TBSラジオ『アフター6ジャンクション』は毎週月-金の18:00~21:00の生放送。
ラッパーにしてラジオDJ、そして映画評論もするライムスター宇多丸が、ランダムに最新映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論するのが、TBSラジオ「アフター6ジャンクション」の人気コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」(金曜18時30分から)。宇多丸:
ということでここからは私、宇多丸がランダムに決めた最新映画を自腹で鑑賞して評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこの作品……『シンプル・フェイバー』! 『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』『デンジャラス・バディ』、そして『ゴーストバスターズ』のリブートなどを手がけたポール・フェイグ監督が、ダーシー・ベルのミステリー小説『ささやかな頼み』を映画化。シングルマザーのステファニーは同じクラスに息子を通わせるミステリアスな美女エミリーと親しくなる。しかしエミリーは、ステファニーや家族に何も告げず失踪してしまう。出演はステファニー役にアナ・ケンドリック、エミリー役にブレイク・ライブリー、エミリーの夫ショーン役に『クレイジー・リッチ!』のヘンリー・ゴールディング、ということでございます。ということで、この映画をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は残念ながら、「少なめ」。公開規模もあんまり大きくないというのもあるのかな? でも、ポール・フェイグの新作は見てほしいな。賛否の比率は、「褒め」が8割、その他が2割。
原作を読んでいた人からは、「あの原作をよくぞここまで仕上げた!」というような高評価もございました。
一方、否定的な意見としては、全く同じ部分ですね。裏表。「ミステリーなのか、コメディーなのか、ジャンルをはっきり言い切れないのが不快」。まあ、飲み込みづらいと。「前半はスタイリッシュかつミステリアスで非常に面白かったが、真相が明らかになっていく後半に向けて失速」というようなご意見もありました。あと、厳しい中では「出来の悪い2時間ドラマみたい」というようなご意見もございました。
■「アナ・ケンドリックのコメディエンヌとしての才能がポール・フェイグの演出によりついに開花」(byリスナー)
代表的なところをご紹介いたしましょう。「ふんどしゆで太郎」さん。「女性同士のリアルでバイオレントで、ブラックユーモアあふれる罵り合いや友情を描く名手であるポール・フェイグの新たな傑作だと思います」と。で、いろいろと書いていただいて。
で、いろいろと書いていただいてですね。「……エミリーのインパクトをしのいで印象的だったのはアナ・ケンドリック演じる事実上の主人公ステファニーです。今作でいちばんヤバくて面白くてかっこいいのはステファニーであり、これまでもその素質は垣間見せていたアナ・ケンドリックのコメディエンヌとしての才能がポール・フェイグの演出によりついに満開に花開いたかと思います。天然であり、計算高くもあり、セクシーでもあり、過激でもある。何とも形容しがたいキャラクター。私立探偵的な活動でエミリーの過去を探り、極秘情報をゲットした後に、テンションMAXで……」。
ここ、タイトルは伏せます。ふんどしゆで太郎さん、メールにはタイトルが書いてあるんですが、そこは伏せます。「……とあるヒップホップ曲を車中で歌うくだりなど最高でした。『マイレージ、マイライフ』の頃からアナ・ケンドリック推しの私としては今作は現時点でのベスト・アナ・ケンドリック映画とって非常に愛すべき特別な作品となりました」という。
一方、ダメだったという方。「いそっち」さん。「ブレイク・ライブリー演じるエミリーのあまりにも常軌を逸したキャラクターが大変素晴らしく、彼女とのやり取りに戸惑いつつも乗りこなそうとするアナ・ケンドリックの健闘を含め、少なくとも前半は大変面白かったです。というのも最初はすごく魅力的で神秘的なキャラクターだったブレイクが、真相が明らかになればなるほどたしかに現実にはあまりないけど、映画の中じゃよく見かけるタイプのキャラクターに成り下がるため、途端に小者感が出ちゃって。それゆえに物語のテンションも後半に行くに従い、おしゃんでミステリアスな化かし合いからよくある犯罪物に矮小化されちゃった感じがしました。
宇多丸さんの言う『くもりときどきミートボール』でメガネをかけた状態の方がヒロインの本来の姿である、という意見がこのキャラクターに関しても通じるところがあり、ゲスなシモネタやブラックジョークで皮をかぶったお洒落でセレブな状態の方があの人物の本質を捉えていると思えるし。少なくとも後半の彼女よりも皮をかぶった状態の方が彼女の本質を捉えてるような気が僕はしました。もっとも、謎が解き明かされるたびに小者化していく彼女に対して主人公が虚飾の顔を身につけて変貌していく、逆転していく様が後半の見所なのであろうことはわかります。
それはそれで楽しくはあるのですが、やはり前半のライブリーのキャラクターが強烈で大変楽しいので、映画的には凡庸な本性があらわになるのは終盤まで先延ばしにして、むしろ映画の本質である虚飾で着飾らせた部分をもっとたくさん見たかったなあというのが正直な気持ちです」。なるほど。作品上の構造も分析して、わかった上で、でもまあやっぱりその、前半のインパクトにはちょっと劣るんじゃないか、というようなご意見でございます。
■現代アメリカン・コメディーの旗手ポール・フェイグ監督の新作は、スリラー……?
『シンプル・フェイバー』。私もTOHOシネマズ六本木で2回、見てまいりました。去年、2018年10月12日のですね、『クレイジー・リッチ!』評の中で、僕はですね、その『クレイジー・リッチ!』の劇中の、言わば「王子様」役であるヘンリー・ゴールディングさんについてですね、これまでほとんど演技経験がないこの方を、まず見つけてきたのがすごい、という話をした。
それこそ「ケイリー・グラント的な」という表現を使った。これ、「ケイリー・グラント的な」っていうのは今回まさにね、そういう要素もあるんですけど……ケイリー・グラント的な、古き良きハリウッドスター的な、「無条件なゴージャスさ」を自然に醸し出せる人。なおかつ、ちょっとケイリー・グラントっぽいのは、あんまりハンサムすぎて、内面がよく見えないタイプのハンサム、っていうか。そういうところも通じていると思うんですけども。
で、その彼があまりにかっこいいので、ハリウッド映画におけるその「イケてるアジア人男性」像というのを、今後も更新していく存在になるんじゃないのか……「実際、ポール・フェイグ監督の新作にも出るらしい」なんていうことを、この『クレイジー・リッチ!』評の中で言ったんですけども。その時点で、その役というのが、あの『ゴシップガール』のブレイク・ライブリーの夫役らしい、っていうのもわかっていた。つまり、「超イケてる」位置の役っていうことはもう、明らかだったんですね。ちなみにブレイク・ライブリーね、旦那はライアン・レイノルズですからね。
ということで、まさにその「ポール・フェイグ監督の新作」が、今回の『シンプル・フェイバー』っていうことですね。ポール・フェイグさんと言えばですね、2016年8月27日、ウィークエンド・シャッフル時代に扱いました『ゴーストバスターズ』のリブート評の中でも言ったんですけど……「ブロマンス」という言葉がありますね。男同士の、もうほとんど恋愛かっていうくらいの、男同士のイチャイチャを描く、ブロマンス……ならぬ、「ウーマンス」コメディーっていうね。女性同士の友情を描く、女性同士の友情をテーマにしたコメディー。それも基本的には、大人向けの……超えげつないブラックジョークとか、性描写とか、下ネタなどを大量に含むコメディーを得意としてきた、主にそこで評価されてきた作り手なんですね、このポール・フェイグさんは。
まあ『ブライズメイズ』だとか、僕が大好きな『デンジャラス・バディ』だとかね、『SPY/スパイ』とかもありますしね。どれも本当、最高の作品です。ちなみにポール・フェイグさん、キャリア初期は、1999年から2000年に放送された『フリークス学園(Freaks and Geeks)』という、非常に後のスターたちを大量に輩出したテレビシリーズの脚本、シリーズ構成を手がけていた、というような方なんですけど。その『フリークス学園』で、リンジー・ウィアーっていう役をやっていたリンダ・カーデリーニさんがですね、今回『フリークス学園』以来、ポール・フェイグ作品に出演して。しかも監督のインタビューによると、その『フリークス学園』のリンジー役のその後、っていうのを意識したキャスティングだっていうことを、はっきりと公言されていたりするんですけどね。
みたいな感じで、(リンダ・カーデリーニが)今回の『シンプル・フェイバー』にも出てらっしゃいますが。
ということでまあ、そんなポール・フェイグ監督の最新作『シンプル・フェイバー』。僕、予告を見た時点では、これまでの彼の作風とはかなり違う、シリアスなスリラーで今回は来たんだな、という風な印象を受けていたんですが……実際、ポール・フェイグ監督、いつもの演出スタイルは、ずっとカメラを回し続けて、演者にがんがんアドリブをやらせまくって、後で編集で面白いところを使う、みたいな、そういうやり方。要は、完全に今時のアメリカンコメディー演出、っていうのがこれまでのポール・フェイグさんの演出方法だったんですけど。
今回は、ミステリー要素も強いスリラー、つまり、ストーリーの骨格はしっかり守らないと、そこを優先させてやってかないといけないジャンルだからか、これは主演アナ・ケンドリックのインタビューの発言によれば、今回はそういう、わりとラフに演技させるスタイルというよりは、非常にコントロールを効かせた演出スタイルをやっていた、という。だから、いままでとはちょっとモードを変えてるってことは間違いないんですけどね。
■笑える『ゴーン・ガール』? ポール・フェイグらしい「ウーマンス・ノワール・コメディー」
とにかくまあ、原作となる小説があるわけですね。ダーシー・ベルさんという方の、これが長編デビューとなる『ささやかな頼み』という、日本だとハヤカワ文庫から出てます2017年の小説なんだけど、これ、出版される前から映画化権が売れていて。で、ジェシカ・シャーザーさんという、『アメリカン・ホラー・ストーリー』とか、映画だと『NERVE/ナーヴ 世界で一番危険なゲーム』とかを手がけた方が脚色して、ポール・フェイグと更に練り上げていった、ということになっているわけですね。
で、元の小説は、章ごとに……今回の映画だとアナ・ケンドリックが演じている、シングルマザーのステファニーが書いているブログ。今回の映画だと映像のブログ、「Vlog」と書いて「ブログ」っていうね、映像ブログ。小説だと普通のブログなんだけど、それと、それとは異なる次元の「真実」が語られる、ステファニーの一人称の章。で、後半からは、映画だとブレイク・ライブリーが演じているその謎に満ちた超絶イケてるママ友エミリーとか、あとはその夫のショーン、これは冒頭で言った通り、映画ではヘンリー・ゴールディングさんが演じている。
まあとにかくその、残りの2人の視点から語られる章も混じってきて。要は、前の方で語り手が言っていたことを読んで「ああ、こういうことなのか」って思ってると、後の方の章になると他の語り手が「いや、それは全然違う」っていう風に、違う「真実」を語ってくという。いわゆる「信用できない語り手」というスタイルでね、語られている、書かれている小説なわけですね。
で、今回の映画ではそれを、基本的にステファニーの視点に絞って、つまり分かりやすい一本道のストーリーには絞りつつ、彼女がセリフ上で言ってることと、そのセリフが重なって見える映像で見せられていることが、明らかに違ってたりするっていう、まさに映画ならではの語り口で、上手くスマートに、その「信用できない語り手」スタイルっていうのを映画に置き換えてるわけですけど。あと、この『ささやかな頼み』という小説、今回の映画版でも、とある……これ自体がちょっとしたネタバレになっちゃうんで、伏せておきますけど。とある有名なスリラー映画の古典のタイトルが、要は「その話みたいな企みなわけ? これ!」っていう疑惑として出てきたりするんですけど。
小説だと、その有名なスリラー映画の古典以外にも、今回の映画版でも非常に、明らかに意識されているヒッチコックの作品であるとか、あるいは『血を吸うカメラ』なんてね、そんなのまで、映画の引用がめちゃめちゃ多数出てくる小説でもあるんですね。なんですけど……まあもっともこの話から多くの方が連想するであろうものは、実際あちらの書評などでも「似たテイストの作品だ」という指摘は多かったっていうことなんですけど、ズバリこれはやっぱり、ギリアン・フリンの原作、そしてデヴィッド・フィンチャーの映画版。これ、僕は2014年12月27日に前の番組で評しました。『ゴーン・ガール』ですね。もう間違いなく、『ゴーン・ガール』っぽい。
ということで、いきなり身も蓋もない表現をしてしまえば、今回の『シンプル・フェイバー』は、『ゴーン・ガール』の――『ゴーン・ガール』も笑える部分はあるんだけど。まあダークなコメディーっていう面はあるんだけど――『ゴーン・ガール』の笑える要素をもっと拡大したような。で、まあ結局のところやはり、実にポール・フェイグらしい、いわば「ウーマンス・ノワール・コメディー」とでも言うべきですね、意地悪だけどポップな、怖いけど笑える、独特なバランスの一作になっていると思います。
■コメディー的な明るい空間で展開されるノワール
まずね、ド頭。ジャン・ポール・ケラーさんという歌手の『Ca S'est Arrange』。こんな曲が流れて(曲が流れる)。こういう曲に乗せて、いかにも60年代調のデザインの、タイトルバックが流れる。まあ、そうだな、過去の映画で言うと、『シャレード』とかそういう感じ、ってことでいいと思うんですけど。あれもケイリー・グラントですけどね。とにかく、こんな60年代フレンチポップスが、ポール・フェイグ監督ここ数年のお気に入り、ということらしくって。全編でまあ非常に印象的に使われていて。
たとえば、主人公のステファニーが、そのすごくイケてるママ友のエミリーの家に最初に招かれて。その、あまりにも垢抜けた暮らしへの憧れを隠そうともしない、というくだりで使われている、フランソワーズ・アルディの『さよならを教えて』っていう曲。これとか、めちゃめちゃベタですよね。ベタなフレンチポップス。あと、もちろんこのオープニングと対をなす、やっぱりすごく60年代調のデザインで出てくる、エンドクレジットのこんな曲。
これはね、ノー・スモール・チルドレンのカバーバージョンですけど、『娘たちにかまわないで』というね、セルジュ・ゲンスブールが書いた曲ですけど。これ、エイプリル・マーチというグループの英語カバー版があって、これは聞き覚えがある方がいると思いますけど、英語版のタイトルは『Chick Habit』という曲で、タランティーノの『デス・プルーフ』のエンディングで流れる曲ですね。
今回はこれのノー・スモール・チルドレンっていうグループのバージョンが最後に流れたりするんですけど。とにかくまあこんな感じのフレンチポップスが、あちこちで流れる。で、これっていうのは、特にステファニーの、「ここではないどこか」……郊外に普通に暮らしていて、シングルマザーで暮らしもそんなに楽ではないかもしれないけど、意識高くあろうとがんばりすぎてる節もあるステファニーさんの、ここではないどこか、こうではない人生への、憧れを象徴する、というような使い方だと思うんですけど。
その一方で、これは先ほどのメールにもあった通り、これはあえてタイトルなど伏せますが、ある超有名なヒップホップ・クラシック……もうヒップホップ・アンセムですね。クラブだったらもう、東京のクラブでも、ヒップホップ・クラブだったらみんな知ってる、みんなもうガン盛り上がりでサビを歌いまくる、というある曲がですね、要はステファニーの、後半である逆襲に転じるところで、「やってやったぜ、ざまあ!」感を出す演出で、いきなり……そのフレンチポップスでおしゃれにおしゃれに来ていたところに、いきなりゴリッゴリのハードコア・ヒップホップ・クラシックがブチ込まれる!というあたりが、やっぱりポール・フェイグ監督はさすが、これはもう現代アメリカン・コメディーの名手ならではのセンスですね。
という感じで、ここは本当にマジで最高なくだりですけども。とまあ、話そのもの、起こっていることそのものはかなりシリアスでハード、それこそノワール的なんですけども、まあこれは撮影監督のジョン・シュワルツマンさんとか、あとはプロダクションデザイン、美術ですね、家とかセットのプロダクションデザインのジェファーソン・セイジさんとか、あとこれ、今回は非常に重要な、衣装デザインのレネー・アーリック・カルファスという方……この方はたとえば『ドリーム』とかをやっている方ですけどもね。
まあ、こういうようなビジュアルチームの仕事も、明らかに意図的に……言わばですね、話はノワールなんだけど、「画的には影がないノワール」っていうか。郊外の、のっぺりと明るい、それこそコメディーが展開されるような空間で展開されるノワール、っていうのを目指してるわけですよ。ここが非常に独特ですよね。ちょっと見たことないバランスっていうか。で、その表面的な影のなさゆえの、その向こうにある何か、というものを感じさせもする、事実上の主人公ステファニーを演じるアナ・ケンドリック。
■衣装演出も目に麗しい、ブレイク・ライブリー演じるステファニーの魅力
これは先ほどのメールにもありましたけど、彼女のこれまで演じてきた優等生イメージっていうのを、逆手に取ったようなこのキャスティング。これがまず完璧ですよね。はい。要はなんて言うか、すごくいい子っぽすぎて鼻につく感じ、みたいなのを本当に逆手に取ったキャスティングだし。
後ですね、彼女が着るもの。冒頭の方ではやっぱり、お金はないけどなんか工夫している、みたいな。なんか涙ぐましいけど、うーん……っていうようなね。猫のソックスを履いて、みたいな。そういうね、彼女が着ているものっていうのが、彼女の内面的変化、キャラクター的な変化を示すという、まさに正統派「衣装演出」です。映画において、衣装・スタイリングっていうこと、それ自体がキャラクターとか物語を語る演出になっている。
これはですね、本当に全編で分かりやすく、正統派の衣装演出が楽しめる作品の、もう典型ですね。これはヒッチコックとかもまさにそうなんですけど。やっぱり話が進んでいくに従って、主人公が着てる服の色が分かりやすく変化していくという。それの典型です。そこが非常に楽しめる作品、というのは間違いない。で、ですね、対するエミリー。本作における、言うまでもなくファム・ファタール(運命の女)。要するに人の運命を狂わせる女役、ファム・ファタールを演じている、ブレイク・ライブリー。これはもう言わずもがなの素晴らしさ。
特にやっぱり、あの登場シーンですよね。雨の中、あれはポルシェかな、車から降りて、その足。(履いているのは)ルブタンですよね。非常にルブタンが毎回印象的に出ますけども、ルブタンのあの赤い裏が見えたヒールが、カツーンと……その足元が見えて、颯爽と、カツーンカツーンと、あの足がクロスするような歩き方の、スーツルック。これですね。このスーツルックっていうのが、さっき言ったポール・フェイグ監督自身のスタイルを真似してみせた、っていうスタイルらしいんですよ。
女性があのポール・フェイグのちょっとド派手なダンディスタイルというか、それを真似してみせた。後半、墓場のシーンで、ステッキを持って白いスーツで現れるところがありますけども、あのステッキなんかは、ポール・フェイグが450本持ってるっていうステッキ(を流用している)……しかもポール・フェイグは、「いや、ステッキって言うけど、あれは扱い方があって。ただの杖じゃねえんだよ」って言っていたのを、その使い方みたいな、ステッキさばきみたいなのをマスターした上で登場する、という。そういうようなところも楽しめる。
とにかくその登場シーン。雨が降っていて、傘を持って……ハットを目深にかぶって。そんな彼女が傘をさして颯爽と歩くのに対して、風に煽られて、なんか安い傘がブワーッと横切るそのタイミング、などなど含めて、そりゃあね、ステファニーも同性だけど「惚れてまうやろー!」な、まさに最強の登場シーン。もうここだけで5億点!っていう感じだと思いますけどね。で、さらに自宅に招いてですね、そのバリバリに、もうキメキメに決めたスーツルックを、やおら、いきなり襟からバリッと取って。で、カフスをこう外して……どんどん、要するにいきなり、急に露出が上がっていく!っていう感じ。ドレッシーさは保ったまま、露出が多い感じ。
あれはですね、インタビューによれば、男性ストリッパーの服の脱ぎ方を参考にしたっていうことらしいんですよ。とにかくそうやって、一応おとなしい主婦として暮らしているステファニーを、着実に籠絡していく。なんなら性的フェロモンでも、籠絡していく。その鮮やかな誘惑テク、っていうところでもう、我々も惚れ惚れして見るしかない、というくだりですよね。
とにかく本作はこの、ブレイク・ライブリー演じるエミリーの、何者にも決して縛られない、従わないぞ、という意思に貫かれているからこそ、もちろん本質として邪悪ではあるけども、たしかに抗いがたい魅力に溢れたこのファム・ファタールっぷりを、その衣装七変化……特に、スーツルックで、男っぽい着こなしの女性のセクシーさ、みたいなところで来ていたのを、クライマックスで、あっと驚く意地悪な、完全に悪意に満ちたモードチェンジを最後に見せるところも含めて、そんな衣装の七変化も含めて、見惚れつつ。そのアナ・ケンドリック演じるステファニーが、それに対してどう変化していくか、どう対抗していくか。
言動はとにかく、さっき言ったように優等生的に取り繕う体質がある彼女だけに、その取り繕いきれない部分のスリリングさ、そしてエロさ、というところですよね。アナ・ケンドリックがこんなエロく見えるか!っていう作品でもありますよね。原作と比べると、もちろんコメディー色も増して、グッとこう素人探偵的な見せ場も増えている、そんなキャラクターでございます。
■ミステリーからやがてコメディーへ。その奇妙なバランスこそが本作の魅力
あと、ショーンっていうエミリーの旦那を演じているヘンリー・ゴールディング。小説のように彼側の視点っていうのがない分、やっぱりさっき言ったようによりケイリー・グラント的な……この場合は、実際彼も役作りの参考にしたという、ヒッチコックの、ケイリー・グラント主演の『断崖』という映画があります。
あまりにゴージャスなハンサムゆえの、何考えてるかわからなさ、内面の見えなさ、っていうのが、異常に際立つキャスティングになっていたと思います。ちなみにこのショーン役、原作だと特に人種的な描写っていうのはあまりなくて、イギリス人で非常に金持ち出身でエリート金融マン、みたいな感じなんだけど。映画だとそれが、書けなくなった小説家、いまは大学で教えている、みたいなアレンジになってますけど。とにかく、その誰もが惚れずにはいられないイイ男役、っていうのを、特に言い訳、説明なしで、アジア系が演じている、という。これ、本当にやっぱり(過去のハリウッド映画におけるアジア人男性の描かれ方を考えると)画期的だと思うんですよね。
『クレイジー・リッチ!』は「アジア系」っていうテーマがあったけど、もうそこのくくりを取っても普通にハマる、っていう。これは素晴らしいことだと思うんですね。さすがポール・フェイグと言うべきか、脇のキャスティングも、たとえばインド系の人たちの配し方とか、非常に自然な、その人種構成の多様性の在り方、みたいな。やっぱりちゃんと「いまの映画」になってるあたり、さすがポール・フェイグだなと思ったりします。
ただですね、たしかに正直、ミステリーとしてのトリックは……これは元の小説がそうだから仕方ないんだけど、はっきり言ってこの話のトリックは、反則すぎます。それがありなら何でもありだろう?っていう風に思うし。で、おそらくポール・フェイグも、そこはあんまりマジに追求するのはちょっと無理があるな、と思ったからだと思うんですけど、映画版は、後半からより原作からのアレンジが激しくなってきます。だから、前半はあえての古典的スリラータッチ。ヒッチコックを思わせるようなスリラータッチ。音楽もちょっとヒッチコック風だったりしますけど。
で、後半からはどんどんどんどんアレンジが激しくなって、コメディー色も強くなっていく、という感じだと思いますね。ラスト周辺とかはほとんど、小説とは完全に別物になっていきます。主人公ステファニーとエミリーの関係もだいぶ違う感じになっています。興味がある方はぜひ、小説も読んでいただきたいんですが。ちなみに、今回の映画のエンディング、実はミュージカル調っていうぶっ飛んだエンディング、一旦撮ったんですけど、あまりにも試写で不評でカットした、っていう。これはインターネット・ムービーデータベースの情報ですけどね。
とにかく、おそらくポール・フェイグさんは、「謎解きそのものは、この話にとってはどうでもいい」と言わんばかりの語り口ですね。なので、謎解きの部分はもう、立ち話で全部済ます(笑)っていうあたり。で、どんどんどんどん荒唐無稽が加速して、ジャンルがスリラー、ミステリーから、コメディーへとスライドしていく感じっていうのは、たしかに後半に向けてある。そこがやっぱり違和感、飲み込みづらい、なんならガチャガチャしてるだけじゃないのか?と感じる方もいるでしょうが。僕は、やっぱりこの奇妙なバランスこそが、この作品特有の味わい、面白さになっている、という風に思います。
やっぱりポール・フェイグが撮ればこうなる、っていう作品になってると思います。あと、ポール・フェイグはやっぱり大人向けの作家なんだな、ってことを改めて確認した次第でございます。ということで、意地悪なダークコメディーが好きなあなただったら、確実に楽しめること間違いなし。あと、やっぱりファッション演出っていうのがいかに重要なものかが味わえる、堪能できる作品という意味でも、ぜひぜひスクリーンでですね、味わっていただきたい作品でした。面白かったです! 『シンプル・フェイバー』、ぜひ劇場でウォッチしてください。
(ガチャ回しパート中略 ~ 次回の課題映画は『ブラック・クランズマン』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。