昨年6月3日に89歳で永眠したミスタープロ野球・長嶋茂雄さん。しかし今もなお、その鮮烈な記憶は人々の心で生き続けている。
長嶋さんが深く悩む姿を2度見たことがある。4年春のリーグ戦、開幕カードだった4月14日の法大戦で当時の六大学記録に並ぶ7本塁打目を放った後、同年秋のリーグ戦、11月3日の慶大との最終戦まで、半年以上本塁打が出なかった。
「7本目まではパパっといったけど、そこからは全然出なかった。アイツも硬くなったんかな。『やっぱり人間だったんやな』と言うてね。それで『打とう、打とうとするから出ないんや』と言ったら、ポーン!といきよった」
思いは通じた。最終戦の5回に左翼へソロを放ち、新記録を成し遂げた。
2度目は、人生の岐路に立つ長嶋さんだった。立大の2学年先輩で、先に南海に進んだ大沢啓二氏(元日本ハム監督)らから熱心な誘いがあった。悩む背中を本屋敷さんが押した。
「『南海と巨人にどれだけ人気に差があるか。人気球団に行く力を持ってるやないか。お前は関東の出身やろ? 東京へ行け』と。その後、『巨人にいくと決めた』と報告に来てくれて、『よう決めたなあ』と握手をしたよ」
4年時には、こんなほほ笑ましいエピソードも。
「練習後にたまたま俺が風呂入っていたら、長嶋が頭を(湯船の)中で洗うねん。『頭は外で洗え!』と言って、風呂から放り出したよ(笑)」
濃密な4年間を過ごし、その偉大さが誰より分かる。
「アイツは素直な性格。夢中になって、一生懸命になんでもやるから、野球がうまくなれる。卓球もすごくうまかったし、俺も強かったから、学校にある卓球台でよくやったよ。あんな選手は一生出てこない」
盟友の記憶に残るミスターの姿もまた、永久に不滅である。【参考文献】立教大学野球部史
記録メモ 立大では東京六大学のリーグ戦に1年時の春から出場。三塁手で5度のベストナインに選出されるなど、後に南海へ入団する杉浦忠、阪急と阪神に在籍した本屋敷錦吾との「三羽ガラス」は有名だ。
同リーグでは最多タイとなる2度の首位打者、当時新記録の通算8本塁打をマークした。ただし在学中の神宮球場は両翼100メートルと広く、ワンバウンドでスタンドに入った打球は二塁打から格上げされた「エンタイトル三塁打」のルール。通算12本あった三塁打のうち、半分の6本がエンタイトルという大飛球だった。
神宮球場の両翼は67年から91メートル(08年以降97.5メートル)となったため、その広さなら本塁打は8本から14本になるとも言われている。
◆本屋敷 錦吾(もとやしき・きんご)1935年10月31日、兵庫生まれ。90歳。芦屋高では52年夏の甲子園で全国制覇。立大を経て58年に阪急に入団。64年に阪神に移籍し、69年に現役を引退。阪神と阪急でコーチを務めた。通算1195試合で打率2割2分7厘、13本塁打、179打点、785安打。現役時代は168センチ、67キロ。










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