柔道男子100キロ級で2021年東京五輪王者のウルフ・アロン(29)=パーク24=が10日、都内で引退会見を行った。パリ五輪後の昨年9月に現役を退く意向を表明。

今月8日の全日本実業団体対抗大会を最後の試合とした。現役生活を「悔いは全くない」と振り返り、現時点で指導者の道に進む考えは否定。今後の活動については後日改めて発表する。

 涙はなかった。ウルフは昨年9月から公言してきた通り、全日本実業団体対抗大会を終えて引退することを報告。6歳で始めた柔道。「悔いは全くない。完走したという気持ちが強い。僕にとって柔道は人生そのものだった」。3日に89歳で亡くなった巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんの名言「野球というスポーツは人生そのもの」を連想させるフレーズで、競技人生に区切りを付けた。

 引退を考えたのは2大会連続の五輪代表を確実にした昨年2月だった。「五輪が終わった後にやれるだけのモチベーションがない。

パリで終わりと決めなければ頑張れないと思った」。退路を断って臨んだパリ五輪は7位。目指していた連覇は逃したが「精いっぱいの準備をした。試合が終わっても後悔はないと感じた」と決意が固まった。

 内股、大内刈りや“ウルフ・タイム”と称された抜群のスタミナを武器に17年世界選手権、19年全日本選手権、21年東京五輪を制し、男子で史上8人目の「柔道3冠」を達成した。思い出の試合に挙げたのは東京五輪の決勝。「スタミナも技術もパワーも誰にも負けない準備をして、全て出し切ることができた。あの決勝戦は忘れることはない」と感慨に浸った。

 今後の活動は後日発表するとした。現時点で指導者転身は「自分自身が表に立ちたい気持ちが強い」と否定。「人に対して自分を見せること、見られることも好き。そういった全てが選択肢になる」。

現役時代から柔道の普及を考えて積極的にメディア出演するなど、競技の外にも活躍の場を広げてきた。タレント活動か、格闘技の道か。さまざまな選択肢が想像されるのも、ウルフならではだ。(林 直史)

 ◆ウルフに聞く

 ―柔道を通して学んだこと。

 「僕の人生に柔道がなかったらどうなっていたか、想像できない。何かに夢中になれる時間は素晴らしいものだと教えてくれたのが柔道だった」

 ―競技人生を振り返って思い出す瞬間は。

 「一番は(23年杭州)アジア大会の試合後の帰りのバスの中。東京五輪の後は結果が振るわず、引退するのかパリ五輪を目指すのか頭の中で考えて、もう一回頑張りたいと思うことができた時」

 ―減量苦から解放される。

 「きつかった。もう減量しなくていいと思うと気持ちが楽になるけど、誰が見ても『まあ、いい感じだな』と思ってもらえる体形は維持したい」

 ―登録者数12万人のYouTubeチャンネルで今後やってみたいこと。

 「柔道をやっていたからできなかったこともある。やってこなかったことにチャレンジしたい。

バンジージャンプとかは飛びたくないけど…」

 ◆ウルフ・アロン 1996年2月24日、東京・葛飾区生まれ。29歳。6歳から春日柔道クラブで競技を始め、東海大浦安高2年時に高校3冠。東海大を経て、18年4月から了徳寺大職、23年4年からパーク24所属。世界選手権は17年初優勝。19年3位。左組み。得意技は大内刈り、内股。身長181センチ。家族は両親と兄、弟。父・ジェームズさんは米国出身。

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