報ってたくさんありますよね。本当に手術しないで治れば私もハッピーですよ。誰もがおなかを切られたくないし、痛くないのがいいですから。

しかし、先入観として手術を否定的に捉えてしまうせいで、誤った情報に引っ張られ、スタンダードではない治療に流れてしまうことは避けたいですね。患者さんが、がんを治すチャンスを失わないために、『安心して治療を受けてください』というメッセージを伝えられればと思います」

 著書でも詳しく紹介しているが、開腹手術に消極的な姿勢に映る今の医学界のトレンドにも疑問を呈す。

 「本書ではあえて、おなかを大きく開けてがんを切除する手術の戦略も紹介しています。昨今の学会のテーマの中心は、どうやって小さな傷で取るかを強調しがちです。でも、がんを治すという目的のためにはそこは本質的なことではなくて、どのように切除するのがベストかを、患者さんごとに考えることが一番重要です。今のような傾向が続いて開腹手術の技術が失われると、開腹して手術すれば治るかもしれない病気を、『内視鏡やロボットでは取れないから、うちでは手術しません』とかいう例も出てくるかもしれません。そういった風潮にもちょっとクギを刺したかったですね」

 特に強調するのが、「大腸がんの肝転移」だ。

 「大腸がんが肝臓に転移すると、ステージ4です。でも、肝臓の転移を全部切除できれば、まだ完治する可能性がある。もう手遅れと思って、治療を諦めてしまう。そういう人を一人でも減らしたいですね」

 多い日には週3~4回の手術をこなし、機内で筆を執ることもあった。外来、手術、会議や学会など忙しい毎日を送る。

体力と精神力が求められるハードな仕事だが、もともと医師志望ではなかったという。

 「もともと文系で、将来は記者になりたかったんです。高校(県立千葉高)時代はラグビー部で花園にも出場しました。現役で大学に落ちて、結構時間ができまして。そこで、自分は何がしたいのかを真剣に考えて、体を使ったり、手を動かす仕事がしたい、と。そこから医師、外科を目指すようになりました」

 最前線で患者と向き合い、命を救ってきた。病気になって不安を感じても、医師を信頼してほしいと願っている。そして、病に一緒に立ち向かうという気持ちが必要だと強調する。

 「手術前には、患者さんの年齢、体調、既往歴などいろいろなことをメンバーと話し合って本当に悩みに悩みます。診療科として『外科の切除がベストだ!』と合意を得て、手術を決断します。患者さんの体力は重要な武器ですし、外科医の技術や道具も武器です。スポーツでは、相手が圧倒的に強くても試合をするけど、手術は命がかかっているので、がんのステージや術式の安全性などで勝率を見積もって、十分に勝算があった時に手術という勝負に出ます。

皆さんには、より安全になっているので、安心して手術を受けてくださいと伝えたいですね」

 ◆石沢 武彰(いしざわ・たけあき)1973年5月7日、東京都生まれ。52歳。千葉大医学部卒業後、肝臓手術の権威、幕内雅敏教授の手術を学ぶため東大医学部肝胆膵外科に入局(同大学院修了、医学博士)。パリで腹腔鏡手術の奇才、ブリス・ガイエ教授に師事。がん研究会有明病院などを経て22年4月より大阪公立大・大学院・医学研究科肝胆膵外科学教授。趣味はスポーツ観戦で熱き虎党。開腹手術からロボット手術まで「ライセンスだらけ」の外科医として、「蛍光ガイド手術」の開発と普及をライフワークとする。

◆石沢氏が選ぶ おすすめの一冊

◆闘争の倫理 大西鐵之祐著(鉄筆文庫) オススメの本は、戦後ラグビー界の名指導者として知られる大西鐵之祐さん(元早大、日本代表監督)の「闘争の倫理」(鉄筆文庫、1650円)です。かなり古い本ですけど、ラグビーとは何かを学ぶことができました。

 ラグビーでは、密集の中で敵のキープレーヤーが倒れてる時に、審判に見つからずに、顔や足を踏んだりすることはできます。でも、スポーツではそういうことはしない、と。一方で戦争は、勝つために何でもやります。

同じ極限状態にあっても人間性が問われるということです。

 汚いプレーをして勝っても楽しくはない。試合で何度もタックルして、倒されて、後半になるともうぼろぼろになって意識も遠のいて…。それでも、一定の暗黙の線引きみたいなところは共有している。それがラグビーなんだ、ということを教えてもらいました。

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