全国各地で巻き起こる“まちづくり”。なかでも、注目度が高いのが群馬県前橋市です。
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衰退する街で始まった官民連携の起死回生劇
前橋市は群馬県の県庁所在地であり、人口約33万人(2025年8月現在)の中核都市。明治期から戦後にかけては製糸産業で栄え、その後も中心地にある9つの商店街がにぎわいを生み出していました。デパートや映画館なども集まる華やかな街は「北関東の銀座」と称されたほど。
市制施行100周年記念の写真集に掲載された1992年当時の商店街。人の往来が多いことがわかる(写真提供/前橋市)
ところがその繁栄は1990年代から一転します。原因の一つは上越・北陸新幹線の停車駅が隣の高崎市に決まったこと。交通の要衝となった高崎は人口でも前橋を上回り、需要と供給のバランスから民間開発は前橋でなく高崎に集中したのです。追い討ちをかけたのは、郊外型の大型ショッピングモールの出現です。商圏は郊外へと移り、中心部の空洞化が加速しました。
まちなかの商店街は昭和の面影が強く残る(写真撮影/前田慶亮)
前橋の起死回生劇はそんなどん底の状況から始まりました。
当初からまちづくりに関わってきた同市の市街地整備課長、纐纈正樹(こうけつ・まさき)さんとにぎわい商業課の田中隆太(たなか・りゅうた)さんに話を聞きました。
行政のまちづくりを担う纐纈さん(右)と田中さん(写真撮影/前田慶亮)
「声を上げたのは前橋出身であり、現在も市内に本社を置くメガネブランド『ジンズホールディングス(以下、JINS)』の代表取締役CEO、田中仁さんでした。提言されたのは『ビジョンあるまちづくり』。それまでも行政でさまざまな手を打ってきましたが、目指す方向を市民とともに定めなければ抜本的な改革はできないと指摘されたのです。そこで官民が協働してビジョンの策定に乗り出しました」
纐纈さんはそう振り返ります。
「めぶく。」と名付けられた前橋ビジョンが発表されたのは2016年のこと。命名したのは前橋出身の糸井重里さんです。
公共空間の馬場川通りを民間資金で整備
翌年には米国・ポートランドに官民で視察に出向き、そのまちづくりを参考にしながらアーバンデザインの策定が始まりました。
異例といえるのは、策定が民間主体で進められたことです。
「熱意と実行力のある街のキーパーソンを見定めて一人一人に声をかけ、その方々と11回に及ぶワークショップで意見を交わしながら骨格を決めていきました。顔ぶれは住民、建築や交通関連の事業者、店舗オーナー、教育関係者、学生など延べ200人。策定にあたっては多様な意見を聞くのが大前提ですが、対象を広げすぎると角の丸まったどこの都市にもある計画になってしまう。ですから、思い切って的を絞ることにしたのです」(纐纈さん)
ポートランド視察(写真提供/前橋市)
アーバンデザイン策定に向けたワークショップの様子(写真提供/前橋市)
アーバンデザインの担い手として設立されたのが「MDC(前橋デザインコミッション)」です。民間の方が理事に名を連ねるこの組織は、取り組み全体を見渡しながら背中を押していく、いわば「まちづくりのエンジン」。民間主導という方針がここでも明確に示されたのです。
モデルプロジェクトを実行に移したのは、ビジョン制定からわずか4年後。この間にポートランド視察、アーバンデザインの策定、モデルプロジェクトの計画と進んだわけですからかなりのスピード感です。とにかく走り出して、市民に変化する街を体感してもらうこと。そのほうが150ページに及ぶアーバンデザインの資料に目を通すよりも実感がわき、まちづくりへの関心を喚起しやすいと考えたのです。
「行政の施策の場合、計画をきっちり固めた上で実行に移すのが原則。その分、時間がかかり、融通が利かない一面もあるんですね。
実行されたモデルプロジェクトは3つ。なかでも2021年に始まった馬場川(ばばっかわ)通りの利活用はMDCが中心となり、200mの水路と歩車道の公共空間を民間資金により民間が再整備を図るという前例のないプロジェクトになりました。
「MDC では一緒に企画・運営するメンバーを広く募集し、学生を中心に総勢100名を超える方々による準備委員会が立ち上げられました。水路と歩車道の所有者は前橋市になりますが、整備後10年間は商店街を含めた地元の人たちとMDCで『馬場川通りを良くする会』を組織し、イベントなどでの活用や管理までしていただく。こうした取り組みによっても多様なまちづくりのプレーヤーが生まれています」(纐纈さん)
気になるのは民間資金の出所ですが、「太陽の会」からの寄付金3億円が原資になっています。太陽の会とは市内に拠点を置く企業家有志により結成された組織。毎年一定額を寄付金として拠出し、まちづくりに活用しています。当初は24社だった参画企業は現在65社に増えているそうです。
「ただし、よいものをつくるには寄付金だけでは足りないため、前橋市でもさまざまな形で支援をしています。その一つがソーシャル・インパクト・ボンド(SIB)の導入。事業の成果に応じて前橋市がMDCに報酬を支払う仕組みで、まちづくり分野での採用は全国初です。
モデルプロジェクトは対外的なプロモーションを積極的にかけ、「先進的まちづくり大賞・国土交通大臣賞」、「グッドデザイン賞」など数々の受賞をしています。纐纈さんによればこうした賞も戦略の一つ。
「受賞により市民の注目が集まり、『自分たちも何かやってみよう』という人が増えればまちづくりの裾野が広がります。『他人ごと』でなく『自分ごと』に捉えてもらうのが、前橋のまちづくりには欠かせないのです」(纐纈さん)
馬場川通りの整備では水路沿いにベンチを設置。憩いの場に生まれ変わった。前橋の歴史的意匠であるレンガを歩車道に敷設。歩道には寄付をした人の記名レンガも(写真提供/前橋市)
名旅館を再生させた「白井屋ホテル」が街のランドマークに
一方で、民間独自のプロジェクトで街を変えていこうという機運も高まっています。
象徴的なのが「白井屋ホテル」です。このホテルの前身は江戸時代からの歴史を持つ「白井屋旅館」。森鴎外をはじめ著名人に愛された名旅館も街の衰退から廃業を余儀なくされ、取り壊しの危機にありました。そこで立ち上がったのが「JINS」の田中さんです。私財を投じて設立した田中仁財団が旅館を買い取り、約6年半の歳月をかけてアートホテルとして再生させたのです。
全体のデザインと設計を手がけたのは、「大阪・関西万博」の大屋根リングを生み出した建築家、藤本壮介氏。天をつく2つの白いタワーと豊かな植栽が織りなす佇まいは立ち止まって眺めずにはいられません。一方、客室やラウンジの空間デザインにはレアンドロ・エルリッヒ氏をはじめとする世界的なクリエイターが参画。まさしく旅の目的となるデスティネーションホテルが前橋に誕生したのです。
「白井屋ホテル」は既存躯体の柱梁を生かした「ヘリテージタワー」と新築の「グリーンタワー」の2棟構成。緑が縁取る階段を上がるとエントランスに辿り着く(写真撮影/前田慶亮)
4層吹き抜けの開放感を満喫できる「ヘリテージタワー」のカフェラウンジ。縦横無尽に張り巡らされた水道管のような作品はレアンドロ・エルリッヒ氏によるインスタレーション。夜には光のアートが生み出される(写真撮影/前田慶亮)
すべてのゲストルームに異なるアーティストの作品を展示。写真は鈴木ヒラク氏の「発掘された反射(惑星のダンス)」を展示したジュニアスイートルーム(写真撮影/前田慶亮)
ジュニアスイートのベッドルームを彩るのは村田峰紀氏の作品「Resonance」(写真撮影/前田慶亮)
全国屈指のギャラリーを誘致したアートレジデンス
「JINS」の田中さんとともにまちづくりのキーパーソンとして名前が挙がるのが、「まちの開発舎」の代表取締役、橋本薫(はしもと・かおる)さんです。
東日本大震災が起きたときボランティアとして現地に向かった橋本さんは、コミュニティの重要性を痛感。生まれ育った前橋で仲間とともにコミュニティの場となる「フラスコ」を設けたのを機に、地元のまちづくりに立ち上がります。
2016年には前橋ビジョンの策定に携わり、「一般社団法人 前橋まちなかエージェンシー(MMA)」を設立。シェアオフィス「comm」などまちなか再生の拠点を生み出してきました。
橋本さんは1977年 群馬県前橋市生まれ。前橋工業短期大学(現前橋工科大学)建築学科を卒業後、建築設計事務所を経営していた時期も。高崎市や富岡市のまちづくりに携わった経験をもつ。「太陽の会」事務局長も務め、フリー冊子「まえばしアーバンデザイン的まちの遊び方」などメディア編集も手がける(写真撮影/前田慶亮)
そんな橋本さんが生み出したのがアートレジデンス「まえばしガレリア」です。まず目を引くのは、建築家の平田晃久氏が大きな樹冠をイメージして設計したという建築デザイン。緑化された上階には26戸のレジデンスが浮かぶように並び、足元にはフレンチレストランと2つのアートギャラリー、さらに広場がつくられています。
「まえばしガレリア」が立つのは、前橋唯一の百貨店「スズラン」がある銀座通り。ダイナミックなデザインがランドマークになっている(写真撮影/前田慶亮)
橋本さんによれば、この場所にはかつて映画館があり、閉館してからは一時期スーパーになった後、更地のまま街の広場として使われていたそう。夏祭りを開くなどコミュニティの場として活用されていた時期もありましたが、周辺に飲み屋が増えるに連れて夜のたまり場化。治安面の不安もあって所有者である前橋市が不動産会社に売却し、アパート2棟が建つことが決まっていたといいます。
「この土地は450坪もあって、せっかく街を再生しようと盛り上がるなか、普通のアパートを建ててしまうのはもったいない。地元の人たちからもアパート建設に対して疑問の声が上がり、一緒に協議するなかで、公共性もある文化施設という方向性が浮上しました。その中でアートギャラリーというアイデアが生まれました。ギャラリーは美術館のように有料ではないので、街の人たちも気軽に立ち寄ってアートを鑑賞できます。とはいえ、土地はすでに売却済み。買主に掛け合って売ってもらうことができたんです」(橋本さん)
具体的なプランを練るなかで、プロデューサーや関係者が重視したのは遠方から足を運ぶ価値のあるギャラリーにすること。そこで声をかけたのが、「タカ・イシイギャラリー」と「小山登美夫ギャラリー」という東京のトップギャラリーでした。
「どちらもアートコレクターからの支持は厚く、前橋まで人を引き寄せる魅力があります。一方、ギャラリー側からしても東京に比べると固定費の安さという点でメリットがあるんですね。地方でアートが売れるかどうかを検証するよい機会でもあり、『面白いね』と受けてもらえたんです。これって業界的にはビッグニュースなんです」(橋本さん)
ギャラリーを訪れた人たちが食事を楽しむ場として、グランメゾンクラスのレストランも設けられています。
「アート好きには食にもこだわりのある人が多いため、親和性のあるテナントが構想されました。今、腕を振るっているシェフは東京の三つ星レストラン『レフェルヴェソンス』でスーシェフを務めていた実力派。『レフェルヴェソンス』のファンという方もよく食べに来てくれているようです」(橋本さん)
2~4階にあるレジデンスもまたハイスペックです。26戸すべてにゆったりとしたテラスが設けられ、間取りはワンルーム、ロフト付き、メゾネットの3タイプ。すべてデザインが異なり、「まちの開発舎」でインテリアやアートをコーディネートした住戸が多いのだとか。
「購入した方は県外が7割。前橋の活性化に力を貸したいという思いで購入してくださった方々です。せっかくなので賃貸に出すのではなく、たまには自身も泊まりたいということで、滞在しない間の民泊も始まりました。現在は8戸で行われていますが、下に降りればアートと美食を楽しめる宿は海外の方にも好評です」(橋本さん)
民泊に利用されている住戸の一例。ハイエンドなインテリアとアートも楽しみの一つに。キッチン付きなので長期滞在にも向く(画像提供/橋本さん)
各住戸に広いテラスがあるのも魅力(写真提供/橋本さん)
3階からの眺め。テラスの緑と視線の抜けが印象的だ(写真撮影/前田慶亮)
国際芸術祭の開催でアートの街へと躍進
アートに親しめる施設としては近隣に「アーツ前橋」もあります。閉館した商業施設を市が買い取り、コンバージョンした市立美術館は、既存の外壁をアルミパウチングで覆った意匠も斬新です。
「アーツ前橋」の外観。夜はアルミパウチングの曲面が一層引き立つ(写真撮影/木暮伸也)
さらに、街を歩けば小さなギャラリーも点在。なかでもユニークなのは「裏ノ間 re/noma」です。2023年にオープンしたこのアートスペースを運営するのは写真家の木暮伸也(きぐれ・しんや)さん。馬場川通り近くにある3階建ての建物は1階にDJブース兼用カウンターがあり、写真や絵画などアート作品の展示のほか、音楽イベントやポップアップショップなど木暮さんが面白いと感じる幅広いテーマの催しを不定期で開いています。
「以前は前橋中央通りの物件を仲間と借りてアートスペースを運営していたのですが、廃れていた街が活性化すると賃料が上がる可能性もありアーティストが離れてしまうというのは世界的にもよく聞く話。前橋が再生していくなかで、そうならないためにはきちんと拠点をつくったほうがいいかなとこの物件を購入しました」(木暮さん)
聞けば、木暮さんは街のアート活動と30年以上にわたって関わってきたそうです。アートで再生を目指す今の前橋はどのように映っているのでしょうか。
「アートを街に根付かせるにはインパクトだけでなく時間をかける必要もあります。なので、先の長い取り組みになるでしょう。また、『アーツ前橋』や『まえばしガレリア』のような核となる施設だけでなく、ここのような小さなギャラリーが無数にあることも欠かせません。まちづくりにもいえることですが、点と点の間にいくつものグラデーションがあることで、層が出来て立体的な奥行きが生まれるんです。僕が担うのはそのグラデーション部分。エネルギーがあるし、やっていて楽しいんです」(木暮さん)
木暮さんは1970年前橋市生まれ。県内を拠点に活動するアーティスト、白川昌生氏の薫陶を受けアートの世界へ。現在はアーティストとして活動としつつ県内外で主にコマーシャルフォトの撮影も行っている(写真撮影/前田慶亮)
スタジオと事務所を兼ねたギャラリー。「決め手になったのは広すぎないサイズ感。どんな作品も受け入れられる建物のニュートラルさも気に入りました」と木暮さん(写真撮影/前田慶亮)
2023年に開催された「PUNK! The Revolution of Everyday Life 展」の展示風景(写真提供/木暮さん)
アートという街の個性をより鮮明にするべく、2026年の9月~12月に「前橋国際芸術祭」の開催が決まりました。「JINS」の田中さんが総合プロデューサーになり、「まえばしガレリア」の橋本さんは事務局長に就任。単に有名アーティストやクリエイターを招くのではなく、まちおこしとリンクさせた企画によって前橋らしさが前面に押し出されています。
「前橋ビジョンの『めぶく。』も意識しています。若いアーティストたちが前橋に滞在しながら創作し、芸術祭で発表する企画はその一つ。芸術祭は1年おきの開催を予定していますが、回を重ねるなかで芸術を学ぶ若者たちの憧れの地になっていくといいなと思っています。もちろん、芸術祭を目当てに訪れた人たちに前橋の魅力を知ってもらいたい。2年に一度、訪れるたびに変化していく街の景色も楽しんでほしいですね」(橋本さん)
「前橋国際芸術祭」のロゴは同祭のデザインディレクター、木住野彰悟氏が考案。前橋の象徴である赤城山の稜線や、開催エリアを流れる広瀬川と馬場川の川筋などがモチーフになっている(画像提供/前橋市)
もう一つ、アートで注目したいのは、群馬県庁と前橋駅を結ぶ約1.5kmの道路空間です。群馬県と前橋市ではこの空間を歩行者優先のトランジットモールにする計画を進め、空間デザインの国際コンペが行われました。橋本さんによれば、このトランジットモールにはパブリックアートがちりばめられる予定とのこと。至る所でアートを楽しめる、いうなればミュージアムシティが前橋の将来像というわけです。
トランジットモールのイメージパース(画像提供/群馬県)
「前橋って何があるのって聞かれとき、以前は答えに詰まっていたんですね。なにもないわけではないけれど、これだという決め手がない。であれば、アートを柱にして後世に残せるものを自分たちでつくっていけばいいと考えたんです。50年後、100年後にはそれが街の誇りになると信じています」(橋本さん)
民間主導のまちづくりでは、「JINS」の田中さんや橋本さんのようなパワーのある推進役が欠かせなかった、と纐纈さんは振り返ります。力強く回るその歯車に行政支援の歯車が上手く噛み合い、再生に向けて前進することができたのです。
ただし、それだけで終わらないのが前橋の面白さ。並走するように、空き店舗を活用して新たな拠点を起こす小さなイノベーションが街のあちこちで起きています。自ら「まちづくりのB面」と名乗る人たちもまた個性派ぞろい。しかもそこには、「マチスタント」という肩書きで市の職員である田中隆太さんが深く関わっているというのです。次回は田中さんのアテンドのもと、にぎわいを生む前橋発のカウンターカルチャーを探っていきます。
●取材協力
MDC(前橋デザインコミッション)
太陽の会
白井屋ホテル
まえばしガレリア
裏ノ間

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