大相撲で史上最多45度の優勝を誇り、日本相撲協会を退職した前宮城野親方の白鵬翔さん(40)が9日、都内で記者会見を行った。同日付で協会を退職するに至った経緯などを説明。

今後について「新たな夢に向かって進み出す。外の立場から相撲の発展に力を尽くしたい」と表明し、国内外に競技の裾野の拡大を目指す「世界相撲グランドスラム構想」を掲げた。

 白鵬さんは晴れやかな表情で角界との別れの日を迎えた。モンゴルから来日して15歳で入門。力士、横綱、親方として過ごした日々を「相撲に愛され、相撲を愛した25年」と回想。9日付で日本相撲協会を退職した決断を「悔いは全くありません」と言い切った。

 退職を考えたのは3月だったという。元幕内・北青鵬の暴力問題で師匠を務めていた宮城野部屋が閉鎖となり、師弟で伊勢ケ浜部屋に移籍してから約1年が過ぎたが、部屋の再開時期が示されなかったことで、気持ちが大きく揺れた。周囲から慰留されたが「本当に悩んだ。最終的には自分自身で決断した」と明かした。

 処分当時、旧宮城野部屋の扱いを巡って所属する伊勢ケ浜一門で複数の案が出た。ただ、白鵬さんによると、元関脇・旭天鵬が師匠の大島部屋は「(同じ)モンゴル出身だから」、元関脇・安美錦の安治川部屋は「新米親方はダメ」と協会に認められなかったという。

転籍先の伊勢ケ浜部屋は今年に入り、元横綱・照ノ富士親方(現・伊勢ケ浜親方)が継ぐ流れとなった。「照ノ富士の下が嫌だ。それは全くありません」と個人的な確執は否定した上で、年下で同じモンゴル出身の師匠の下につく形に「昨年の(協会の)話とズレがある」と違和感を覚えたことも大きな理由だと説明した。

 今後は「世界相撲グランドスラム構想」実現を目指し、新会社を設立して代表に就任する。具体的な活動は決まっていないが、現役時代から開催してきた世界少年相撲大会「白鵬杯」をベースに体重別や男女が参加できる枠組みの大会の実施などを検討。現役時代から交流のある複数の企業も趣旨に賛同しているという。

 「相撲道を極めたい思いは全く変わっていない。外から相撲を世界に広げていくプロジェクトを中心に活動をしていきたい。また、相撲がオリンピック(種目)になることを夢見て力を注いでいきたい」。優勝45回を始め数々の最多記録を打ち立てた大横綱は、新たな人生の壮大な夢を披露した。(林 直史)

 ◆白鵬さんに聞く

 ―旧宮城野部屋の弟子たちへの思い。

 「弟子たちは夏場所があったので(退職は)場所後に伝えた。

無責任ではないかという声も聞いているが、引き続き外から弟子たちを見守り応援していく」

 ―浅香山部屋への転籍や九州場所後の処分解除案が検討されていたが、どのタイミングで聞いたのか。

 「夏場所後半でした。浅香山親方(元大関・魁皇)から聞きましたが、確実な話ではなかった」

 ―2日に協会が発表した文書には「弟子の指導に身が入っていないようだ」との報告があったと記載されている。心当たりは。

 「3月に入ってからの会話だと思います。(部屋の再開時期が見通せない状況で)3月から気持ちの揺れがあり、私の言葉や行動に身が入っていないというのはあったかもしれません」

 ―退職にあたり、現役時代から支援を受けるトヨタ自動車の豊田章男会長からも激励を受けた。

 「世界のトヨタですから。感謝の気持ちでいっぱい。友人だと応援してくださり、後押ししてくれることは非常にうれしく思います」

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