自民党の菅義偉元首相(77)が16日、次期衆院選に立候補せず、今期限りで菅義偉元首相する意向を固めた。既に周囲へ伝え、近く表明する。

菅氏はスポーツ報知の取材に応じ、出馬しないことを明らかにした上で、「皆様には、ありがとうございましたとお伝えしたい。本当にお世話になりました」と語った。17日には横浜市内で不出馬の理由などについて支援者らに説明する。

 秋田県でイチゴ農家の長男として生まれた。背番号3に憧れ、野球に打ち込み、高校卒業後に集団就職で上京。法政大へ進学し、報知新聞社では当時「坊や」と呼んだアルバイトや都内の段ボール工場などで働きながら、空手部では厳しい練習にも耐えた。「忍耐力含めて政治の世界でも生きた」と振り返る。

 卒業後、小此木彦三郎通産相の秘書を11年務めた後、1987年、横浜市議に初当選した。地盤、看板、カバンもなく、1日300件のあいさつ回りなどをこなした。箱根駅伝開催中も沿道のファンにあいさつをしてまわったこともある。

 国政へ転じたのは96年の衆院選(神奈川2区)。自民党内では政策通として知られ、北朝鮮による拉致問題にも積極的に取り組んだ。

2006年の第1次安倍内閣で総務相として初入閣。自身の地方出身の経験を踏まえた「ふるさと納税」制度の創設を主導した。

 09年の民主党への政権交代の際も小泉進次郎氏、河野太郎氏とともに議席を死守した。2012年第2次安倍政権発足に伴い、内閣官房長官に就任。安倍元首相からは「すがちゃん」と呼ばれていた。インバウンド拡大や危機管理の司令塔となった。19年4月には新元号「令和」を発表した。大きな注目を浴び、「令和おじさん」として親しまれた。

 20年9月、安倍元首相の辞任に伴い、首相に就任。在任中は「行政の縦割り打破」を掲げ、デジタル庁を発足させたほか、不妊治療の保険適用への道筋をつけた。新型コロナウイルス対応では、1日100万回のワクチン接種体制を整備。1年延期となった東京五輪・パラリンピック開催に尽力した。

大会は成功に終わったが、感染拡大による批判の高まりを受け在任384日で辞任した。

 「やるべきこと」をリストアップし、一つひとつ確実に実行し、チェックマークをつけていく。それが政治家としての流儀だった。政策通の仕事師が静かに政界を去る。

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