首都大学野球連盟の学生委員長としてリーグ戦の運営に青春を燃やした東海大の根本慎太郎マネジャー(4年=茨城)は、野球の競技経験がない中、スタッフとして4年間を大好きな野球にささげた。後編では、名門野球部での日々を振り返る。

【前編「硬式テニス部員が『世界のKOBAYASHI』を見て人生激変 プロ続々輩出の名門野球リーグ学生委員長になるまで」からの続き。前後編の後編】(編集委員・加藤 弘士)

 東海大入学後、人生初の寮生活が始まった。1年生の頃の業務はどのようなものだったのか。

 「掃除から始まり、雑務というか、何でもやるっていう感じでしたね。野球部に入部できた幸せ感もありました。当然、厳しさも味わいながらです。掃除では最初の頃、気配りや目配りが足りず、期待に応えられなくて怒られたこともありました。でも怒られただけ、徐々にできるようになってくる。絶対に辞めたくはなかったんで。マネジャーとしてのあるべき姿を教えて頂きながら、学んでいった感じです」

 首都大学野球連盟は学生主体のリーグ運営が特徴的だ。マネジャーとしてチームをサポートする一方、連盟への関わりも年を追うごとに、深まっていった。

 「学生主体に首都大学リーグの魅力があると思います。

自分たちがやっていることが、そのまま試合運営に出る。スコアもそうです。自分たちがミスしてしまうと、大きな影響を及ぼしてしまう。いい点を挙げれば、どうやったらお客さんを呼べるか、もっとリーグを盛り上げられるか、企画を出せるし、それが通ります。あるスカウトさんから『首都は見ていて楽しい』と言って頂けたのが、うれしくて。心地よい、温かい、足を運びたくなる雰囲気作りを心がけました」

 2年生から3年生になるタイミングで、元巨人スカウト部長の長谷川国利さんが監督に就任した。根本が東海大に進学するきっかけとなった人だ。自ら志願して監督付マネジャーとなり、寝食をともにした。

 「ご飯を一緒に食べたり、一緒にいる時間は部員の誰よりも長かったと思います。自分は監督が大好きなんです。仕事に対して繊細だったり、人に対してリスペクトがあるところ、経験が豊富で人望が厚いところ…一方で豪快な部分もあって、第二のお父さんみたいな感じで接して頂きました。いろんなことを教えてもらい、自分の財産というか、感謝しかありません。

本当に尊敬できる方なんです」

 チームは今年6月の全日本大学野球選手権でベスト4に進出。同期からは主将のショート・大塚瑠晏(るあん・4年=東海大相模)がドラフト3位で日本ハムに指名された。

 「部屋で一緒に話したりとか、夜食を食べたりとか。口数が多い方ではないんですが、背中で引っ張る、本当にいいキャプテンです。瑠晏がいるといないでは、シートノックが全然違う。本当に引き締まるんです」

 2017年、茨城中2年の時に見たWBCに衝撃を受け、野球に魅了された。茨城高2年から野球部のマネジャーになり、計6年間、チームやリーグを支え続けた。今年6月にはうれしい出来事があった。東海大OBの原辰徳さんと食事をする機会に恵まれた。根本が野球を、巨人を大好きになった頃、チームを束ねていた名将だ。

 「原さんがその時に、おっしゃっていた言葉があるんです。『俺はまだ青春まっただ中だ』って。

今でもゴルフに熱中されていますよね。自分も原さんのように、いつまでも若い気持ちで、まだまだ上り詰めていきたいなと思います」

 卒業後は一般就職する。それでも野球は根本にとって、大切なものであり続けるという。

 「自分からは切り離せないもの。人生を変えてくれたものでもありますので。長谷川監督、井尻監督、(茨城高の)岡部(将也)監督、綿引さん、そして両親にチームメート、一緒に頑張ったマネジャーのみんな…いろんな方に支えられ、助けられて充実した日々が過ごせたと思います。ご縁に感謝したいです。選手経験がない人でも、野球にとことん関われるのが、マネジャーの魅力だと思います。野球が好きな高校生のみなさんには、ぜひ大学入学後のやるべきこととして、オススメしたいですね」

 一生懸命頑張ることの尊さを、教えてくれた野球部での日々が終わる。そこで得た多くの学びを胸に、新たな世界でも汗を流す。

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