ラグビー元日本代表SOの松尾雄治さん(71)は現役引退後、長嶋茂雄さんと多くの時間をともにした。唯一無二のスーパースターの飾らない振る舞いは、いつも変わらず。

後編では「太陽のように明るい」と回想した長嶋さんの素顔を懐かしんだ。(取材・構成=大谷 翔太)

 出会いは85年1月のラグビー日本選手権。監督兼SOとして新日鉄釜石を史上初の7連覇に導いた引退試合に長嶋さんが訪れた。松尾さんは初対面でいきなり、「雄ちゃん」と声をかけられた。引退後はプライベートでも長い時間を過ごした。「雄ちゃん、どこか広い所に行きたいねえ」と言えば決まってゴルフ。早朝からミスター節は全開だった。

 「『おはよう! 元気出せ! 松尾雄治!』と。元気がないわけではないけど、眠たい時もあるでしょう? でも長嶋さんは『よし、やるぞ』と言って。そして『また会おうな~。バイバイ』って帰る。長嶋さんに会えば、どんな人でも気分爽快になる」

「太陽のように明るい」と感じた長嶋さんの性格には哲学があった。

 「雄ちゃん、とにかく人に会ったら『こんにちは!』ってあいさつしようと。みんなとその場を明るく、楽しい話をしようとすればいい。長嶋さんはいつもそう言っていた」

 自然と人を笑顔にする。かつて日本トライアスロン連盟の会長を務めた長嶋さんは、静岡での大会でスターターになった。雨の中、誤って傘を持った左手を上げ、右手のピストルを耳元で鳴らしてしまった。おちゃめな切り返しも秀逸だった。

 「撃たれたと思って『ついにやられた』と言うんですよ。ついに、ってどういうことですかと。耳抜きのために『鼻をつまんで、フンッてしてください』と助言すると、『君は本当におバカだなあ。僕がやられたのは耳だよ。鼻なんかいじってどうするんだ』と返されて。参っちゃいました」

 長嶋さんから水戸黄門が好きだとゴルフ中に聞かされたことも。

テレビドラマに熱中するあまり、「どうして助さんと格さんはあんなに強いのかな」と本気で疑問を投げかけられた。「そりゃ、ドラマだもんと思ったけどね」。思い出は尽きない。その人柄に松尾さんは感謝を込めた。

 「長嶋さんのちゃめっ気や、いつもみんなにありがとう、という姿が愛されていた。もう、あんな人に出会うことはないだろうなと思う。思い出は、私の心の中深くに刻み込まれている。もう一度、2人で楽しくゴルフをやりたいですね」

 ◆松尾 雄治(まつお・ゆうじ)1954年1月20日、東京・渋谷区生まれ。71歳。幼い頃からラグビーを始め、明大4年時に大学選手権、日本選手権で優勝。新日鉄釜石では77、79~85年に日本選手権V。82年から監督を兼任し85年引退。

日本代表の通算キャップ数は24。ポジションはSO、SH。2004~12年に成城大で監督。

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