スポーツ報知では、巨人のドラフト1位・竹丸和幸投手(23)=鷺宮製作所=のプロ入りまでの軌跡を全3回で連載する。崇徳(広島)、城西大時代はほぼ無名だったが、社会人で一気に飛躍。

第1回では、鷺宮製作所の幡野一男監督(56)が「マッチ棒のような足だった」というほど細身だった左腕が、ドラフト1位候補に躍り出るまでの成長ぶりをたどる。

 まばゆいフラッシュを浴びながら、竹丸は目を輝かせた。10月23日のドラフト会議。社会人2年目で巨人から単独1位指名を受けた。「自分がこんなドラフト1位という高い評価を頂けてうれしいです」。ドラ1なんて、夢のまた夢だった。これまでの野球人生を振り返り、実感を込めた。「流れに身を任せてきた野球人生でした」という無欲な男は、恩師、仲間、環境に恵まれ、急成長を遂げてプロへの扉を開いた。

 城西大1年時の体重は55キロ。3年時に複数の選手を視察する中で初めて竹丸を見た鷺宮製作所・幡野監督は「本当にマッチ棒みたいな足だった。筋肉はあるの?ってぐらい、ひょろひょろでした」と述懐する。線は細い。

体力もない。だが、マウンドに上がると、どんな場面でも波をつくらず淡々と投げていた。「手が長くて投げ方が柔らかい。コントロールがいい。いつも同じような感じで出てきて、ひょうひょうといつも同じように投げる。この子はたいしたものだな~」と目を奪われた。未完のサウスポーに惹(ひ)かれた幡野監督は城西大の村上文敏監督に「僕に預けてください。絶対に育てます!」とオファー。ここから“3か年計画”が始まった。

 3年間で目指したのは、社会人で通用する投手。大卒ながら伸びしろ十分の竹丸は、瞬く間に成長していった。全体練習メニューの真ん中にウェートトレーニングを組み込み、まずは筋力アップ。

入寮から3か月もしないうちに目に見えて体が大きくなるのを感じた。「社会人になって大きく体は変わりましたね」というように、体重は8キロ増えて75キロになった。

 一方、急激な進化によって体が悲鳴を上げた。成長途上の筋力で出力が出たことで、体に違和感を感じるようになった。「練習が足りないからだ」と受け止めた。昨夏の都市対抗には出場せず、体の深層部にあるインナーマッスルを鍛えた。最前線で戦う仲間とは別に、一人きりで地道なトレーニングを積む毎日。監督から「キツイだろ!」と声をかけられたが「僕には合っています」と即答した。欲はないが、一つのことに地道に取り組む作業は、竹丸の性格にマッチしていた。

 社会人2年目を迎えた今年の春先。幡野監督から聞かれた。「おまえの夢はなんだ? プロになるとかメジャーに行くとか、ないのか?」。

「特にないですかね」。自身の成長は感じていたが「マッチ棒」だった男にプロの舞台はまだ想像できなかった。評価が飛躍的に上がったのは、3月のJABA東京大会。JFE東日本との準決勝に先発して8回2失点で初優勝に貢献。スカウトの注目度を感じた。「もしかしたら、プロにいけるのかな」。大学時代に140キロ前後だった球速は、最速152キロに。無限大の伸びしろ、地道な練習を継続できる忍耐力が、当初の3か年計画より早い2年目でのドラフト1位指名を実現させた。数年前を思えば、竹丸自身も信じられない大出世。ただ、城西大時代は、まっさらなマウンドに立つことさえかなわなかった。(水上 智恵)=つづく=

 ◆竹丸 和幸(たけまる・かずゆき)2002年2月26日、広島市生まれ。23歳。

崇徳では2年秋に初めてベンチ入り。3年夏は背番号10で4回戦の広島国際学院戦に先発するも、4回1失点で敗退。城西大では2年春に2部リーグデビュー。4年秋に1部に昇格して3勝1敗、防御率1・52(リーグ2位)の成績を残す。鷺宮製作所では今年3月のJABA東京大会で初優勝に貢献。持ち球はチェンジアップ、スライダー、カーブ、カットボール。179センチ、75キロ。左投左打。

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