64年前に新人ながら巨人の開幕投手を務めた“エースのジョー”こと城之内邦雄さん(86)が、後輩の竹丸和幸投手にエールを送った。同じ阪神相手の開幕戦。

逃げずに得意球で勝負を挑むことを説き、新人王獲得へも熱い言葉で激励した。(取材・構成=湯浅 佳典)

 半世紀以上の時を経て実現したルーキーの開幕投手抜てき。64年前の対戦相手も阪神だったように、城之内さんと竹丸に共通点はいくつかある。

 「僕も社会人出身。キャンプで他の選手に体力的に負けてなかったし、シュートも良かった。当時の別所(毅彦)コーチが『キャンプでいいやつをオープン戦の最初に投げさせる。オープン戦でいいやつを開幕で投げさせる』と初めから言ってくれていたんで、やりやすかった。あの時、開幕のライバルは1歳上の中村(稔)さんや1年入団が早い村瀬(広基)だった」

 竹丸はオープン戦3試合でわずか1失点だったが、サイドスローから繰り出す速球とシュートで攻める城之内さんは7試合で4勝0敗。投手コーチの公約通り、2年目の川上哲治監督は4月7日の阪神戦に新人を送り込んだ。

 「先輩は藤田(元司)さんや堀本(律雄)さん、他にもいた。ベテランたちは『なんで新人が開幕なんだ』と面白くなかった、と後から耳に入ったね」

 開幕戦は5回2失点で降板し、打線も小山正明を打ち崩せず1―2で敗れた。しかし、城之内さんは24勝12敗、防御率2・21という堂々たる成績で新人王に輝いた。

 「キャンプの頃は、やはり慣れなくて疲れがあった。6月頃から疲れが取れて球宴後に14勝。後半になると先輩からも何も言われなくなった」

 開幕へプレッシャーはなかったのか? エースのジョーと呼ばれた男は、こともなげに言った。

 「オープン戦で対戦した時にいけると思ったから自信はあった。僕の決め球はシュート。社会人時代にライナーを右手に受けて中指を切った。指の力が弱くなったことでカーブのキレが悪くなったけど、シュートは落ちたり、指のかかり具合でスライダー気味になったり、自分でも投げてみないと変化が分からなかった。でも、いつでもストライクは取れる自信があったから」

 竹丸の武器はチェンジアップ。大先輩もテレビで何度もチェックをしているという。

 「抜いた球で、もう少し落ちればいいんだけど、コントロールはいいよな。回転が少ないんでコースが甘くなると球は飛んじゃう。阪神は左にいい打者が多いから、インコースはボール気味だといいかな。

なによりも自分の得意な球で勝負すればいい」

 2月に86歳になったレジェンドは、さらに後輩へのエールに力を込めた。

 「とにかく逃げるな! 逃げたら負け。一球入魂で、どんどん勝負していってほしい。5、6回まで投げればいいんだから」

 目指すは開幕戦の好投だけではない。大役を担った上での新人王獲得だ。

 「シーズンを通して、しっかりと走ってほしい。上体で投げようとすると疲れる。走って下半身を鍛える重要性を分かってるかな。体力さえあれば、僕のように勝てるさ」

 ◆1962年4月7日(後楽園)

阪 神 002 000 000―2

巨 人 000 000 100―1

(神)小山―山本哲

(巨)城之内、中村―森 

 【VTR】長嶋茂雄が開幕直前に風邪を引き調子を落としていたため3番に入り、王が352試合目で初の4番に座った。城之内は3回に3安打と犠飛で2失点。5回を投げ6安打2奪三振で降板した。打線は小山を打てず完投を許した。

 ◆城之内 邦雄(じょうのうち・くにお)1940年2月3日、千葉県生まれ。86歳。佐原一高(現佐原高)から日本ビールを経て、社会人NO1の速球投手として61年オフに巨人入団。62年は24勝12敗、防御率2・21で新人王。入団から5年間で101勝を挙げた。68年5月16日の大洋戦ではノーヒットノーランを達成。腰痛に苦しみ、現役生活10年で71年に引退をするが、74年、ロッテで現役に復帰。同年7月に引退。通算359試合に登板、141勝88敗、防御率2・57。84年から2003年まで20年間にわたり巨人スカウトを務めた。

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