牝馬3冠に輝いたアパパネとアーモンドアイなど、多くの名馬を送り出してきた国枝栄調教師(70)=美浦=が、3月3日に定年を迎える。国枝師と開業当初から厩舎を支えてきた鈴木勝美助手(59)との対談企画で、今回は4つ目のテーマで「集大成編」。

夢、ファンへの思いなどを語った。(取材構成・坂本 達洋)

 ―90年に開業してから37年目を迎えて、ホースマンとしての「夢」はかないましたか?

 国枝調教師(以下、国)「ファンの頃から天皇賞有馬記念はすごいと思っていたから、やっぱりそれを勝てたというのはすごいこと。冷静に考えてもよかったなとは思うね」

 鈴木助手(以下、鈴)「先生に教えられながらここまでこられて、これだけの馬に何度もJRA賞に連れて行ってもらえて、感謝していますし、ありがたいことばかりです。最初は競馬場に行ってもドキドキするじゃないですか。でもいつの日にか、G1でも普通のレースの感覚で行けるようになったんです。それはやっぱり馬たちのお陰だし、この厩舎でホースマンとしての財産をつくってもらえたのは夢がかなったかなと思いますけどね」

 ―ファンの存在も大きかったでしょうか。

 国「すごく重要な要素。というのは自分も、ずっとファンの立場で物事を見るようにしてきたからね。メジャーリーグを見ていても、その選手が何を考えていたとか、大谷(翔平選手)のことなどは、みんなが知りたいことだよね。だから我々しか知らないことを表に出すことは重要だと思うし、これだけ売り上げがあるのはファンの気持ちのお陰だろうから」

 鈴「すごくありがたいですよね。最近は香港のファンからお土産が届いたり、この前も厩舎の片付けをしていたら、手紙やお守りが段ボール1箱分もありましたよ。こんなにあったのかとびっくりしました」

 ―最後になりますが、お互いどういった存在でしたでしょうか。

 国「勝美がいたから楽だったよ。要するに頼れる者がいるわけだから。調教師は何だかんだ“営業”をしなくちゃならないから、スタッフをまとめてくれたのも大きかった」

 鈴「先生は馬が好きだから基本は毎日厩舎にいてくれて、だからこの厩舎の雰囲気がつくれたと思います。緊張感があるなかでも冗談が言えるような空気で、馬にも嫌な雰囲気が伝わることがなかったと思います。すごく感謝していますし、たまにはゴルフとかに行ってほしいと思うくらいでした(笑)」

 国「最後に失敗したなと思うのは、もっと明け3歳の世代をきちんと集めればよかったと思うのはあるね。最後までできないから、金子(真人)さんや里見(治)さんにお願いしなかった。言えば当然、馬を入れてくれたんだろうけど、それがやっぱり失敗だった」

 鈴「先生は人がいいんですよ。最後までガツガツしないのは(笑)」

 国「やっぱり“仕入れ”は重要だよね。これもある面、いい勉強になったかなと思う」

 鈴「最近も記者の人に言われましたよ。『最後だから、どんどん使うんでしょう?』って。うちはそういうスタイルじゃないから、と言いましたけど」

 国「フジさん(藤沢和雄元調教師)は、そこらへんも含めて“あこぎ”だから、目先の一勝でどんどん行ったけど、俺の場合はそうしなかったのは反省しているよ。やっぱり若手なり、そういうところにいい馬が入るべきだとは思うんだけど…」

 鈴「失敗したと言いますけど、そこが先生の最大のいいところなんですよ。

最後まで先生はホースマン。最後まで馬を大切にしようというのが、私たちのスタイルですよね」

=おわり=

 ◆国枝 栄(くにえだ・さかえ)1955年4月14日生まれ。岐阜県出身。70歳。東京農工大農学部獣医学科卒業後、78年から美浦・山崎彰義厩舎で調教助手。89年に調教師免許を取得して、90年に開業。99年のスプリンターズS(ブラックホーク)でG1初制覇。10年にアパパネ、18年にアーモンドアイで牝馬3冠。21年に48勝を挙げて優秀厩舎賞(関東)1位。JRA通算9493戦1119勝。JRA・G122勝を含む重賞70勝。

 ◆鈴木 勝美(すずき・かつみ)1967年1月26日、群馬県出身。

59歳。85年4月に美浦・矢野幸夫厩舎の厩務員になり、山崎彰義厩舎、八木沢勝美厩舎を経て、90年9月から国枝厩舎の調教助手。

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