中日のレジェンド左腕・山本昌さん(59)が14日放送のフジテレビ系「ジャンクSPORTS」(土曜・午後5時)に出演。恩師・星野仙一監督との秘話を明かす一幕があった。
今回は「プロ野球の歴史に残る監督 星野仙一、仰木彬を語る会」。
1988、99年の星野中日のリーグ優勝メンバーの山本さんは「1988年、僕の5年目のシーズンの話なんですけど、5年目ってクビになるかの瀬戸際なんですね。そこで今シーズン頑張ろうと思ったら開幕投手に指名されたんです」と話し出した。
「投げたら初回に8失点KOされたんです」と寂しげに続けると「その後、(星野監督に)『お前、死ぬまで走っとけ!』と言われて夕方4時からずっと走ってて、9時にマネジャーが迎えに来てくれて。5時間1人で走ってたんです、ずっと」と回顧した。
「その後に(マネジャーに)『星野監督の部屋に行け!』って言われて(殴られるジェスチャーで)やられると思ったんですけど、その時に優しく『お前、今年はもういいからアメリカに留学しなさい』と。それっきりです」とポツリ。
MCの浜田雅功に「ある意味、期待されて行ったんでしょ?」と聞かれると「当時、ドジャースと(中日との)提携が始まって交換留学しなきゃいけないと。でも、今からシーズンじゃないですか。日本で使えるヤツは置いておかないといかんのですよ。そこで体力があって野球の下手なヤツが行けと」と自身が留学メンバーに選ばれた理由を説明した。
「でも、そこで僕はスクリューボールを覚えて、すごく成績が良くなった」と明かすと「そうしたら8月の半ばに実はメジャーリーグから誘いが来てたんですよ。
「だから、もしかしたら僕が野茂(英雄)君よりちょっと前に(MLBに)行っていたかもしれない」と胸を張って話していた。