柔道男子100キロ級で2021年東京五輪王者のウルフ・アロン(29)が23日、都内で会見し、新日本プロレスへの入団を発表した。同日付で所属契約を結び、来年1月4日に東京ドームでデビューすることが決定した。

日本の五輪金メダリストのプロレス転向は史上初めて。「1・4」としては2004年以来、22年ぶりにテレビ朝日系全国ネットで放送されることも決まった。ウルフは「自分の生きざまを表現するプロレスラーになっていきたい」と誓った。

 もう一つの夢を実現させた。ひげを蓄え、髪をオールバックにしたウルフは「柔道で思い残すことがなくなったら、プロレスをやりたいと思っていた。柔道では東京五輪で優勝という最大の目標を達成し、パリ五輪を最後と決めていた。憧れだったプロレスの道に進ませていただきます」と、真っすぐに前を見つめながら語った。10日に柔道選手として引退会見を行ってから13日後の電撃表明だった。

 決め手はプロレスLOVEだ。「『なぜプロレスを?』と聞かれたら、好きだから」。東海大時代から毎週、テレビ観戦を楽しみにしてきた。7位だった昨夏パリ五輪後、今年6月での現役引退を表明。

その後の進路に迷いはなく、自ら動いて新日本プロレス側に熱意を伝え、複数年契約を結んだ。以前はプロ格闘技転向に厳しい目が注がれてきた柔道界の空気も変わりつつあり、前男子日本代表監督の井上康生氏(47)も「いいじゃないか。ウルフに合ってるよ」と快く送り出してくれたという。

 日本の五輪金メダリストで史上初のプロレス転向とあり、話題性も抜群だ。会見に報道陣約100人が集まり、デビュー戦はプロレス界で最も注目度が高い「1・4」東京ドームの舞台が用意された。同席した新日本の棚橋弘至社長(48)も「業界を担う選手になっていただけると期待している」と力を込めた。

 ただ、ウルフは五輪王者としての肩書にとらわれるつもりはない。「プライドは僕にとっては邪魔。いったん全て捨てて、ゼロの状態から土台を積み上げたい」。既に本格的な練習を開始。柔道とは異なる後ろ受け身の動作に戸惑いながら、基礎から学んでいる。体重も現在の122キロから10キロ以上絞る予定。

デビューまで半年。「1秒1秒無駄にすることなく全力で挑みたい」と謙虚に語った。

 新日本はスター選手のオカダ・カズチカ、内藤哲也が退団し、棚橋も来年1月4日に引退。次世代のエースとしても期待される。「試合前、試合後、全ての生きざまを見せるのがプロレス。ウルフ・アロンという私を表現できるのもプロレス」。熱い思いで憧れのリングに立つ。(林 直史)

 ◆柔道以外の競技からプロレス転向した主な選手 レスリングは多数おり、五輪出場者では鶴田友美(ジャンボ鶴田)は72年ミュンヘン大会出場後、全日本入り。馳浩は84年ロサンゼルス大会出場後に新日に入り、現在は石川県知事。中西学は92年バルセロナ大会出場後に新日に入団した。海外では96年アトランタ大会の米国代表でフリースタイル男子100キロ級で金メダルのカート・アングルがWWF(現WWE)に入り、大人気となった。

 他競技では大相撲からは力道山、ラッシャー木村、輪島、北尾光司、天龍源一郎、維新力、田上明、曙ら。

プロ野球からはジャイアント馬場。ラグビーからは元日本代表の阿修羅原がいる。

 ◆ウルフ・アロン 1996年2月25日、東京・葛飾区生まれ。29歳。6歳から春日柔道クラブで競技を始め、東海大浦安高2年時に高校3冠。東海大を経て2018年4月から了徳寺大職、23年4年からパーク24所属。17年世界選手権、19年全日本選手権、21年東京五輪を制し、男子で史上8人目の「柔道3冠」達成。左組み。得意技は大内刈り、内股。身長181センチ。家族は両親と兄、弟。

 ◇新日本プロレスあらかると

 ▽歴史 1972年1月に日本プロレス(力道山が設立)で活躍したアントニオ猪木が設立。

同年3月に東京・大田区体育館の旗揚げ戦を開催。「キング・オブ・スポーツ」と位置付け、ストロングスタイルと呼ばれる全力ファイトで大人気となる。

 ▽ライバル ジャイアント馬場率いる全日本プロレスと長年、ライバルとして業界をリードした。

 ▽運営体制 05年に株式の約半数をゲーム会社のユークスが取得して子会社に。12年に全株式をカードゲームなどを手掛けるブシロード社に譲渡し、子会社となった。

 ▽最多観客動員 98年4月4日に東京ドームで開催された猪木の引退試合で7万人を集める。

 ▽異種格闘技戦 76年6月26日に日本武道館で「格闘技世界一決定戦」と銘打ち、猪木がプロボクシング世界ヘビー級王者のムハマド・アリと対戦。世紀の一戦は15回フルラウンドの引き分け。

 ▽象徴 グッズも多数販売されている「ライオンマーク」

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