ラッパーにしてラジオDJ、そして映画評論もするライムスター宇多丸が、ランダムに最新映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論するのが、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」の人気コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」(金曜18時30分から)。
宇多丸:
はい。これね、劇中で出てくる……ちょっとこれを聞くだけで、笑顔がこぼれてしまいますが。劇中で出てくる架空のテレビ番組『ブリグズビー・ベア』のテーマ曲、ということでございます。ということで、『LEGO ムービー』などのフィル・ロード&クリストファー・ミラーのコンビが製作を務めたコメディータッチのドラマ。両親と3人で暮らす25歳の青年ジェームスは、大好きなテレビ番組『ブリグズビー・ベア』の研究に勤しむ毎日を送っていた。しかし、ある日両親は突如逮捕され、ジェームスの生活は一変する……とりあえず、あらすじはここまでにとどめておきますね。監督・脚本・主演を務めたのは『サタデーナイト・ライブ』にも出演する人気コメディーユニット、グッドネイバーのメンバーたち。さらにマーク・ハミル、クレア・デーンズ、グレッグ・キニアなどベテラン俳優たちが脇を固めているということでございます。
ということで、この『ブリグズビー・ベア』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。
主な褒める意見は、「好きなことを追い続けることや、人が好きなものを否定せず受け入れることの大切さ、そして人にとって物語や想像力が必要な理由を再認識できた」「劇中のテレビ番組『ブリグズビー・ベア』の本編を見たい」「マーク・ハミルが『最後のジェダイ』の数百倍、生き生きしていた」。そういうことは言わないの!(笑) 「『カメラを止めるな!』と合わせて見るべき映画」とかね、いろいろな意見がございました。一方、否定的な意見としては、「面白かったのは前半だけ。後半が退屈」「登場人物にリアリティーがなさすぎる。面白いのは設定だけで、映画の中身はとにかく薄っぺらい」などなどがございました。代表的なところをご紹介いたしましょう。
■「創作する人たちへのエールに満ちた作品」(byリスナー)
ラジオネーム「暴天」さん。「『ブリグズビー・ベア』、見てきました。
劇中におけるジェームスが『ブリグズビー・ベア』の制作に没頭する姿は、自らの鏡像を見せられているようでした。そして虚構だった『ブリグズビー・ベア』を通して血肉の通った関係が構築されていく様子も自らの体験をなぞるようで、こそばゆいような不思議な感覚に陥りました。『ブリグズビー・ベア』は創作する人たちへのエールに満ちた作品だと感じました。作る苦しさと楽しさ、これまで自分が経験したものを肯定してハッパをかけてくれました。
一方、ちょっとダメだったという方。「財団DX」さん。「『ブリグズビー・ベア』を鑑賞しましたが、残念ながら自分に合わない作品でした。もっとも残念だったのが……」。これは全然、ここはネタバレしてもいいところなので言いますけども。「……主人公を誘拐した2人がなぜ、彼に1人に見せるためだけに番組を制作していたかが明かさなかった点です。彼への贖罪か、残された良心か、映像作品への情熱か。はっきりとした動機もわからなければ、状況が状況なだけに『洗脳』と言われてもやむを得ないと思います。主人公が誘拐した2人に面会してその本心を聞く前に映画製作を始めても、とても違和感があり、飲み込めませんでした。
また、その周りの人がとにかくいろんなことを簡単に受け入れすぎる。もうちょっと拒否反応が強くてもおかしくないはずなのに、最終的な全ての登場人物が納得してオールOKというのどうなんでしょうか? あまりにリアリティーが欠けてるように感じます」ということでございます。
■「えっ、なにその話? めちゃくちゃ面白そうじゃん!」
はい。ということで『ブリグズビー・ベア』、私もヒューマントラストシネマ渋谷で2回、見てまいりました。本当にね、めちゃくちゃ入ってましたね。この番組の今週水曜でも言いましたけど、特集コーナーでお招きしたGucchi's Free Schoolの皆さんとですね、今年の1月にレナ・ダナムの『タイニー・ファニチャー』という作品――まもなくまた公開されますけど――『タイニー・ファニチャー』の上映とトークショーをした後に、渋谷東映の向かいの金の蔵で、朝までダベってしまったその時にですね。番組にも出ていただきました、字幕翻訳を手がけられた上條葉月さんが、「こんな面白い映画があるのに、日本でどうやら公開されなさそうだから、自分で買いつけようかと思ってる」っていうことで教えてくださったのが、まさにこの『ブリグズビー・ベア』でした。
まあ結局今回ね、配給はカルチャヴィルさんというまた別の会社が配給をされていますけども。その上條さんから教えていただいたそのあらすじというか、設定を聞いただけで、一同「えっ、なにその話? めちゃくちゃ面白そうじゃん!」って大盛り上がりしたという。最初は「えっ、なに? ドキュメンタリー? なに? 本当の話? 本当の話?」とかね、いろんなことを言っていたんですけどね。非常に盛り上がった。
で、あとそのデイブ・マッカリーさんとカイル・ムーニーさんっていうのは、先ほども紹介にありましたけども、グッドネイバーというコメディーユニットのメンバーでもあって。まあYouTubeに上げていたコメディー動画……いまでも見れますけど。コメディー動画が評価されて、後に『サタデーナイト・ライブ』の常連となるというような人たちですね。なので今回の作品でも、ザ・ロンリー・アイランドのアンディ・サンバーグとかがちょろっと出たりとかしますけどね。あと、まあさらに本作の映画化にあたって、フィル・ロードとクリストファー・ミラーという、非常に強力なバックアップも得たりとか。そうやって、その現代アメリカコメディー第一線のメンツが、こぞって後押しするのも納得、というぐらいですね、まずはこの『ブリグズビー・ベア』という映画、根本の発想がすごいな、と思いますね。
■「頭の中の自由だけは、何者にも侵されないんだ」
「なにその話? よくこんな話、思いつくな!」っていう感じですよね。まず、ド頭で始まる、いかにも80年代レトロなディテールに満ちた謎のテレビ番組、『ブリグズビー・ベア』っていう……これがもうなにしろ、めちゃくちゃキュートで。まずそのテレビ番組の映像に、すごい惹きつけられてしまいますよね。さっきのオープニングのテーマ曲とかもすごい可愛いらしくって。
で、そのいろんなディテールのレトロな感じ、チープな感じを含めて、コンバットREC的な……まさに「ビデオ考古学」ですよね。ビデオ考古学的なツボをビンビン突かれる、っていう感じですよね。すると、それを見ていたのは、子供番組を見ているにはちょっと似つかわしくない年齢の、無精ヒゲの目立つオタクチックな青年、ジェームスだった。どうやら彼は、両親と3人きりで、なんかに汚染された外の世界と隔絶した、シェルター的な住居に、おそらくこの歳になるまで基本、閉じこもって暮らしてきたらしい、という。そして、そこでの唯一の娯楽が、さっき流れてた冒頭の『ブリグズビー・ベア』という謎の、非常に長大な、異常に長い子供向けSFドラマシリーズであるらしい、みたいなことが浮かび上がる。
ただ、この時点ですでに我々観客には、いま言ったような世界観全体が、実は意外とチャチな作り物っぽいぞ、っていうことがほのめかされていたりもするという。そこでですね、マーク・ハミル演じる「父親」がですね……このまず、マーク・ハミル。言うまでもなく、もう言わずとしれた『スター・ウォーズ』のルーク・スカイウォーカー役。このキャスティングが意味する、何重もの深みっていうのもあるわけですけど。とにかくそのマーク・ハミル演じる「父親」がですね、明らかにやや作り物めいた世界を前に、主人公ジェームスに向かって、ある意味本作、映画『ブリグズビー・ベア』全体のテーマ、メッセージを、最初にズバリと宣言してみせるわけですね。
つまり、こういうことを言う。「人間と動物の違いっていうのは、人間は辛い現実の中にあっても、想像力で自由になれる。頭の中の自由だけは、何者にも侵されないんだ」っていうようなことを言う。で、実際にその後、主人公ジェームスは、「厳しい辛い現実の中でも」って言いますけど、実際、非常に辛い現実に直面することになるわけです。これまで自分が信じてきたものは全てまやかし、もう、おぞましくさえある理由を持つ作り物であったという、これ以上ないほど厳しい現実に直面していくことになるわけですね。要は、実は彼は幼少時に誘拐された……かつて大ヒットしたおもちゃのデザイナーの男と、数学者の女。これね、『ハピネス』とかのジェーン・アダムスさんが演じている数学者の女によって、誘拐された子供だったという。
で、問題のテレビ番組『ブリグズビー・ベア』は、なんと、その偽の父親が、ジェームスが見るためだけに作っていたものだった、という……すごい話を考えつくな!っていう感じですよね。
■自分と現実を擦り合わせするという「大人になるプロセスのメタファー」
で、我々はあらすじを最初に上條さんから聞いた時に、「うわっ、なにその話? めちゃめちゃ面白そうなんだけど!」ってなったんですけど。ただ、ここまでだったら、ちょっと『トワイライトゾーン』とかの中のエピソードにもありそうな、ちょっとこう皮肉なオチ話、みたいな感じ。ここで終わったら。あるいは、M・ナイト・シャマランが映画にしそうな……実際にちょっと彼の「ある作品」、タイトルを言うとネタバレになっちゃうんだけど、M・ナイト・シャマランの「ある作品」に近い話ではあるわけですね。
シャマランはまあ、基本的には『トワイライトゾーン』30分でやる話を、2時間でやってるような人なんで(笑)。なんだけど、この映画では、ここまでが一幕目なわけです。まだ全然、これは話の出だしなわけですね。二幕目以降、本題は、そうやっていったん崩壊してしまった現実と自分の関係を、主人公ジェームスがいかに再構築していくか、そういう話なわけです。で、これはもちろんね、さっきから言っているように、非常に特殊な設定の話ではあるんですけど、同時に、僕も含めて人間誰しも、親は選べないじゃないですか。あるいは、生まれる環境、そこでどう育てられるかっていうのは、自分では選べないじゃないですか。で、成長していくにしたがって、その自分が、親とかに育てられた環境の外側の現実世界と、その親とかに叩き込まれた自分っていうのを、すり合わせていかなきゃいけないじゃないですか。
これって、誰もが共通する、成長のプロセスですよね。誰でも当てはまる、大変普遍的なプロセス。その外側の現実と自分を一致させることがある程度できたところが、「大人になった」ってこともしれないから。これは、大人になるプロセスのメタファーなわけですね。で、なおかつですね、家族っていうのは、血縁があるからといって自動的に成立するものじゃなくて、家族っていうのはやっぱり、『そして父になる』ならぬ、「そして家族になる」っていう、そういうプロセスを経ないと成り立たないものなんだっていう、近年世界中で、さまざまな作品で、形を変えて描かれているテーマ。この『ブリグズビー・ベア』は、これも扱っていると言えるわけです。
ただ、その中で本作が特にユニーク、かつ感動的なのは、やはりメールにもたくさん皆さんが書いてらっしゃる通り、主人公ジェームスが、どうやってその本当の現実っていうのと折り合いをつけていくか、という部分で。まさに、さっきマーク・ハミル演じる作られた偽の父親、フィクションの父親が、フィクションの世界の中で、作られた世界の中で言っていたように、想像力を通して……つまり、あらゆる意味で「作りもの」であった偽のテレビ番組、『ブリグズビー・ベア』の続きを自ら作る、という。つまり、フィクションからの、想像力からの現実への働きかけを通じて、自分を癒し、傷を乗り越えていく、という、そういう話になっているわけですね。
ちなみにその、「映画を作っていく」というプロセスそのものは、ちょっと青春映画的な楽しさみたいなものもちゃんとありつつ……という感じなんですけど。実際、彼が作るこの『ブリグズビー・ベア』の続きの作品っていうのの、彼が考えてるそのストーリーっていうのはですね。まさにかつての「父」的な存在、。非常に強い「父」の支配から抜け出して、古い現実をいったん破壊して、新しい現実を再構築するっていう、そういうストーリーなわけですよ、彼が作ろうとしているのは。つまり、彼自身は無意識的にせよ、その映画を作ることが、自分に対してセラピーになってる、っていう構造を持っているわけですね。ただ、先ほどのメールにもありましたけど、周囲の人間……特に実の親にとっては、この『ブリグズビー・ベア』という作品世界、その存在自体が、本当に忌まわしい、要は誘拐犯が、息子をある種洗脳するために使っていた、おぞましい道具そのものですよね。
想像してみるとゾッとするじゃないですか。自分の子供をさらった犯人が作って、しかもそれを使って自分の子供を洗脳していたもの、っていう。本当におぞましい、見たくもないし触りたくもないようなものであるという。でも、そこにやっぱり、息子は依存せざるを得ない。現状は少なくとも、あるプロセスとして依存せざるを得ない、という。これを認めなきゃいけない。そこに生じる、非常に、極めて人間的な痛み、ってのも描かれている、ということですね。
■真に邪悪な人間は出てこない。
この『ブリグズビー・ベア』という映画に、ちょっと若干の甘さがあるとしたら、そのおぞましい、誘拐という罪を犯した人たちが、ただそこまで真に邪悪な人間ではない、というバランスで描かれているという部分ですね。たとえば観客が、決定的に嫌悪感、許せない!っていう風に思ってしまうような一線──たとえば性的なイタズラをしていましたとか、暴行をしていましたとか──そういうところは「それはないです」みたいな感じにしているところが……だからまあ、なんとか僕らも不快にならずに見ていられる。これ、もしそこの一線を越えた上で『ブリグズビー・ベア』をその彼が作るって言ったら、もっとちょっとこう、どんな気持ちになっていいか困る作品になっていたのを、そこは一線を越えないような作りになっていて。
そこをもって……僕はここがこの作品の中でいちばん、ある意味甘いっていうか、都合が良い作りになっているのはその部分だとは思うんですけど。ただ、ともあれこれはですね、元の作り手が罪を犯したとかね、あるいは正しくない成り立ちを持つ作品……近年、そこはすごく問題になりがちなところですよね。作り手が非常に問題ある人物だとか、あるいはその問題がある人物が作った作品。で、作品そのものもひょっとしたらダメなんじゃないか、みたいな風に後からなるということって、いまでも非常に問題になる件ですよね。なんだけど、それでもたしかにそこから影響を受けてしまったものが……その元の作り手の正しくなさとか、その作品の成り立ちの正しくなさを乗り越えて、自分なりの表現に昇華していくというような、要は単純な善悪では割り切れない表現論であるとか、アート論みたいなところにもなっている、と思うんですよね。
■「自らドラえもんとお別れをするのび太」という話
で、実際にですね、映画の中でも、作品の仕上げのためにですね、その主人公ジェームスは、偽の父親……要は自分を誘拐した、非常に重い罪を犯したそのマーク・ハミル演じる人物と、改めて対峙していくんですけど。そこで一見ね、セリフ上は、「いやいやいや、あのセリフが必要なんで……」みたいなことしか言わないんだけど、明らかに表面上のセリフとは別に、彼はしっかり、その彼が実際には何をされたのかという……その、自分が影響を受けた作品を作ったその人の罪っていうのも、彼はしっかり認識しているんだ、というような、セリフ上とは違うバランスがそこにはちゃんとあるんだ、というような描かれ方になっていて。
事程左様にですね、この『ブリグズビー・ベア』という作品、表面上のセリフとか態度と、その人物が本当に思ってること、シーンで示そうとしてることが微妙に違う、という局面が非常に多いんです。で、これは僕はやっぱり、優れた脚本とか作品の条件だと思っていて。そのセリフで言ったことがそのまま心情の説明になってるんじゃなくて、セリフじゃないことを本当は思っているとか。セリフ上では否定しているようなことを本当は思っているとか。そういうような、実は厚みのある描写をしてるあたり。非常にちゃんと大人な作りになってると思います。
で、最終的にはですね、この主人公ジェームスは、この映画を作り上げるプロセス、そしてそれが受け入れられる……自分で自分の居場所をようやく現実世界の中に作った、と確信できた瞬間に、これは僕の表現ですけど、言うなれば、「自らドラえもんとお別れをするのび太」、というような存在になっていくということだと思いますね。想像上の友達を、「僕はもう、君とはお別れだね」ということやっていくという。
だからここはちょっと、真に彼が「大人になってしまう」瞬間でもあって。ちょっとホロリとさせられるという。個人的にはその結論も含めて、いちばん僕が近いなと思ったのは、『ラースと、その彼女』という作品ですね。あの、ライアン・ゴズリングが主演で……非常に内気な青年が、いわゆるラブドールを恋人だという風に思い込むんだけど、彼が現実と折り合いをつけていくにしたがって、あれほど生き生きと人間のように扱っていたそのラブドールが、人形にしか見えなくなってくる、っていう……それは彼が大人になる、そして現実と折り合いをつけるプロセスなんだけど、ちょっと悲しい、というような。そこをちょっと思い出したりしました。
ジェームスは多分あの後、しっかり社会に、地に足を着けた大人になっていく。でもちょっとそれは、甘い幼年期との別れでもある、というあたり。『ラースと、その彼女』に非常に近いものを感じました。これ、ジェームスを演じているカイル・ムーニーさん、非常になんかご本人も人とのコミュニケーションが苦手で、ちょっと近いところがあるということで、このキャラクターを考えたらしいですけど。ちょっとどこか、僕は大好きな『ヤング・ゼネレーション』主演のデニス・クリストファーを思わせるような、非常に繊細な、そして無邪気さをたたえたような顔、そして演技。非常に素敵だなと思いましたし。
■創作あるいは成長を巡る普遍的寓話
あと、やはりマーク・ハミルですね。マーク・ハミルは、やっぱりそのフィクションと現実の狭間で、栄光と、やっぱり弊害というか……みたいなものを体現してきた、まさにそのシンボルのような存在。マーク・ハミル、このキャスティングも非常によかったですし。あとは刑事役のグレッグ・キニアさん。最初は職務を果たしているだけなんだけど、だんだん巻き込まれていっちゃう。そして自分もやっぱり、演技というものに対して情熱があったことに気づかされてしまう、というあの刑事役、非常によかったですし。あと、この全体の中では若干悪役的な役割、ちょっと損な役回りをあえて買って出ている、クレア・デーンズ。クレア・デーンズ、こういう役をやる、いい感じの……しかもむしろちょっと損な役回りを買って出たりするような、いい女優さんになったんだな、っていうのもすごく思いましたし。
あとは実のお父さんのマット・ウォルシュさんが、非常に見事にですね、さっき言った、非常に人間的な痛み……思わずその、息子にキレてしまう。いちばんの被害者が息子なのは分かってるのに、「25年間、私たちがどういう気持でいたのか、わかっているのか!」みたいなことを、いちばんの被害者に怒鳴ってしまう、っていうあの痛みの部分とか、非常に見事に演じていたと思います。まあ全体にね、さっきから言っているように、「善意の人しか出てこない」っていう甘さはあるんだけど、ただあの、「一歩外に出れば感じ悪い外部の人はいますよ」っていうのは、たとえばちょっとしたスーパーマーケットの場面とかでも示していたりするので。ちゃんとその苦みも、一応僕はセットされてると思いましたね。
で、仮に、要はその周りが善意の人だらけじゃなかったとしても、主人公ジェームスの持っている根本の強さ……彼は結局いろいろあっても、僕はやっぱり、その強さっていうのは揺るぎなかったんじゃないかと思うわけです。だからもうちょっと厳しい目にあわせても、結局この結末になっていたんじゃないか、と思う。で、その源っていうのはやっぱり、「何かが好き」っていうことですよね。一言でいえば、「何かが好きっていうのは、それ自体が救いになり得る」というね。この番組を聞いてらっしゃるような方はね、「ああ、よかったオレ!」って思ってると思うんですけど。
で、「何かが好き」ということ、それを突き詰めると、それを通して、人とも繋がれる、というね。まさに「ジャンクション」というかですね(笑)、という感じでもありますし。あとやっぱりですね、その『ブリグズビー・ベア』という、劇中で描かれる作品そのものが、もうやっぱりめちゃめちゃ、チャーミングなんですよ。なので、結構これね、メールでも書かれていた方がいましたけど、「あの『ブリグズビー・ベア』が全話見たい!」っていう(笑)。そんな気持ちもいたしました。
とにかく、創作とかね、表現活動というものを巡る……あるいは、成長と言うものを巡る、普遍的な寓話であり。あるいは、家族というものが再び、もう1回「家族になる」話という意味でも、ひとつのメタファーになっていたりとか。とってもキュートで、忘れがたくて、寓話として非常にいろんなことを考えさせる、という意味で、「今年ベスト」っていう風に胸に刺さる方がいるのも本当によくわかる、非常に見てよかった、素晴らしい一編でございました。是非是非みなさん劇場で、『ブリグズビー・ベア』、ウォッチしてください。
(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『未来のミライ』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。
■オマケ ガチャ回しパートにて
ちなみに、今回の『ブリグズビー・ベア』を作ったのは、グッドネイバーというコメディーユニットのメンバーが、主演であり監督なんですけど。YouTubeで「GoodNeighborStuff」っていうチャンネルがあって、そこに彼らのコメディー動画がいっぱい上がっているんですよ。で、英語がわからないとわかりづらいのもあるんだけど、たとえばいちばん再生回数が多い、114万回もある『best kids awards』っていう、いちばん上にあがっているやつとかは、英語がそんなにわからなくてもすごい笑えると思うんで。さすがでございます。めちゃめちゃ面白いんで。すごい分量がいっぱいあるので、『ブリグズビー・ベア』を気に入った方は、こちらも見ていただくとよろしいのではないでしょうか。