「週刊ベースボール」の創刊4000号を記念してベースボール・マガジン社は10日、東京・中央区の日本橋公会堂でトークショー「末次利光×高田繁×堀内恒夫 語り継ぐ“ミスター”とV9」を開催した。

 ON砲とクリーンアップを組んでいた末次氏は5番の重責を吐露。

「プレッシャーは大きかったけど、チャンスで歩かされた長嶋さんから『スエ、後は頼んだぞ』と言われると少しプレッシャーは和らいだ」と振り返ると、4番以外すべての打順に座ったという高田氏は「ONはまず歩かされるので、5番が一番イヤだった。1、2番の方が楽だった」と苦笑い。7年連続ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)を受賞するなど守備には定評があった堀内氏(スポーツ報知評論家)は「三塁寄りのピッチャーゴロが来ると長嶋さんに『どけどけ』と言われていた。『三塁手の見せ場なんだ』と捕らせてもらえなかった。オレもうまいんだけどな」と懐かしんだ。

 3人ともミスターの打席での集中力を絶賛すると同時に、笑いのネタも披露。「ある日の試合後、車のキーがないと言い始め、選手のユニホームが入った洗濯物などをすべてひっくり返しても出て来なかった。しばらくすると『あっ、オレ今日は車じゃなかったんだ』」(高田氏)と場内の笑いを誘った。堀内氏は長嶋監督のヘッドコーチだった時代を振り返り、エンドランやバントのサインを出すとなぜかボール球で外されたという。「サインがバレているのかと思ったが、キヌさん(広島・衣笠祥雄)が、そりゃ監督が『右に打てばいいんだ』『ピッチャー前に転がせばいいんだ』とベンチで言っていたら誰でもわかるよ」と言われ、苦笑いするしかなかったという。

 V9時代の日本シリーズは「負ける気がしなかった。西宮の第6戦(1969年)など試合中に選手たちは翌日のゴルフの予約をしていた」(高田氏)ほどで、9連覇中の日本シリーズは第7戦まで戦ったことがなかったことを強調した。

 最後には「巨人の伝統とプライドを大事にして頑張ってほしい」と3人が阿部巨人へエールを送った。MCは日本テレビアナウンサーの村山喜彦さんが務め、プロ野球OBなどを迎えたベースボール・マガジン社の記念企画はこの日の第5回トークショーで終了した。

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