◆JERA セ・リーグ 巨人4―2中日(30日・東京ドーム)
巨人・田中将大投手(36)が日米通算200勝(日本122勝・米国78勝)を達成。田中将が中学時に在籍した宝塚ボーイズで監督を務めた奥村幸治さん(53)が、「投手・マー君」の誕生秘話を明かした。
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初めて練習に来た時はグラブを忘れてきました。「すみません」と涙を浮かべていた子が、メジャーリーガーになって日本を代表する投手になって。中学1、2年の時は想像できなかった。でも、中3の夏に「この子はドラ1になるかな」と思いました。
宝塚ボーイズには「捕手がしたい」と入ってきて。1つのポジションで可能性を潰すのはもったいないと思い、中1秋に「投手もやろう」と。その背景には、野村克也さんがいます。僕は元投手で、オリックスで2年間、打撃投手をしていた。もう一回、現役でしたくて阪神とヤクルトの入団テストを受けた時のこと。当時ヤクルトの野村監督から「走り方いいな。ウォーミングアップの姿がいいわ。
自転車に乗っている時はその辺の中学生。ただグラウンドに入った瞬間、スイッチが入って目つきが変わるんです。そして、肩関節まわりがすごく柔らかくて制球がいい。指先が器用で暴投を放らなかった。最初は直球とカーブだけだったけど、三振を取れないと、中2で「スライダーを教えてください」と自分から来ました。僕が昔、スライダー投手で、教えたらすぐに曲がって驚いて。
僕はオリックスでイチローの打撃投手でした。イチローは他の選手を見ながらいろいろなことに気づく。20歳で既に「最近あの人、練習しすぎですよね。絶対疲れてきますよ」とか。客観視しながら自分に必要な努力ができた。高校時代の練習を聞いても「寮で必ず10本素振りをした。それを365日。投手をイメージして練習してました」と。将大も、キャッチボールをめちゃくちゃ大事にしていた。フォームが今どういう状態かを感じながら練習する。