日本を代表する俳優で、映画「切腹」や黒澤明監督「影武者」などに主演し、主宰する「無名塾」で役者の後進育成にも力を注いだ文化勲章受章者の仲代達矢(なかだい・たつや、本名・元久=もとひさ)さんが8日午前0時25分、肺炎のため都内の病院で亡くなった。92歳だった。

昭和、平成、令和と3つの時代で第一線に立ち続けた。葬儀は関係者で営む。お別れの会などは予定していない。

 73年にわたる役者人生の幕が下りた。この日午後、無名塾(東京・世田谷区)の入り口には仲代さんの遺志で香典などを辞退し、取材も受けない旨の貼り紙がされた。所属事務所関係者によると、仲代さんは1、2週間前にけがをして入院。その後、肺炎を併発したという。養女で歌手・仲代奈緒(51)にみとられて旅立った。今年5月開幕の石川・能登演劇堂での「肝っ玉おっ母と子供たち」への主演が最後の仕事となった。

 東京・目黒生まれ。8歳で父を失い、戦中戦後は貧しい中、食事の回数を減らして、映画館に通った。「いじめられて泣いていた内気な子が人前で演じるとは。

学歴もなく、食うためにはボクサーか役者しかなかった」と振り返っていた。

 運命が変わるのは大井競馬場でアルバイトをしていた19歳の時。「お前は顔がいい。役者になったらどうだ」。20代半ばの男性に言われた。「その人が俳優座養成所の受験料も出して試験会場まで車で送ってくれた」。この恩人にお礼がしたいと願い続けたが、会えずに終わった。

 1952年養成所に入り、役者人生は始まる。55年に俳優座に入り、早くから大型新人と目された。映画デビューは養成所時代の黒澤明監督「七人の侍」(54年)。歩くだけの浪人役に6時間のダメ出しを受けた。しかし「用心棒」「影武者」「乱」など計6作の黒澤作品に出演。

長身で彫りの深い顔立ちから表現される線の太い、リアリティーのある演技で存在感を発揮し、俳優の地位を確立した。2015年文化勲章を受けた。俳優では高倉健さん(14年死去、享年83)以来だった。舞台、ドラマでも多くの代表作を持つが、ベストワンを聞かれると必ず小林正樹監督「切腹」と答えた。

 75年には恭子夫人(96年死去、享年65)と私財をなげうち無名塾を創設し、役所広司、若村麻由美らを育てた。その一方で、自身の舞台公演を続け、生涯現役を貫いた。

 裏では毎日のルーチンがすさまじかった。90歳になっても、1時間の階段の上り下り、ストレッチを続けた。また低音でよく響く美声のために「声帯も筋肉」の考えで、発声訓練も欠かさなかった。「大きな声、高い声、中音、低音。うちじゅうを駆け回りながらやってますよ」。命を削るようにして自身を追い込んでいた。

一方で酒を愛し、晩酌が日課だった。「昔7升飲んだことも。酔っ払ったことがない」が自慢だった。

 入院する前は、来年の舞台に向けてけいこに入っていた。無名塾で成長した若者を見れば「僕も負けていられない。悔しさがこみ上げる」と役者としての闘争心が失われることはなかった。

 ◆仲代 達矢(なかだい・たつや)本名・仲代元久。1932年12月13日、東京・目黒生まれ。52年俳優座養成所に第4期生として入所。55年劇団俳優座に入団し「幽霊」で初舞台。小林正樹監督「人間の條件」「切腹」「怪談」、黒澤明監督「用心棒」「天国と地獄」「影武者」「乱」など。芸術選奨文部大臣賞、紀伊國屋演劇賞、読売演劇大賞、仏文化省から芸術文化勲章シュバリエ、カンヌ映画祭、ブルーリボン賞など国内外で受賞多数。

75年に宮崎恭子夫人と無名塾を設立。96年紫綬褒章、2007年文化功労者、15年文化勲章。

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