馳浩氏(64)が8日投開票の石川県知事選で落選した。

 元金沢市長の山野之義氏(63)が当選した。

馳氏は2022年の知事選で当選したが一期で任期を終えた。

 馳氏は、石川の星稜高から専大に進み、卒業後は星稜高の教師を務め、84年ロサンゼルス五輪にレスリングのグレコローマンのライトヘビー級で出場した。

 そして85年に大学の先輩にあたる長州力にスカウトされジャパンプロレスに入団しプロレスラーへ転向した。

 87年には、長州らと共に新日本プロレスへ移籍しIWGPタッグ王者などトップレスラーの一角として活躍。95年の参院選で自民党から出馬し当選。新日本プロレスで「引退」を発表されたが、96年11月に全日本プロレスに入団した。2006年8月に引退試合を行うも、その後、復帰。最近では、2023年元日にプロレスリング・ノアの日本武道館大会に参戦した。

 政治家としては2000年の衆議院選挙で石川1区から出馬し当選。15年10月に文科相に就任。21年7月に石川県知事選への出馬を表明し22年3月の知事選で当選した。

 高校教師からプロレスラー、そして政治家、大臣、県知事…と階段を上り続けた馳氏。

落選後に自身の「X」で「落選は一重に私の責任であり、力不足をお詫び申し上げます。大変申し訳ありませんでした。能登の復旧復興は道半ばであり、県政に停滞は許されません。県内19市町にはそれぞれの課題もございます。私自身、今回の結果を厳粛に受け止め、今後どのようにお役に立つことができるのか考えていきたいと思っています。これまで本当に多くの皆さまにお支えいただき、感謝申し上げます。ありがとうございました」とつづった。

 1985年のジャパンプロレス入団前から馳氏を取材してきた元週刊プロレス編集長のターザン山本!は、今回の落選を「どつぼにはまりましたよ」と表現した。プロレス界への復帰も「『落選』馳浩氏へプロレス入団前から取材したターザン山本が今後を提言『小説を書いて芥川賞を取れよ!』です。行くところはない」と断じた。

 馳氏と山本の出会いは85年夏。石川県で行われたインターハイだった。

ジャパンプロレスへの入団が内定していた星稜高の教員だった馳氏を事前に取材するためだった。インタビューで馳氏はこう話したという。

 「高校教師として人生をまっとうすることもいいと思います。だけど、私は坂本龍馬のように広い世界に打って出たいんです。だからプロレスラーになるんです」

 広い世界を求めプロレスラーとなった馳氏だったが山本の目には、彼の存在が業界内で違和感に映った。

 「レスラーというのは、肉体派なんです。だけど、彼はインテリ派なんです。知性があるし教師だったから後輩への指導がうまい。中間管理職として抜群の能力があった。だけど、馳さんから教えられた後輩は影響をうけるわけなんですね。それが幹部には危機意識を持った。マット界の中にあって唯一のインテリ派は違和感があった。

だから、馳さんは、新日本プロレスの中でIWGPチャンピオンにもなれなかったし、G1も優勝できなかったんです」

 山本によると、政治の世界へ魅入られたのは、1989年にアントニオ猪木さんが参院選で当選し政界の中を目の当たりにした時だったという。

 「猪木さんの選挙を手伝って、政治の世界を見たわけですよ。その時に馳さんは、プロレスよりも政治家だ、と気づいたんですよ」

 そして、参院選に当選、衆院議員となり、文科相、石川県知事となった。その階段を山本は、こう表現した。

 「彼のアイデンティティーは成り上がっていくことなんです。教師からレスラー、政治家になり大臣、そして知事。馳さんは、すべてをステップにしてのし上がっていくことが人生の歩みなんです」

 成り上がり、のし上がった階段だったが落選という厳しい現実が待っていた。山本は今後の馳氏を展望する。

 「馳さんは、のしあがることで自己肯定できる人。次なる手をすぐに考えますよ。このままじゃ終わらない。ボクは、政治家以外の何かになることを期待していますよ。

今回のネクストは何なんだ!と馳さんに言いたいですよ」

 その上でレスラー復帰、プロレス界へ戻ることは「元に戻ることですから、それをやったら落武者です。プロレス界に戻ってきたら完全に終わりです」と断じた。

 そして、山本は提言した。

 「現代は、混乱と混沌(こんとん)の時代。必ずのし上がる術がある。ボクは、馳さんに言いたい。小説を書いて芥川賞を取れよ!自分の人生を描く私小説でもいいじゃないですか!馳さんならやれますよぉぉ!」

 最後に山本は、初めて出会った85年夏に馳氏が星稜高校の教室の黒板に書いた和歌を思い出した。

 それは在原業平の辞世の句だった。

 「つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」

 人生の孤独、終わりを予感した一首。山本は40年あまり前に馳氏が黒板に書いた短歌を今こそ馳氏に贈りたいと言った。

 「彼は、これからプロレスラーになろうという時に在原業平の辞世の句を書いたんですよ。ボクは、それを見て『こんなことを書いて、彼には未来があるのか』と驚きましたよ。

落選した今こそ馳さんにこの一首を贈って、新たなステップに向かってほしいですよ!」 (福留 崇広)

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