巨人のドラフト1位・竹丸和幸投手(23)=鷺宮製作所=が30日、宮崎で行われた合同自主トレを打ち上げ、2月1日から始まるプロ初のキャンプへの準備完了を宣言した。巨人の新人全選手を紹介する連載企画「前進ルーキー11人」最終回では、崇徳(広島)時代に野球を諦めかけた過去、そこでプロへの道をつないでくれた恩師との秘話に迫った。

 表情に充実感を漂わせた。合同自主トレの最終日。竹丸は丁寧にキャッチボール、トレーニングをこなした。「いい感じで体を動かせた。あさってからキャンプが始まるので、初日からしっかり動けるようにやっていきたいと思います」。来たる2月1日のキャンプインを見据え、準備を整えた。

 大きな刺激を受ける出来事があった。この日、第98回センバツの出場校が発表され、母校・崇徳の33年ぶり4度目の甲子園出場が決定した。宮崎で合同自主トレ中の左腕は、吉報を知る前に練習を終え「たぶん中国大会に出るのは結構久々だったと思うので。(その時から)結果は気にして見ていました」と注目していたことを明かした。

 高校生活の中で、忘れられない出来事がある。高3の最後の夏。

背番号10をつけた竹丸は、県大会4回戦で広島国際学院に1―3で敗退。甲子園に届かず高校野球人生を終えた。そこで野球はやめるつもりだったが、その後の進路面談で人生は一変した。今は亡き応武篤良監督(享年64)から「野球、どうや?」と城西大を勧められ、悩みながらも練習体験に。足を運ぶと、なんと既に入部することが決定していた。「断れる感じはなかった。練習参加に行く2日前に監督から『入るってことだからな』ってちょろっと言われていて。『ん?』って思いながら行って、ああこういうことかってなりました。それならそれでいいか、と」。指揮官が左腕のために用意した道。もしそれがなければ、才能を開花させることなく野球をやめていたかもしれない。「やめなかったからここまで来られた。
やめなくてよかったなと思います」と恩師の“強引”な導きに、今では感謝する。

 一度は諦めたプロの舞台。「中学校に上がって、同級生がすごかったので。こういうやつがプロに行くんだろうなと思って、それで無理だなと」。それでも社会人まで野球を続けた理由はただ一つだった。「純粋に、勝ちたいなって」。投げて勝つ喜び。竹丸は、そこに何よりの楽しさを見いだしていたからこそ野球を続けられた。ひたむきに白球と向き合い、夢をつかんだ。

 さぁ、球春が到来する。巨人のユニホームを身にまとった竹丸伝説が始まる。(北村 優衣)

 ◆G竹丸の高校時代 崇徳では2年秋に初めてベンチ入り。

3年春の中国大会では背番号10をつけ、初戦の高川学園(山口)戦に3番手で登板して3回2/3を無安打無失点で抑えるも敗戦。3年夏は背番号10で2試合に登板。4回戦の広島国際学院戦では先発して4回1安打1失点と好投したが、中継ぎが崩れ敗れた。

 ◆竹丸 和幸(たけまる・かずゆき)2002年2月26日、広島市生まれ。23歳。崇徳では甲子園出場なし。城西大では2年春に首都2部リーグデビュー。4年秋に1部に昇格して3勝1敗、防御率1・52(リーグ2位)の成績を残す。鷺宮製作所では昨年3月の「JABA東京大会」でJFE東日本との準決勝に先発し、8回2失点と好投するなど優勝に貢献。変化球はチェンジアップ、スライダー、カーブ、カットボール。179センチ、75キロ。左投左打。

年俸1600万円。

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