◆ミラノ・コルティナ五輪 ▽フィギュアスケート 女子フリー(19日、ミラノ・アイススケートアリーナ)

 【ミラノ(イタリア)19日=大谷翔太】3大会連続五輪出場の坂本花織(シスメックス)が、前回北京五輪の銅を上回る銀メダルを獲得した。今季限りでの現役引退を表明している25歳は、惜しくも金メダルこそ届かなかったが「3回目っていう重みは、本当に今までの2回とは全く違うなという感じがしました」と、しみじみ語った。

スポーツ報知では、日本女子で初めて3度経験した坂本の五輪を、過去の成績や言葉と共にプレーバック。名言や“珍事件”も振り返る。

 ◆2018年平昌五輪

 シニア1季目の17歳で初出場。団体フリーに出場し、自己ベストよりも10点以上低い131・91点で、最下位の5位。ほろ苦五輪デビューとなり「自分が足を引っ張ってしまった。申し訳ございません」。日本は、14年ソチ五輪に続き5位だった。

 個人のSPでは、73・18点の自己ベストで5位発進し「オリンピックは魔物がいるってよく聞く。とりあえず、その魔物には勝ったかな」とニヤリ。ただ実は個人戦前、極度の緊張感の中、昼食に青椒肉絲(チンジャオロース)をかきこんで胃腸炎となり、救急搬送されていたことが後に判明した。体重も落ち、共に出場した先輩の宮原知子からは手紙と小さなチョコを1個を手渡されるなど、心配されながらも無事に回復。個人に臨んでいた。

 日本女子最年少メダルに挑んだフリーは、136・53点、合計209・71点で6位。最終組に入り「緊張がいつもの5倍くらいあった」としながら、堂々の滑りで初五輪を終えた。「連続で出られるように4年間やりこんで、次はパーフェクトで自己ベストを更新できるようにしたい」と、北京五輪でのメダル獲得を見据えた。

 ◆2022年北京五輪

 21歳で出場した2度目の五輪。団体は2大会連続で、フリーに抜擢され「自分でスケジュール調べたら『最後やーん』と思って。死んじゃう~って思ったけど(笑い)」と苦笑い。しかしその重圧の中、ノーミス演技の148・66点で、ワリエワ(ROC)に次ぐ2位。日本の銅メダル(ロシアの失格で後に銀メダル)獲得に貢献した。

 SPに向けた練習で曲かけの途中、ターンでまさかの転倒。当時の「気づいたら、スコーン。天井見えてた」の“名言”は、後にファンが坂本の演技前に人気スナック菓子「スコーン」を食べる験担ぎを生み出す。ミラノ五輪中には「スコーン」を販売する湖池屋も、公式X上で反応した。

 団体から8日後の個人戦は、SPで79・84点の自己ベストで3位発進。「(トリプル)アクセルなしでここまで出せたのは、自信になった」と、高難度ジャンプを跳ぶROC(ロシア)勢にくらいつく。SPから2日後のフリーでは、153・29点、合計233・13点の共に自己ベストで銅メダルを獲得。日本女子で、2010年バンクーバー大会銀メダルの浅田真央以来、4人目となる表彰台。「まだ実感わかない。一緒の立場にいて大丈夫なのかな」と、当時ROCの3強の一角を崩した。中野園子コーチは、メダル獲得を「運です」と断言し「努力が運を引き寄せた」と愛弟子を称えた。

 銅メダル獲得から一夜明け、メダルを手に「鉄の塊みたい。つるつる」と満面の笑み。「4年後のミラノも目指していきたい」と、ミラノ・コルティナ五輪を目指すと宣言した。

 ◆2026年ミラノ・コルティナ五輪

 25歳で迎えた、日本女子初の3大会連続出場となった五輪。前年6月には、同シーズン限りでの現役引退を表明した。

掲げた目標は「団体、個人で銀メダル以上」だった。団体では、シングルでは初めてSP、フリーに出場。SPでは、今季世界最高の78・88点で1位、フリーも148・62点で1位を獲得。日本の2大会連続銀メダルをけん引した。アイスダンスの「うたまさ」こと吉田唄菜、森田真沙也(木下アカデミー)のリズムダンスでは応援席で号泣するなど、チームの応援団長としても躍動した。

 自身のSPを翌日に控えた16日。団体後、個人戦でミスが続く日本勢の戦いを受け「恐怖」を告白した。大粒の涙を流していたが、直後に行われたペアフリーで、三浦璃来、木原龍一(木下グループ)組が歴代最高得点の158・13点をマーク。SP5位から史上最大の逆転Vを果たした。観客席で応援した坂本は「どえらい、泣いた」と不安を涙で洗い流し、翌日のSPはノーミスの77・23点で、2位発進。「りくりゅう」から「黄金のバトン」を受け取りフリーにつなげた。

 五輪“ラストダンス”となった19日のフリーは、後半のジャンプでわずかにミスが出て優勝したアリサ・リュウ(米国)に1・89点及ばず銀メダル。

中野コーチは「頑張ったと思います」とねぎらったが、坂本は大粒の涙を流しながら「この五輪の舞台で、先生たちに最高の景色を見せてあげたかった。前回(銅メダル)よりはいいけど、もう1個、いい色がよかったというのが正直」と、本音を語った。

 日本女子では前人未到の3大会連続出場を果たし、悔しさはありながらも「団体、個人ともに銀以上」の目標は達成。3度の五輪を振り返り「初めての平昌オリンピックは(出場)1枠を自分に当ててくれて、出ることができて。そこで、選ばれなかった選手に『坂本が出るんだ』って言われたくなかったから、すごく頑張った。その気持ちだけでなんとか乗り切った。平昌五輪から4年頑張って、世界選手権とかを経験して、そこから北京五輪が来て。五輪期間中、いろんな状況があって、精神的にもすごく大変なとこあった。それでも団体と個人で両方メダルを取れたのは、自分にとってすごく大きなターニングポイントであったし『自分も頑張れば五輪メダリストになれるんだ』っていう気づきを与えてもらえて。そこから4年、世界チャンピオンだったり全日本で連覇したり、素晴らしいすぎるぐらいの経験ができて。このミラノ五輪に出ることができて。こうして前大会よりもいい色のメダル2つも取れて、本当に着実に、4年ごとに成長してるなっていうのはすごく感じますし。

この3回目っていう重みは、今までの2回とは全く違うなっていう感じがしました」と語った。

編集部おすすめ