昨年6月3日に89歳で永眠したミスタープロ野球長嶋茂雄さん。しかし今もなお、その鮮烈な記憶は人々の心で生き続けている。

スポーツ報知では、代名詞の背番号3にちなんで、毎月3日に「ミスターの世界」と題した特集を組み、さまざまな角度からその偉大な足跡に迫る。第2回は立大時代の同級生で、“立教三羽ガラス”と呼ばれた盟友・本屋敷錦吾氏(90)の証言から、「立大野球部・長嶋茂雄」を解き明かす。(取材・構成=小島 和之)

 当時の六大学記録の8本塁打を放ち、のちにミスタープロ野球と呼ばれる実力の片りんを示した長嶋さん。54年4月17日の東大1回戦では、1年生ながら3回の守備から出場。4回の初打席は三ゴロに倒れたが、一塁を踏んでそのまま右翼線を走り抜けて客席をどよめかせた。4年時に主将を務めた本屋敷さんにとっては、観客を驚かせる長嶋さんのプレーが思い出深い。当時を回想する口調からも、いかに2人が親密だったかが伝わってくる。

 「大げさに走り抜けて、ライトの方までいきよるワケよ。『お前、そんなところまで走ったってアウトはアウトや』って言うてね(笑)。それでも、いつもそうだった」

 本屋敷氏は兵庫・芦屋高で甲子園を制したエリート。一方、長嶋さんは千葉・佐倉一高出身で全国大会とは無縁だった。砂押邦信監督は、長嶋さんの天賦の才を見抜くと同時に、野球知識に優れる本屋敷氏に“教育係”を任せた。

三遊間でコンビを組み、守備位置を指示することも多かった。

 「(長嶋さんは)頭はいいけど野球を知らなかったから、砂押監督が『教えろ』と言うワケよ。引っ張りの右打者だったら『ほれ、こっちに来るぞ!』と。指示を聞いてアイツは三塁線寄りにいきよった」

 飛び抜けた肩の強さに加え、素直な性格で教えをどんどん吸収し、2年からはレギュラーに。それでも、練習では豪快なエラーをすることもあったという。

 「普通、悪送球は一塁手が跳び上がるくらいでしょ? 彼はそうじゃない。肩が良すぎるから、とんでもない悪送球を放りよる。一塁手が見上げて、フェンスの方までポーン!といくの(笑)。『ワンバウンドでいいから、もっと低く!』と教えたら、ちょうど真っすぐにいくようになった」

 粗削りだったプレーは、“勝つための野球”へと洗練されていった。【参考文献】立教大学野球部史

記録メモ 立大では東京六大学のリーグ戦に1年時の春から出場。三塁手で5度のベストナインに選出されるなど、後に南海へ入団する杉浦忠、阪急と阪神に在籍した本屋敷錦吾との「三羽ガラス」は有名だ。

 同リーグでは最多タイとなる2度の首位打者、当時新記録の通算8本塁打をマークした。

ただし在学中の神宮球場は両翼100メートルと広く、ワンバウンドでスタンドに入った打球は二塁打から格上げされた「エンタイトル三塁打」のルール。通算12本あった三塁打のうち、半分の6本がエンタイトルという大飛球だった。

 神宮球場の両翼は67年から91メートル(08年以降97.5メートル)となったため、その広さなら本塁打は8本から14本になるとも言われている。

 ◆本屋敷 錦吾(もとやしき・きんご)1935年10月31日、兵庫生まれ。90歳。芦屋高では52年夏の甲子園で全国制覇。立大を経て58年に阪急に入団。64年に阪神に移籍し、69年に現役を引退。阪神と阪急でコーチを務めた。通算1195試合で打率2割2分7厘、13本塁打、179打点、785安打。現役時代は168センチ、67キロ。右投右打。

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