巨人のライバルだった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第10回は元大洋の遠藤一彦さん(70)だ。
子供の頃はやっぱり長嶋茂雄さんのファン。テレビの中で見る長嶋さんは違ったね。派手さ加減といい、活躍する場面といい、他の選手が地味に見えちゃう。カッコいいという感想しか出てこなかった。
初めて長嶋さんに声をかけられたのは、2年目で初出場したオールスター。第1戦の大阪から第2戦の名古屋へ新幹線移動。その駅のホームだった。全セのコーチで帯同していた長嶋さんが、あの独特の裏返ったような甲高い声でいきなり「遠藤クン、君は独身かね?」。跳ね上がるような思いで「はい!」と返事した。
巨人戦では通算21勝した一方で37敗もしている。それでも一度、柴田勲さんと飲んだときに、「お前はよう放ってきたよ。たくさんやられた記憶しかないよ」って言われたことがある。大きく負け越してはいるが、別に汚点でも何でもない。巨人戦は、登板間隔を詰めてでも、必ずと言っていいほど投げさせてもらっていた。数字的には期待に応えられなかったかもしれないが、チームにとっては柱といえる存在だったのかなとは思う。
通算134勝は、江川の135勝と一つ違い。理想として追い求めてきた投手に一つだけ負けている、追い越していない。それって、なにか自分の中では最高なんだ。うまく表現はできない。どう言葉にしても周りの人には通じないであろう、私の中だけの思いだ。
彼が80、81年、私も83、84年に連続最多勝。プロ野球選手になると考えてもいなかった私が、江川に近づけたという満足感はある。
彼が87年に引退を表明したのは、ちょうどアキレスけんを切って入院しているときだった。寂しかったね。その年13勝もしたのに辞めるわけだから。(引退の要因とされた)彼の肩の故障のことは分からないけど、何か方法はあったんじゃないだろうか。
これまで彼とじっくり話す機会を持ったことはない。もしそんな日が来たら話してみたいのは…もうちょっと長くできなかったのか?ってことかな。
◆テニスボールが生んだフォーク
遠藤さんの代名詞は鋭いフォークボール。ビール瓶を2本の指で挟んで鍛え上げたと言われているが…。「あれは飲み屋で、こうやって挟んでビールつげるよ、って遊んでただけ(笑)」
もともと「全てにおいて虚弱体質だった」という。あるとき、本塁打を打った先輩の松原誠さんを出迎えて握手したところ「お前、握力ないな。
「最初は30キロくらいしか握力はなかったんじゃないかな。テニスボールで鍛えて45キロくらいまでは上がりましたかね」。伝家の宝刀は地道に磨かれた。
〇…遠藤さんが戦ってきた巨人は、V9の後、新たな黄金時代をつくろうという過渡期にあった。そのライバル球団をひとことで表すならば「『スター軍団』ですかね。スターをつくらなくちゃいけないという点で、ジャイアンツは大変なんじゃないかな。やっぱり長嶋さんや(原)辰徳、松井秀喜なんかがいた時代は強かったし、そういうスターがいないと弱いのかなとは感じるね」。
【取材後記】 意外に思えるが、遠藤さんはプロ野球選手になりたいと思ったことは一度もないという。「中学生のときには、建築家になりたいと思っていた。でも、先生にお前は数学が弱いからダメだぞ、って言われてね」。
プロ入り直後のキャンプでは、当時の監督にいきなりサイドスロー転向を命じられた。2軍の投手コーチがうまくかわしてくれて事なきを得たが、「たぶん横にしていたら2年くらいでクビでしょうね」。本人も含め、誰も正確に才能という鉱脈を把握できていなかった。それはすんでのところで守られ、最後は江川卓というライバルによって最大化された。(野球デスク・太田 倫)
◆遠藤 一彦(えんどう・かずひこ)1955年4月19日、福島・西白河郡生まれ。70歳。学法石川から東海大を経て、77年ドラフト3位で大洋入団。82年から6年連続2ケタ勝利。83年は18勝、16完投、186奪三振(いずれもリーグ最多)で沢村賞。84年も最多勝。92年10月7日の巨人戦(横浜)を最後に引退。










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