プロレスリング・ノアは11日に両国国技館で「WRESTLE ODYSSEY」を開催する。

 メインイベントはGHCヘビー級王者・KENTAへ秋の最強決定戦「N―1 VICTORY」を初優勝した「T2000X」チェアマンのマサ北宮が挑戦する。

北宮は、8・3神戸サンボーホール大会で黒の軍団「T2000X」へ電撃加入し「チェアマン」を名乗った。スポーツ報知は、デビュー14年、ノア所属から11年目で初の最高峰奪取へ挑む北宮を直撃。決戦を前にヒールターンした真意を激白した。

 9・23後楽園ホール。「N―1」優勝戦でジャック・モリスを破り覇者となった北宮はマイクを持って超満員札止めの客席へ言い放った。

 「会社の言いなりになって馬車馬のように働いても、結果なんか出ねえんだよ!そんなもんシカトしてな」

 この言葉は、観客へのメッセージよりも自らへ向けた本心だった。

 「会社の言いなりになって身を粉にして働いても結果が出ないっていうのは、まさに俺のことだよ。選手会長をやれと言われ、スカウティング部長もやれと言われ、試合がない日もセミナー開いたり、それに向けて稼働していた…それもすべてタダ働きでな。そんなことをやっても結果は出ない。だったら、自分の中にある正義を貫く―そう決心した」

 健介オフィスから2014年4月にノアへ移籍。以後、現在も保持するGHCタッグ王座は8度奪取したが、最高峰のGHCヘビーは16年9月23日に杉浦貴への初挑戦から8度も挑んだがすべて失敗した。その裏側で会社に命じられ「選手会長」「スカウティング部長」の裏方を務めた。

ノアのためにリング内外で「身を粉にして働いた」がシングル王座は、GHCヘビーはおろか、ナショナル王座も奪取できなかった。もちろん、自らの実力不足はある。しかし、それ以上に会社のために働いたことで肝心のファイトに支障をきたし結果が出なかった。

 「それまでの俺は自分がやりたいことを我慢してノアに尽くしていた。だけど、我慢は良くないってことに気がついた。俺が思う正義を貫くためにチェアマンとしてノアを支配するべくT2000Xへ入ったんだ」

 理由はもうひとつあった。それは「マサ斎藤」だった。

 「T2000Xの源流をたどるとオリジナルは、マサさんなんだ」

 2011年に「健介オフィス」でデビューした。そこには「選手アドバイザー」としてマサ斎藤がいた。1964年の東京五輪レスリング日本代表で出場した明大を卒業後の65年に「日本プロレス」へ入門。翌66年に豊登とアントニオ猪木が設立した「東京プロレス」へ移籍も半年あまりで崩壊。以後、単身渡米し本場のマットでその実力と強さでトップヒールに駆け上がった。

リングを離れれば、温厚な人柄で多くのレスラーから絶大な信頼を得ていたレジェンド。北宮は、入門直後からマサの薫陶を受けレスラーとしての魂を注入された。

 「マサさんに一番よく言われたのが『プロレスは闘いだ』っていう言葉だった。俺たちがやっているのは闘いだ。対戦相手との闘いもあるし、お客との闘いもあるし、知らない世間との闘いもある。『全部が闘いだ』と言ってた。プロレスは『エンターテインメントと言われているけど根源にある闘いを忘れるな』とず~っと言ってた」

 マサの魂を受け継ぐべく許しを得て2016年4月にリングネームを本名の「北宮光洋」から「マサ北宮」へ改名。コスチュームもマサと同じ「JAPAN」と書かれたロングタイツを着用。マサの必殺技「監獄固め」、ひねりを加えたバックドロップを「サイトースープレックス」と命名し、闘いを通じ敬意をささげてきた。

 そして「T2000X」の源流は、北宮が明かしたように「マサ斎藤」にある。「T2000X」は、蝶野正洋が99年に新日本プロレスで結成した「T2000」をオマージュし昨年10月にスタートした。「T2000」は、蝶野が97年に米「WCW」で席巻していたハルク・ホーガンが率いる「nWo」に加入しその後、発足した「nWoジャパン」に由来する。

この蝶野と「nWo」を結びつけたのがマサ斎藤だった。「マサさんの顔がなかったらnWoはなかった」と蝶野が公言するようにマサの米国マットでの絶大な信頼。そしてホーガンとの強いパイプが蝶野の「nWo」入りを実現した。

 つまり、マサ斎藤の存在がなければ「nWoジャパン」はなく、その後の「T2000」もない。「T2000X」は、「マサ斎藤」へたどり着くのだ。偉大なるレジェンドは、2018年7月14日、パーキンソン病のため75歳で亡くなった。真夏の告別式。出棺で北宮は、ひつぎを担ぎ感謝をささげた。

 「そういう意味で今の俺は、運命だったかもな」

 北宮は、つぶやいた。そして「マサ北宮」へ改名する時に告げられた言葉を明かした。

 「マサさんは、『俺の名前は好きに使っていい』と言ってくれた。そして、こう言われたよ。

『100万人に1人のレスラーになれ』と」

 100万分の1になるために決断した「T2000X」だった。同時に心に秘めていた師匠へのあふれるオマージュを解き放った。ヒールターンで師匠・佐々木健介の必殺技「ストラングルホールドγ」をフィニッシュホールドで使っているのだ。モリスとの「N―1」優勝戦では、健介の得意技「フェイスクラッシャー」もさく裂し勝利につなげた。

 「大尊敬している師匠の技を俺が使うのは、あまりにもおこがましいと思っていた時期もあったのかもしれない。ただ、この業界で(師匠の技を)使えるのは俺ぐらい。佐々木健介の技は大事にしている自負はある。だからこそ、フィニッシュにしている。ただのまねごとじゃない」

 10・11両国。9度目のGHC挑戦。王者のKENTAは、言うまでもなく小橋建太を師と仰ぐ。2人の師匠は2005年7・18東京ドームで合計200発のチョップでドームの天井を揺るがせた。

 今も語り継がれる伝説マッチから20年後に現実となった「KENTA vs マサ北宮」。互いに師匠への思いを秘めながら先人を超える歴史への挑戦でもある。旗揚げ25年。プロレスリング・ノアの過去、現在、未来…すべてを語る上でこれほどふさわしいメインイベントはない。

(敬称略。取材・書き手 福留 崇広)

 ◆10・11両国大会全対戦カード

 ▼GHCヘビー級選手権試合

王者・KENTA VS 挑戦者・マサ北宮

 ▼GHCジュニアヘビー級選手権試合

王者・高橋ヒロム VS 挑戦者・Eita

 ▼スペシャルタッグマッチ

棚橋弘至、清宮海斗 VS 丸藤正道、拳王

 ▼スペシャルシングルマッチ

藤田和之 VS 鈴木みのる

 ▼GHCジュニアヘビー級タッグ選手権試合

王者組・ドラゴン・ベイン、アルファ・ウルフ VS 挑戦者組・ダガ、小田嶋大樹

 ▼タッグマッチ

杉浦貴、シュン・スカイウォーカー with OZAWA VS 遠藤哲哉、HAYATA

 ▼NOAH vs WWE/NXT

ジャック・モリス、佐々木憂流迦 VS チャーリー・デンプシー、ハーレム・ルイス

 ▼タッグマッチ

ガレノ、晴斗希 VS 征矢学、菊池悠斗

 ▼シングルマッチ

宮脇純太 VS カイ・フジムラ

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