新日本プロレスは23日、都内のホテルで緊急記者会見し柔道男子100キロ級で2021年東京五輪金メダルのウルフ・アロン(29)が新入団することを発表した。日本人五輪金メダリストのプロレス転向は史上初となる。

 記者、カメラマン100人あまりが詰めかけた会見にはウルフ、新日本の棚橋弘至社長、団体オーナーでブシロード代表取締役の木谷高明氏が登壇した。

 記者会見では記者からの質問を受けた。

 ―目標とするプロレスラーは?

 ウルフ「今まだプロレスラーとして練習を開始している段階なのでしっかり土台を作ってから、どういったプロレスラーになりたい、とか考えたいなと思っています。もちろん、見ていてたくさんの人の心を動かしたり、そういったレスラーに心打たれた自分もいたので、そういった方向になりたいと気持ちは奥底にはあるんですが、まずは自分としての土台を作りたい。柔道選手としてそうじゃない部分をしっかりと伸ばしていかなれけばならないと感じています」

 ―オリンピック金メダリストを背負って初挑戦する覚悟は?

 ウルフ「僕自身がオリンピック優勝した競技は柔道なので、一回その気持ちを捨てなければならないというふうに感じています。やっぱりそのプライド、柔道っていう競技はプライドを持ちながらやってきましたけど、これから始めるのはプロレスという競技なので、そこに対して自分は柔道金メダリストなんだっていうふうなプライドを最初に持ってしまっていると、それは僕にとっては邪魔になってしまうので、一回そういうものはすべて捨てて。本当に真っさらな状態で、もうイチでもなく、ゼロからの状態から、しっかりと積み上げて、土台を積み上げて。やっぱり土台を積み上げないと、きれいな建物は作れても、やっぱ丈夫な建物は作れないと僕は思っているので。しっかり丈夫な建物を作れるだけの、土台を作るために、いったんそういう気持ちはすべて捨てるようにしたいと思います」

――最終的にプロレス挑戦する意思を固められたのはいつぐらいなのか?

 ウルフ「大学生の頃から『ワールドプロレスリング』を毎週見るようになりまして。その頃に『いつかはプロレスやりたいな』っていうふうな気持ちもあったんですけど、まだ東京オリンピック目指している段階でしたし、まあ、その後のパリオリンピックもある中で、一旦あのそういう気持ちは自分の心の中にしまっておいたんですね。で、パリオリンピックが終わったのちに、そのしまっておいた気持ちっていうものが前面に出てきまして、その時期に自分の中ではもう決めていました」

 ―新日本プロレスを選んだ決定的な理由は?

ウルフ「僕自身が大学生の頃見ていた、あの『ワールドプロレスリング』が、まず新日本プロレスだったということが一つですね。それが一番大きいですね。

本当にずっと見てきたその日本国内のプロレスってのは、新日本プロレスだったので、プロレスをやるんだとしたら、新日本でやりたいと。それ以外の気持ちはなかったです」

 ―創業者のアントニオ猪木さんへの思いは?

 ウルフ「数々の逸話がある中で、まだまだ僕自身は至らぬ点が多いので、少しでも自分自身も成長できるように、一日一日を大事に生きていきたいなと思います」

 ―実際にプロレスの道場で練習を始めてみて、一番難しいなと思ったことは?

 ウルフ「練習自体は一番最初は5月に行かせていただいて。まだ柔道の引退試合がありましたので、引退試合が終わった6月、今月ですね。今月から本格的に練習のほうやらせていただいております。どうしてもやっぱり柔道家としてのクセが抜けきれてないので、そういったところで動きの違いとかにいま少し、難航している部分ではあるかなと思うんですけど、少しずつやれることも増えてきてますし、そういう一日一日の、なんか自分の成長がいますごい楽しい段階です」

 ―畳での受け身とマットでの受け身の違いは?

ウルフ「前回り受身。前方回転受身に関しては、やっぱり柔道と似たところがあって、動きとしてやれている部分はあるんですけど、本当に後ろ受け身っていうところですね。柔道であれば、そのまま後ろに倒れる受け身になるんですけど、プロレスの受け身だと、少し足を抜くようなかたちになるので。いままでその柔道でしたことがない受け身っていうところで、少し違いがあるかなというふうには感じています。あとはやっぱり柔道最後のほうは、僕けっこう強かったので、あんまり投げられることなかったということで、受け身あんまり取ってなかったので、ひさしぶりにたくさん受け身を取って、柔道を始めた頃を、なんかすごい思い出してます」

 ―今、描いている選手像は?

 ウルフ「まだやっぱり描く段階ではないのかなと思っております。やっぱりこう、しっかりいま土台を作りたいっていう気持ち。やっぱりこう一日一日の受け身がうまくなっていったりとか、できなかったことができるようになっていくっていうところに、いま喜びを感じている段階なので。いま選手像を考えるのではなく、しっかりとすべてが準備できた状態で、考えたいなというふうに思っております」

 ―プロレスデビューは古い柔道ファンは難色を示す方もいらっしゃるかと思いますが?

 ウルフ「僕自身のバックボーンとして、柔道という競技はこれからもあり続けるものなので。

僕は柔道を捨ててプロレスをやるのではなく、あの柔道っていうものはもともと僕がやってたもの、僕自身を作り上げてくれたのも柔道ですし。なので、そこを捨てるではなく、そういうものをしっかりと持ちながら、プロレスをやるんだよっていうふうに、そういう方たちには話したいなと思います」

 ―今回の転向、柔道界の方々に伝えたときの反応は?

 ウルフ「相談っていう面では、まあ僕自身も自分の中で決めてたものなので、その相談っていうものはしなかったです。もう、プロレスやるんだっていうものは僕の中で決まっていたものなので。ただ、そういう話を、あの東海大学の監督の上水(研一朗)先生とか、あの全日本の元監督、井上(康生)先生とかにお話させていただいたときには、快く『いいじゃないか』っていうふうなことをおっしゃってくださったので、僕としてもより一層がんばりたいなと、やっていきたいなと思いました」

 ―心を動かされたプロレスラーの場面で思い浮かぶものは?

 ウルフ「いま横に棚橋選手がいる中、ちょっとたいへん申し上げにくいのですが、2016年の6月の大阪での、内藤(哲也)選手とオカダ・カズチカ選手の戦いに……(棚橋に)すみません、たいへん申し訳ありません(苦笑)。2人の、なんていうんですかね、身体だけじゃなく気持ち、もうすべてがぶつかってる。あの試合を見て心を動かされましたし。やっぱり、そのときは柔道をやってましたけど、モチベーションにはつながってたなと。柔道をやっていく上でものモチベーションにはつながったなというふうに覚えています」

 ―コスチュームで思い描いているものは?

 ウルフ「現段階でそこはあまり考えてはいなかったですけど、やっぱりこうバックボーンとして柔道があるっていうところで、そういったところに柔道の要素をやっぱり少しでも入れられたら、僕としてはうれしいかなと、それは思いますね」

 ―リングネームは?プロレスラーとして練習している技は?

 ウルフ「もう名前がリングネームみたいな名前なので、何かこれをイジるというのはあまり必要ないのかなと僕自身は思ってるんですけど。まあ、ちょっとそれもまだどうなるかわからないというところではあります。で、まだあの練習で、技を練習する段階ではないので。まずは土台として体力だったりとか、いままで使ってなかった筋肉を動かしたりして、全体的にプロレスに慣れる。プロレスができる身体作りをいましている段階です。

もちろん、その柔道技みたいなものを少し生かせる部分があれば、それもやりたいなっていうふうな心の中に、ちょっとした希望はあるんですけど、いまはそれを表に出す段階ではないのかなと感じています」

 ―デビュー戦はシングルマッチとタッグマッチ、どのような形式で試合したい?

 ウルフ「いや、どうですかね、いまの段階で。もちろんあの、できることであればシングルで戦いたいなっていう気持ちは強いですね。そこに向けての準備が必ず必要なので、それができる段階までしっかりと入念に、準備をしていかなきゃいけないなと、あらためて感じています」

 ◆ウルフ・アロン 1996年2月24日、東京・葛飾区生まれ。29歳。6歳から春日柔道クラブで競技を始め、東海大浦安高2年時に高校3冠。東海大を経て、18年4月から了徳寺大職、23年4年からパーク24所属。世界選手権は17年初優勝。19年3位。左組み。得意技は大内刈り、内股。身長181センチ。家族は両親と兄、弟。

父・ジェームズさんは米国出身。

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