◆2026年北中米W杯アジア最終予選▽第10戦 日本6―0インドネシア(10日・市立吹田サッカースタジアム)

 サッカー日本代表はホームで、26年北中米W杯アジア最終予選の最後となるインドネシア戦に6―0で完勝した。初招集となったMF佐野航大はA代表デビューを果たし、ボランチでスタメン出場していた兄・海舟とピッチで共演した。

 航大は5点リードの後半16分から、MF三戸舜介に代わって途中出場し、シャドー(1・5列目)の位置へ入った。この日は、兄の海舟もボランチでスタメン出場しており、3歳差の佐野兄弟にとって初となる、同じピッチに立ってプレー。海舟が中盤で相手の攻撃を封じると、弟の航大は積極的にゴールに迫った。アジア最終予選での兄弟出場は三浦泰年、知良の「カズ・ヤス」の1993年以来、32年ぶり。国際Aマッチでは2006年の佐藤勇人、寿人以来19年ぶりだった。

 航大は、18歳で米子北(鳥取)から岡山に加入し、プロ人生をスタートさせた。当時から監督を務めており、今季はクラブ初のJ1でシーズンを戦っている岡山の木山隆之監督は、佐野航と出会った日をこう振り返る。「初めて会ったのは、トレーニング初日。彼が高卒の選手だということは知っていたけれど、ピッチで見た時に一番スキルが高かった」。岡山を含めて9クラブでコーチ、監督として指導経験がある指揮官が見ても、一目で分かる能力だった。抜群のセンスが光る一方で、戦術への理解や考えてプレーする能力はまだ乏しかった。「初めてスタメンで使った試合で、出来が良くなくて前半で代えた。

その後にコーチングルームで話をして、戦術的な話をした時に『ぽかーん』とした顔で聞いていて。ここよりもこっちに行った方が相手は嫌がるよね、とか。攻守でそんな話をすると、目をまん丸にして聞いていたのを今でも思い出す」と懐かしそうに木山監督は笑う。「『今までどうしてきたの?』と聞いたら『感覚で』というようなことが返ってきた。今の子って教えられすぎているというか、肝心なフィットネスや技術が身についていないことがあるけど、感覚でここまでやっていたのかと。逆にすごいなと思って」。約20分ほど会話を交わしたその日を境に、航大のプレーは猛スピードで成長を遂げていった。

 さらに、木山監督が当時の原靖強化部長らに「『航大はけがしない限り外さない』と。このクラブにとって宝みたいなもんだから。そう見えたので、こいつを一人前にできないとクラブとしては良くないくらいの選手だったから『絶対外しません』と約束した」と進言してベンチに入れ続け、元々持っていた技術と身についてきた頭脳のかけ算で恐ろしいほどのスピードで成長。ルーキーイヤーから28試合に出場し、2年目には開幕からスタメンに定着して、8月にNECナイメヘン(オランダ)に移籍が決まった。

 航大自身も、プロの世界に入りたての頃を「あまりサッカーを知らずにプロの世界に入ってきて、1発目で木山監督だったので。

しっかりサッカーを学んで、海外の試合も含めてゲームを本当に嫌になるぐらい見た」と懐かしそうに振り返る。渡欧して2シーズン、今季は25試合で2得点を決める活躍を見せて、初のA代表への切符をつかんだ。目を丸くして戦術の話を聞いていた18歳の頃から、今では「(戦術理解度や頭を使うことは)自分がサッカーしていく上ではずっとテーマになる。これまでも、これからもそう」と話すようになった。得点は生まれなかったが、1年後の本大会に向けて「食い込んでいくために1回選ばれたというのは大きかったと思う。ここでいい経験ができたのでそれを個人としても自チームに帰ってレベルアップしたい」。まだまだ伸び盛りの21歳。天井知らずの成長曲線を描いていく。

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