◆センバツ最終日 ▽決勝 智弁学園3-7大阪桐蔭(31日・甲子園

 大阪桐蔭が智弁学園(奈良)を7―3で下し、4年ぶり5度目の優勝を果たした。春の優勝5回は東邦(愛知)に並ぶ歴代最多記録で、同2位タイとなる春夏通算10度目の日本一。

決勝戦は10戦全勝となった。背番号10の192センチ左腕・川本晴大(2年)が毎回の15奪三振で3失点完投。決勝9イニングでの15奪三振は101年ぶりの快挙で、左腕では大会初の4勝をマークした。

 ずっと夢見ていた光景だった。「最後は直球で空振り三振で終わりたい」。登板前日の宣言通りにフィニッシュ。内角低めの146キロクロスファイヤーで、空振り三振に仕留めた。川本は192センチの長身を反転。左手を突き上げた。「ガッツポーズも覚えていません」。4年ぶりに頂点に立ち、春の優勝5回は歴代最多タイ。ナインがマウンド付近に集まり、歓喜の輪の中でも頭が真っ白だった。

 初戦の熊本工戦では9回を150球、14奪三振の完投勝利。脚光を浴びた2年生は、最後も主役になった。強打の智弁学園を相手に3者連続で空振り三振の立ち上がり。「自分の球を投げたら打たれない」と強気に内角を攻め、キレのあるスライダーも投げ込んだ。6回は同じ2年生の4番・逢坂に同点ソロを浴び、高校初被弾。直球を右翼ポール際へ運ばれたが「(次は)直球で三振を取りたい」と強気な性格も武器だ。

 埼玉・飯能市の出身。根尾(現中日)を擁し、18年に春夏連覇した大阪桐蔭に憧れたのは小学生の頃。中学2年の秋、チームの練習に西谷浩一監督(56)が訪れた。川本にとってはテレビで見たことがある名将。驚き、発した言葉が「本物ですか?」だったという。西谷監督は「本物です、と答えました。

まだ声変わりしていない、かわいい声だった」。横浜、浦和学院など全国の強豪校から誘いもあったが、迷うことなく大阪桐蔭へ進学した。

 「西谷先生はすごく選手のことを考えて、笑顔でいろいろと教えてくれる監督です」。7回以降は「行けるか?」と心配してくれた。「ハイ!」と即答し、奪った三振は毎回の15個。「聞かれるまで数は知らなかった」と無我夢中の結果だったが、決勝戦の9イニングで15奪三振は1925年春の森本茂(松山商)以来、101年ぶり。巨人などで活躍したPL学園・桑田真澄が2年春(84年)に記録した14個を超えた。

 春夏通算10度目の優勝は歴代2位。同校の2年生では初の優勝投手になったヒーローは「大阪桐蔭で優勝したいと思っていて、自分が抑えて導けたのは最高の気分です」と声を弾ませた。投げるたびに進化し、計り知れない可能性を持つ怪物サウスポー。剛腕伝説が始まった。(高柳 義人)

 ▼決勝101年ぶりの9回15奪三振 大阪桐蔭の2年生・川本晴大が、毎回の15奪三振。

春決勝で2ケタKは16人目(2年生4人目。智弁学園・杉本真滉も10K、17人目。春決勝で両校投手が2ケタKは初)。

 毎回奪三振は、84年PL学園・桑田真澄(2年)、85年伊野商・渡辺智男、97年天理・長崎伸一と4人目。

 決勝で9回15Kは、1925年(高松商戦)松山商・森本茂以来、101年ぶり(8回だけ三振0)。夏の決勝で9回15Kの投手はなし(延長回で15K以上は春1人、夏2人)。決勝で毎回の15奪三振は、春夏通じて初めて。

 ▼チーム初の下級生優勝投手 優勝投手は4勝しV貢献の川本。大阪桐蔭で1大会4勝以上は6人目、7度目、2年生初。春に2年生の優勝投手は、24年健大高崎・佐藤龍月、昨年横浜・織田翔希に次ぎ、3年連続12人目。夏も含め、下級生のV腕はチーム初。

 ◆川本 晴大(かわもと・はると)2009年9月9日、埼玉・飯能市生まれ。

16歳。双柳小1年で野球を始め、泉ホワイトイーグルスに所属。小6でライオンズジュニアに選出。飯能一中では武蔵嵐山ボーイズと東京城南ボーイズでプレー。武蔵嵐山では2年春夏、全国大会に出場。中3夏にU―15日本代表に選ばれ、W杯で世界一に。大阪桐蔭では1年秋からベンチ入り。遠投100メートル、50メートル6秒9。192センチ、95キロ。左投左打。

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