TBSラジオ『辰巳琢郎の勝手にコンシェルジュ』毎週土曜 17時から放送中!(3月12日(土)放送分)

ゲストは先週に引き続き、『908号室 オーシャンビューテラススイート Room J 』にお泊まりの、女優:大地真央さん。

最上階10階にあり、 東京湾の一望できる
『エグゼクティブ オーシャンビュー テラス スイート 1007号室』でお話伺っています。

今週は、大地さんの幼少期のお話から...

兵庫県淡路島ご出身の大地さんは、三人姉妹の末っ子。
ご自身を ”活動的だけど、意外と引っ込み思案” と振り返ります。

大地「音楽会で花形のピアノに選ばれても、辞退してしまったりのど自慢大会では、年の離れた姉が振り付けとかを指導してくれてたのに、直前で『もうダメ!』って言って舞台には上がれなかったり。」

近藤「そこから、どういうきっかけで宝塚を目指されたんですか?」

大地「小さい時、日舞やピアノをちょっとだけやっていて...何も続かなかったんですよ(笑)全部ちょっとずつ。でも、歌手のバックダンサーになりたい、と思ったんです。」

辰巳「誰かアイドル歌手とか、どなたかのファンだったんですか?」

大地「いや...周りはアイドルとかは好きでしたけど、植木等さんが好きだったんです(笑)音楽ができて、お笑いができて、それでスマートで。そういうところが良いなと思って。あんまりキャピキャピしてなかったんです。」

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父親の勧めで宝塚音楽学校へ

大地さんが漠然と芸能界に憧れだした頃、お父様は猛反対!
それでも、芸能界への憧れを捨てきれない大地さんに、お父様はご友人に相談されたそう...

大地「その方が、すごい宝塚ファンのおじさまで、『宝塚なら、安心して預けられる学校だよ』と。それで、父が宝塚音楽学校を受けてみるか?と言ってくれたんです。」

辰巳「宝塚の舞台は観たことあったんですか?」

大地「1度もないまま受験して、入団してから、初めて観劇しました(笑)”わースゴイ!良いところに入団した!”って驚きましたね。トップになれた時に、審査員してくださってた演出家の先生に私はどうして入団出来たのか伺ったら、『その時に出来る人ではなく、可能性のある人を選ぶんだよ』とおっしゃってくださって。」

近藤「まさに、原石だったんですね!」

大地さんは、1971年に宝塚音楽学校に入学。
宝塚に入団したからには自身の男役を作り上げたい、という強い思いで突き進み、
見事、月組トップスターの座につかれました。

宝塚時代で最も思い出深い作品について伺うと、スカイ・マスターソンを演じた『ガイズ&ドールズ』をあげてくださいました。

大地真央【芸能界入りを反対した父親との思い出】

芸能界入りを反対していた父親からの、忘れられない言葉

大地さんは、27歳でトップの座についた後、29歳で退団されました。
芸能界入りを反対していたお父様でしたが、大地さんが主役をされる際には観にきてくださったのだそう。

大地「この席で観てねって言っても、『ファンの方々より前では観られない』って必ず後ろに行くんですよ~!そういう父でした。

3人姉妹だったんで、男役が嬉しかったんじゃないかな、と思いますね。すごい優しい父で、怒られた記憶もあんまり無いくらいです。」

近藤「お父様に言われて、心に残っている言葉などありますか?」

大地「『実るほど頭を垂れる稲穂かな』ですね。偉くなっていっても、みなさんに感謝すること。あとは『人生の波には逆らうな』ですね。良い時も悪い時もあるから、良い時は調子に乗らず悪い時は足掻かず、それには意味があるよって言ってました。」

辰巳「そういうのがしっかり残っているのは、素晴らしいです。」

今週はここまで。来週も、大地真央さんにお話伺います。

大地真央【芸能界入りを反対した父親との思い出】
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