テレビCMでおなじみの「夢グループ」の石田重廣社長が、このほどスポーツ報知のインタビューに応じた。石田社長は、甲子園と歌手を夢見ていた少年時代を経て、他に例を見ない通販会社と芸能事務所の異色の二刀流スタイルを確立。

唯一無二のサクセスストーリーをひもときながら「夢のかなえ方」について語った。また石田社長はこのほど、“母校”である東北高校の理事に就任することが決定。新たな夢についても語った。(宮路美穂)

 いつからか、すっかりお茶の間に定着した石田社長。老若男女から抜群の知名度を誇る。視聴者にとっては親しみやすいキャラクターで「安い、やす~い」で知られる通販の人でもあるが、勝負勘とアイデア力に優れた芸能プロモーターの顔も持つ。

 「夢グループ」は現在、事務所設立20周年コンサートの真っ最中。「狩人と『あずさ2号(旧事務所名)』を作った20年前の自分はテレビ界、メディアに全く知り合いがいなかったところから始まった」と振り返るが、ダイレクトメールや会場販売など、通販のノウハウを営業にも生かし急成長。石田社長は通販会社の経営の傍ら、毎月何本もあるコンサートのスケジュール決め、キャスティング作業もすべて自分でやる。「どういうタイムスケジュールで動いているんですか?」と尋ねると「暇はありますよ」とサラリと答えた。

 「たとえばテレビコマーシャルを作っても、普通は2、3か月準備しますよね。僕にはその準備はいりません」と石田社長は言い切る。

「家に帰って商品の説明や魅力をチェックし、だいたい30分でストーリーを作る。1回で5本ぐらいは作れます。人が2か月かかることが、自分は半日で終わるんです。どういうことかというと、自分は『100%満足できるものを作る』ことを考えない。早くやることのほうが先決。僕は失敗に気づけばすぐ修正できると思うから、さっさと行動して、失敗したらすぐ直すんです」。驚きのスピード感だ。

 所属歌手の保科有里との掛け合いが面白いテレビCMも、社長のひらめきで決めた。きっかけは9年ほど前。夢グループ内で伸び悩んでいた保科を売り出すべく、石田社長は「社長」の肩書の名刺ではなく「保科有里専属マネジャー」というピンクの名刺を持って、地方のテレビ局を回った。

 「担当者が、僕の話を聞きながらタバコを吸い始めたんです。だから『僕もよろしいですか』と尋ねたら、その人がため息をついて『あなた、そんなんだから保科さんのマネジャーしかできないんですよ』と言うんです。

そのとき初めて分かったのは、人はなんでも肩書に左右されて全部シャットアウトするんだなということ。それなら(自社の)コマーシャルで本人を使おうと思ったんです」

 同時に通販商品のクレーム対応で「社長を出しなさい」という苦情の電話が続いたことも転機となった。「ズーズー弁の僕が『石田です』と電話に出ても『本物の社長を出しなさい』って信じない。ならば、自分がいっそ出てみようと思った。(所属していた)松方弘樹さんや小林旭さんにCMをやってもらったとき、彼らは自分たちのかっこいいところを見せようとする。保科さんに関しては存在感がなかったので、本人の魅力を引き出す必要はない。一瞬芸で、『安く』ということをかわいらしく言う。でも彼女には表情の才能があった。瞬間的な悲しい表情とかポーズは、思わず笑ってしまいますよね」

 なんとも言えない味のあるCMで知名度は急上昇。「街で子どもが僕のことをじっと見て『デーブイデー』って言う。最初は意味が分からなかった」というが、今では名コンビとして多くの仕事が舞い込み、CDデビューを果たすまでに。10代で「スター誕生!」に応募し、あえなく不合格だったほろ苦い経験を持つ社長の夢は40年越しに実現した。

 社名にも掲げている「夢」のかなえ方について、石田社長に問うと「夢と目標は違うから。目標という大きいものを持てばいいわけで、夢はとにかく3か月以内に達成できる小さいものにすればいいと思います」と語った。「3か月たった時点で『なんだ、こんなに簡単なことだったら、もう少し大きい夢を持とうかな』と思う。自分の場合には売れるものを探す、というのが当面の夢。目標は、お父ちゃん、お母ちゃんに『頑張ったな』と言ってもらえるような人間でいることです」

 そんな石田社長がいま、目標のひとつに掲げているのがかつての母校・東北高校野球部の再建だ。かつてプロ野球選手を目指して東北高野球部に入部した石田少年だったが、1年生の時に別の部員が起こした不祥事で対外試合禁止になったことを機に、甲子園を断念し自主退学。別の高校に転校した。苦い記憶だが「でも50年たったいま、なんと僕は東北高校の理事になるわけです」。耳を疑ったが、本当だった。関係者によると26日に正式に理事就任が承認された。今後は経営のアドバイスなどで力を貸すとともに野球部のバックアップもするという。

 「東北高校をもう一度甲子園の常連校にしたい。

そして僕はいつか勉強して野球部の部長(責任教師)を目指したい。歌手になることもかなったし、部長としてベンチにいたら目立つでしょう? 高校のアピール、夢グループのアピールになるし、東北高校の生徒たちにもいろんな話をしてあげたい」。もちろん教員免許を取ることは簡単なことではないが、高校野球を盛り上げることを通し、かつて断念した自身の夢の続きを見ようとしている。

 「僕は通販だけをやっていたら、それでおしまいだった。商品を売る、売らないで終わっていた。いろんな芸能の仕事をやらせてもらって、たくさんの大物の方たちと対等に仕事をさせてもらうことで夢グループが注目された」と石田社長は振り返る。「大きい失敗もしてきたからこそ、大きい成功もある。『もうおしまいだ』と思ったとき、おしまいにしたくないからもう少し頑張ろうと思ってここまできました」

 新しい夢をその都度見つけながら、新しい自分に出会う。「僕の人生は終わっていないし、会社がある以上、かっこつけている場合じゃない。僕の成功は、ひとつの仕事が終わって、これ以上の仕事をしようと思わなかったときに初めて成功だと言えるんだと思います」。石田社長は挑戦を続ける。

 ◆石田 重廣(いしだ・しげひろ)1958年、福島市生まれ。

19歳で上京し、アルバイト生活を経て広告会社を起業。30代で中国・香港から商品を輸入販売する通販会社「ユーコー」を設立。2003年、芸能事務所「あずさ2号」を設立し、06年に「夢グループ」に社名変更。通販と芸能事務所をメインに事業を展開し、関連企業を含めると年商は約200億円にも成長した。

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