昨年まで中日の監督を務めた立浪和義さん(55)が14日放送のフジテレビ系「ジャンクSPORTS」(土曜・午後5時)に出演し、中日入団時の恩師・星野仙一監督との秘話を明かす一幕があった。

 今回は「プロ野球の歴史に残る監督 星野仙一、仰木彬を語る会」。

 1988年のリーグ優勝など星野中日を支えた立浪さんは「闘将という言葉が一番ぴったりくる監督でしたね。中日、阪神、楽天3チームで優勝に導いていく。素晴らしい監督です」と話した後、MCの浜田雅功に「やっぱり厳しかった?」と聞かれると「厳しかったですね。アメとムチの割合で言えば、1対20。もちろんムチが20です」と断言した。

 しかし、ここで共演の中日時代の同僚・山本昌さんは「立浪さんは僕ら同世代の中で別格だったですから立浪さんが20って言うんだったら、僕らは2000とか20000です。全然違います」とツッコんだ。

 1987年のドラフト1位での中日入団時について「僕はドラフト2位くらいの評価だったんですよ。当時、南海ホークスの杉浦(忠)監督だけが1位で行くと言ってくれてたんですけど、中日に入る予定のピッチャーがドラフト直前に拒否したんですよ。それでスカウトを通じてですけど、(星野監督が)『中日に来たいなら俺がクジで引いてやる!』と」と秘話を口に。

 南海との1位競合となったが、「本当に引いてくれて、こういう縁になったわけなんですよね」と続けたところで浜田に「厳しそうやし、嫌やなというのはなかったんですか?」と聞かれると「大阪から見る中日の試合というのは(星野監督がベンチの)扇風機をバーンって殴ったり(の映像の印象)があったんですけど、そんなことよりも、やっぱりセ・リーグに行きたいなってのがありましたね」と正直に話していた。

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