TBSラジオ『アフター6ジャンクション』(平日18時~)の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。
今週評論した映画は、『野球少女』(2021年3月5日公開)です。
宇多丸:
さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、3月5日から劇場公開されているこの作品、『野球少女』。
(曲が流れる)
韓国ドラマ『梨泰院クラス』で大ブレイクしたイ・ジュヨンが、実在の選手をモデルに、プロ野球選手を目指す女子高校生を演じた青春映画。天才野球少女と呼ばれるチュ・スインは、母の反発を受けながらも高校卒業後、プロ野球選手になるべく練習に励んでいた。しかし、女性というだけで正当な評価をされず、プロテストすら受けられない。そんな中、新たなコーチと出会ったことで事態は変わっていく。監督を務めたのは本作が長編デビューとなるチェ・ユンテさんでございます。
ということで、この『野球少女』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)を、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は「非常に多い」。皆さん、ありがとうございます。
主な褒める意見としては、「圧倒的に女性が不利な野球界で、それでもプロを目指してひたむきに努力する主人公スインの姿に心を動かされた」「コーチや監督もいいが、なによりお母さんのエピソードに泣いた」。先ほどね、(金曜パートナー)山本匠晃さんともちらりとお話しましたが。「主演のイ・ジュヨンが素晴らしい」などがございました。一方、否定的な意見としては、「思いの外、地味で暗い話だった」「主人公や周りの人間たちの掘り下げが浅い」「野球のシーンにリアリティがなく、話に入り込めなかった」などがございました。
■「150キロのストレートでこちらの心に届く映画でした」byリスナー
代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「ありばる」さん。今日はどちらも女性のをご紹介しようと思いますけども。ありばるさん。「想像していたスポ根物やスター誕生物ではない、150キロのストレートでこちらの心に届く映画でした。序盤でなぜスインがここまで野球に打ち込むのか、こだわるのかが理解できず、話の後半で明かされるんだろうなと思いながら見ていました。が、チームメートのジョンホ(幼馴染)が『リトルリーグから野球を続けているのはスインと俺だけだ』と言った時に分かりました。
トライアウトの会場で最初は『女かよ』とスインを小馬鹿にしていた男子たちが彼女の投球を見て顔色が変わり、彼女が野球少女ではなく、自分たちと同じ野球選手なのだと気づいてエールを送るシーンが好きです。性別とか人種とか、そんなものは関係ない。好きなことだけを極めてきて、その上を目指していく人たちの一体感。チームで戦うとはこんな風に相手をリスペクトできる、長所をいくつも集めて最強の集団を作ること。
個人が自分の短所を補おうとするのではなく、1人ずつの長所を見極め、そこを磨いていく。これはスポーツだけではなく、自分が何かをやる時にも参考になる考え方だと感じました。周囲の男子に疎まれながら孤独に野球を続けるスイン。イケメンのコーチやチームメートを出しても安易に恋愛に持っていかない。
一方、ちょっと否定的な意見で、こちらも女性の方なんですけども。ラジオネーム「4インチのオレンジ」さん。「女性がプロ野球選手を目指すというストーリーを聞いた瞬間、『これは見なくては』と思いました。というのも私は小学生の頃、少年野球チームに入り、男子に混じって野球をしていたのです。評判もいいということで期待していましたが、感想は正直『うーん……』といった感じでした」と。で、共感するシーンもあったりするとおっしゃっていて。その劇中でスインが周囲の人から受ける……要するに、「女の子なのに野球をやってるなんてすごいね」という褒め方が、自分的にはすごく違和感がある。好きで野球をやっているだけなのに、上手くもないのに女の子だから褒める、っていうところにすごく違和感があった、という。
それでだんだん、野球の話題をすること自体が苦手になってきちゃった、というようなお話をしていただきつつ。
その後の野球部とかの描写も、やっぱり野球をやってた側からすると違和感がある、という。これはだから、こういう「精度あるある」と言いましょうかね、「これ自体、特集になるね」と言ってるような……あるものに詳しいと、それの部分の描写が甘いだけで、やっぱりちょっと(作品全体に)入り込めなくなる、という。これは他の、僕自身も自分が詳しいジャンルでやっぱりあったりすることなので、「ああ、そうか」という感じがします。僕は気づかなかった部分ですが、4インチのオレンジさんの指摘でなるほど、と思いました。
「なによりも気になるのは、高校野球部員たちのスインに対する態度。野球部内でのスインの立ち位置です。プロ入りを果たした幼なじみの他にスインと野球部員がコミュニケーションを取っているシーンが見られず、距離感が掴めませんでした」と。これもご自身の経験と照らし合わせて、ご自身はやっぱり少年野球チームに所属していた時、最初のうちはかなりいじめられたという。
「映画の出来としてはあまり肯定的になれないのですが、彼女を見ているとその強さを尊敬すると同時に、『当時の自分はもっと頑張れたんじゃないか』という悔しさが込み上げてきて、エンドロールでは涙が出てきました。他にも思うところはありますが、鑑賞して間もなく、まだうまくまとまっていません。これから当時を振り返りつつ、気持ちを整理したいと思います」というような。だからある意味、主人公のその歩みというのに自分を重ねて、ちょっと自分を悔しく思うところもあった、というような。なかなか切実なご意見だったと思います。ありがとうございます。
■「こんな小さな話がクライマックスの映画ってないよね」
ということで『野球少女』。私もTOHOシネマズ日比谷で2回、見てまいりました。『シン・エヴァンゲリオン』で賑わう中でもなかなか、そこそこ入っていたんじゃないかなと思います。小さめのスクリーンではありましたけどね。ということで、この番組内ではすでに、ちょいちょい話題に早くから出していて、期待が高まっていた一作なんですね。
なんなら、語り口は割とスローモーというか、決してポンポンポンポン、テンポよく進んでいく感じじゃない。むしろ、三歩進んで二歩下がる、が繰り返される的な、人によってはもどかしささえも感じるかもしれないようなペースだし。全体にですね、はっきりとスカッとしたカタルシスがあるような見せ場もそんなに多くない上に、クライマックスでさえ、起こっていること自体はこれ、野球映画史上、スポーツ映画史上でも、最もミニマムというか、「こんな小さな話がクライマックスの映画ってないよね」っていうぐらいだったりする。そんな部類だったりする。
しかし、そうした極めて抑制の効いた語り口、構成こそが、この『野球少女』という映画の僕はすごいところ、素晴らしいところだ、という風に思っていてですね。まあ結果として、それが……要するに全体としては、非常に抑制していることが最終的に大きな感動を呼ぶという、エンターテイメントとしてのその機能というのももちろんそうだし、物語のテーマ、本作が最終的に世に問おうとしているメッセージとも、実はこの語り口が見事に一致していて。それはやはり、これが長編デビューとなる脚本・監督のチェ・ユンテさんの、優れた手腕の賜物だと思います。
たとえば、決してテンポよくことが進まない話運びとも言える、というのがこれは全て、作為的な意図、周到な意図のうちだった、ということに、エンドクレジットを見るぐらいでようやく改めて気づく、みたいな感じで。まあ、「ペーシング」っていう言葉がありますけども、その語っていくペース、ペーシングが、実は非常に見事というか、そんな感じだと思います。さっきも言ったように脚本・監督のチェ・ユンテさん。これが長編デビュー作で。
■肩身の狭いお父さんは、監督デビューするまでの監督自身の姿?
これ、プロフィールの記述からすると、2016年、韓国映画アカデミーを卒業、その年に短編を撮られているので、おそらくはこれ、卒業制作的な作品でもあるのかな? 『Knocking on the Door of Your Heart』という28分ほどの短編を作っていて。これが一応、この『野球少女』の前の作品ってことになっていて。で、これは全部YouTubeで見られるので、ぜひ皆さんも見ていただきたいですけど。
割とはっきり今回の『野球少女』に連なるタッチの、青春物で。特に小道具とか、あと間接的な言葉の表現というのを、要所で的確に機能させることで、言ってみれば人間の「伝え下手」な部分というか、言葉ではうまく伝えられないでいる部分の機微をこそ、浮き彫りにして、キャラクターやストーリーに落とし込んでいく、みたいなところ。そういう今回の『野球少女』でも非常に全開になっているチェ・ユンテ監督の資質が、既にこれ、発露しているな、という風にこの2016年の短編『Knocking on the Door of Your Heart』を見て、僕は思ったりしたんですけれども。
まあ、そこからね、長編商業映画デビューまで、なかなか時間がかかって……ということで。今回のその話も実は、監督個人の思いも重ねられてる、っていうことなんで。そう思って見ると、主人公のスインの苦労もそうなんだけど、ご家族の中で、日本で言えば宅建なんですかね、資格を取るために、ちょっと家族の中では肩身が狭い、その甲斐性なしみたいなことになっちゃっている、あのお父さんの立場も、実はこれ、チェ・ユンテ監督の、監督としてデビューするまでの数年間で味わった感じだったりするのかな、なんてね。勝手に推測したりしましたけどね。
で、とにかくたぶん、おそらくはそのドラマシリーズ『梨泰院クラス』でもう本当に大ブレイク……おいしい役でしたからね。イ・ジュヨンさん、というね。これ、岡本敦史さんの記事で僕ははじめて知りましたけども。元々は韓国インディーズ映画界ですごく注目されてきた方で。それで『梨泰院クラス』で、メジャーシーンで大ブレイク。で、おそらく彼女の主演が決まったことでこの企画そのものが形になっていったのであろう、という風には想像されるんですけど。
実際にね、そのイ・ジュヨンさんの、ちょっとジェンダーレスな存在感というかね、独特の魅力っていうのがあってこそ、ですからね。あと、もちろんそのスタントなしでね、訓練して、その「プロを目指す投手」というのを演じてみせたというその役者根性……ただ、これのね、先ほどのメールにもあった通り、野球選手の動きとしてのクオリティーの部分っていうものに関して、私はちょっと分かってなくて。そこで引っかかる人がいるって聞くと、「ああ、そうなのかな」とちょっと思ってしまいますが。はい。でもとにかく、彼女があってこそ、の作品なのは間違いないということですね。
■システムに組み込まれ、我々の中に内面化されてしまった「不公平」を「野球」をメタファーにして暴く
ではこの『野球少女』、実際どんな映画なのかというと……まず最初に字幕で、要は韓国のプロ野球界、かつては医学的に男性に限る、というような文言が決まりとして明記されていたんだけど、それが今は撤廃されてますよ、っていう字幕が出るわけです。これはたぶん、たしか日本でも、ほぼほぼ同じような感じですね。かつてはその文言があったけど、今はない。でも、これってつまり、こういうことだと思うんですよね。制度上は、性別による障壁はなくなっています……なんだけども、では実際にそれまで男性が支配的だった領域に女性が行こうとすると、そこにはやっぱり、見えない壁が、いわゆるまさに「ガラスの天井」が待ち構えている、という。要は社会全体の状況の話の、メタファーとも取れる、っていうかね。
今回のこの話全体が、そういうメタファーとも取れる。社会全体の女性進出……「いや、差別はもう撤廃されてます」って言うけども、実際は、進出するにあたってはいろんな壁とか、後ほども言いますけども、実はシステムに組み込まれている不公平があったりする、みたいなことの、ひとつこれは野球を舞台にしたメタファー、という風な読み方もできるかなと思うんですよね。
特にこの『野球少女』の場合ですね、さっき言ったように、基本、ものすごく現実に即したというか、本当に荒唐無稽なことは全くない話の作りなので。その主人公のスインが、女性として唯一、野球部に在籍しています、という。これ、パンフに載っている室井昌也さんという方の、韓国野球事情に関する解説によればですね、これは僕は初めて知ったんだけども、韓国では、高校の運動部で部活動をしているような人は、基本その道のプロを目指してる人だけ、なんだそうです。
なので、そんな中で、結局その主人スインは、プロ野球球団から指名されなかった。ただ、この「指名をされない」ということは、彼女が女性だから云々という以前に、まあ速球を投げられるかどうかという、そのプロとして要求される能力を満たしていない、という、現実のその限界の問題があったりするわけですよね。
で、一方ではですね、その指名されたスインの幼馴染……これを演じるクァク・ドンヨンさんという方の、なんかキョトンとした虚無的なイケメン、みたいな、あれがすごく役の佇まいにハマっていて、すごくよかったと思いますが。まあ、そっちは指名されて……ということで。ならばということで球団のトライアウト、いわゆるテストですよね、実技テスト、志願してやるやつをやろうとするんだけど、これはもうはっきり性差別的な視線で、「女性だから」という偏見ゆえに、事実上、門前払いされてしまう。
つまり、ここはその2つ、女性を阻むものっていうものが、2段階、あるわけですよね。そのトライアウトの門前払いするような、あいつみたいな、まあ分かりやすい性差別のせいで行く手を阻まれる、という、そういう分かりやすい善悪の構造、だけではなく。もちろん、それも厳然としてある、ということも描かれてますけど、それと同時にですね、もう一層あって。そもそも腕力とか、男性が得意とする、とされている条件……まあ、僕はそれも、全体としては本当は怪しいものだな、という風に個人的に思ってます。
たとえばその筋力云々なんて、俺よりも筋力がある女性はいっぱいいるわけで、とか、その男性の平均よりはるかに筋力がついている女性っていうのも現実にいるようになっているから、そこすらも僕は怪しいと思うけども。まあ、そこのみが……要するに、男性が有利とされる条件のみが、「能力」としてカウントされている。でも、それは本当は、後に明らかになるように、その「能力」のあり方っていうのは、本当はさまざまだし、たとえば野球は、その多様性というのを実は許容し得る競技であるもののはずなのに、現状はとにかく、そもそも資質的に不利な条件で戦わなければいけない。
その、男性が得意とされている領域のみが条件として提示されているところで、戦わなきゃいけない。本当はそうじゃないかもしれないのに……という。つまり、社会全体がだから、制度として文言上は「障壁はないですよ」って言っているけど、でもそこの選別の中にある種、性差別的なシステムが実はやっぱり入り込んでるし、なんなら主人公自身も、「どうせ剛速球には勝てないよ」なんて弱音を珍しく言うぐらい、そこを内面化してしまっている、思い込んでしまっている、という話ですよね。
つまり、こちら側もある程度、制度を内面化してしまっているからこそ、見えづらいし、突破しづらい、そのさっきから言っている社会における「ガラスの天井」というのが、ここでは野球というものをひとつの媒介として、観客には次第に可視化されていくわけですよね。「ああ、これはそもそもちょっと、条件になにか不公平が仕込んであるじゃないか」みたいのが見えてくるわけです。だから、たとえばその、選手としての自分の挫折を投影するかのように……つまり、無意識的にせよ自己正当化のために、当初はそのスインの挑戦というものに否定的な、イ・ジュニョクさん。これ、本当に見事に演じられていましたそのコーチとか。
あるいは、やはり家族を支えるために必死だからこそ、「自分の人生を諦めたのよ」っていう思いも実は抱いてるあのお母さん。これを演じるヨム・ヘランさんの、本当に鬼気迫る演技もあって非常に……その鬼気迫る演技があってバランスが取れているけど、個人的には、もうちょい彼女自身の自己実現みたいなものも物語上にちょっと用意してあげておいてよ、っていう気はするけども。なんにせよこの、お母さんの立場という部分に関しては、『はちどり』世代とそんなに変わっていない感じがちょっと、またひとつの現実かな、という感じもしましたけどね。
■テーマ的に本作に一番近い作品は、クリント・イーストウッドの『インビクタス/負けざる者たち』!
まあとにかく、そのお母さんも含め……お母さんも要するに、そういう自分の忸怩たる思いというものがあるから、主人公の自己実現っていうところに対して、どうしても肯定的な言葉をかけてあげられない、という。ともあれそういうような、それぞれに夢というものに対するちょっと忸怩たる思いを抱えた人たちが、その制度というものを内面化して……「どうせダメなんだ」を内面化してしまっているわけです、最初は登場人物たちほぼ全員が。
なんだけど、主人公のスインだけは、さっき言ったように「速球じゃなきゃダメだ」とか、その手段に対するある種の思い込み、限界イメージみたいなものの内面化、みたいなものはあるんだけども、目的に関して……つまり、「自分はプロ野球選手になれるはずだし、その方法もあるはずだ」というこの確信だけは、一貫して揺るがない。ここがこの『野球少女』、すごく芯に当たるところで。
つまり、こういうことだと思います。要は、ある1人の人物の、それだけは揺るがない信念とか理想とか、あるいは情熱といったものが、周囲の人たちに「波及」し、「伝播」していく。で、それはやがて、要するに元々みんなが内面化してしまっていたからこそ動かしようがないと思い込んでいただけの現実そのものを……その情熱の波及・伝播によって、現実そのものが、本当に変わっていく、それを変えていく、というような。1人の人間の情熱から始まったものが、変えていく。
つまり、その意味においてこの『野球少女』は……こういう風に要約できる話だと思うんだけど。要は、試合とかの勝ち負けの話ではないわけですね。これ、その意味では僕、一番テーマとして近い作品は、クリント・イーストウッドの『インビクタス/負けざる者たち』じゃん!って思ったんですよね。これは実は『インビクタス』に一番近いような話だし、作りもそれに近い話だという風に思います。さっき言ったように、人によってはもどかしささえ感じるかもしれないようなスローな語り口、決してポンポンと調子よくは行かない本作のテンポ感も、これはまずひとつ、現実のその女性の社会進出というものがそんなに調子よく行くものじゃないから、という、その現実の反映であり。
そして、現実を変えていく力というのは、『インビクタス』において「ラグビーの非直線的な構造」というものが(作品全体の語り口としても)打ち出されていたのと同じく、ある人の理念や情熱が周囲に伝播し、やがて現実をちょっとだけ変える、というこの物語のテーマを、この語り口がそのまま体現している、という。いったん横に行ってから前に進む、みたいなところもあるかな、というかね。ということで、まず最初にそのスインの情熱に感化されてしまうのは、さっき言ったそのコーチなわけですね。
しかも、これもいいのは、従来のスポ根にありがちなコーチ・選手の、主従関係ではなくて。たとえば「俺はプロになれなかった人間だぞ? それなのにコーチでいいのか?」っていうこの質問に対する、主人公スインの、しびれるほどにかっこいい返答! とかね。こういうあたりでも、全然旧来の主従関係ではない、むしろコーチ側が感化され、引っ張り上げられる役でもある。でもって、彼側からする指導もですね、さっき言ったようなその速球勝負、腕力勝負というような、言わばそもそも男性に有利にできている、男性中心的な条件に乗っかるのではなくて、スインが元々持っている資質を生かした……つまり、長所を伸ばして戦えばいいんだ、ということを言うわけですよね。
ということで、僕は……たとえば僕自身も、日本語ラップに臨む時であるとか、受験に臨んだ時とかの考え方にも近くて。これ、非常に普遍的に役立つ考え方だとも思うし。で、実際にそうやって多様な勝負の仕方がある世界の方が、どう考えたって豊かだし、楽しいじゃん!っていう風にも思えるわけですよね、これはね。野球だって、だからその速球勝負、力が強い方が勝つ、っていうよりも、そっちの方がよくない?って感じもするわけです。で、まあその間にね、一応しっかり『ロッキー』オマージュなトレーニングモンタージュとかもあったりするんだけど。
■タメにタメたラストの一球勝負だけはドラマチック! このために本作のスローな語り口はあった
さっき言ったように、とにかく語り口に抑制が効いていてですね、必殺のナックルボール!というのを身に付けた後も、たとえばその中盤の練習試合くらいまではまだ、その「勝った!」みたいなのとかは、見せないわけです。完全なカタルシスまでは味わせてくれない。引っ張って、引っ張って……そのクライマックスの、プロ球団のトライアウトをようやく受けることになった、というそのシークエンスまでは。
で、しかもこのトライアウトシーンも、とにかく「タメ」がすごいわけです。引っ張って、引っ張って……まず、スインとちょっと近い立場の、そのアメリカのアマチュアリーグにいたという設定の、女性の選手。この彼女のたたずまいがもう、完全に本物にしか見えないんだけども。その女性の選手を、先にその勝負の場に立たせて。で、ベンチは要するに男性選手が多いから……無自覚で、悪気なくではあるんだろうけども、やっぱり女性に対して冷ややかなベンチのそのムードの中で、その2人の間に、もの言わぬ連帯感を、まずそこはかとなく漂わせる。最初は本当に目線だけとか、ちょっとした表情だけで、その連帯というのを漂わせておいて……からの、ついにそのスインが、マウンドに立って。
すぐにはナックルボールで勝負に行かず、他の選手に、一旦はナメくさらせてから……いったんナメさせて、観客にも「おい違うんだよ、実力は違うんだよ!」ってやきもきさせて、さんざん高めておいてからの、さっき言った情熱の波及と伝播、それが少しずつ少しずつ、周囲の人々、さっき言った女性の選手から、だんだんとその冷ややかだったベンチのムードに、だんだんとその熱が広がっていく、という。この広がっていくプロセスの、これはささやかだけど、なんと貴く美しい光景であるか。
そしてそれを、お母さんも目の当たりにして、熱が伝播する……という、二重、三重の波及効果が描かれていく。極端なことを言えば僕はここに、「スポーツを見る」ということの意義の真髄が、このシーンに現われている、とさえ思った。ともあれ、その球団監督の指示で、なんとその現役のプロ野球選手、打者と勝負することになってしまったスイン。で、ここでまたさらに、チェ・ユンテ監督、まだまだ段階を踏んで、タメて、タメて……いったんミットを変えるとか、もうタメてタメて、からのラスト、1球勝負。ここでですね、満を持して……これまで抑制に抑制を重ねてきたこの映画、ドラマティックな演出、みたいなことをあえてしてこなかったこの映画が、この1球だけは、ドラマチック!っていう演出を、ポーンと全集中してみせるという。この鮮やかな緩急のつけ方、ってことですよね。
そしてまあ、その勝負が……文字通り「斜め上」をゆく勝負の決着の行方、とか、本当にお見事だと思います。このためにこそ、本作全体の、抑えた、スローな語り口というのはあったんだ、ということがね、ここに至ってわかるわけですね。しかも、さらにその後もですね、もう一段階、ひねりの効いた展開が用意されている。これはサービス的にも、そしてテーマ的にも、本当に見事なものですし。なにより、スインの理想、情熱の波及が、たしかにこの、ある具体的な結果を出したんだ、という。つまり、「あなたにも世の中を変えることはできますよ」というメッセージを、最後に発している。これはですね、女性はもちろんのこと、全ての「あなたには無理」と思い込まされている、思い込んでいる、全ての抑圧された人に、巨大な希望を与える結末であり。
でも、それはもちろん、楽な道じゃないんですよ。なんだけど……ということを示すことで、見事な着地になってるんじゃないでしょうか。ちょっとその、野球描写のクオリティー云々というところは残念な部分があったとしても、その監督の語り口の見事さ、そしてそのメッセージの出口の射程の長さ、という意味で、僕は本当に素晴らしい作品だと思います。心底感動いたしました。ぜひぜひ『野球少女』、劇場でウォッチしてください。
(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『あのこは貴族』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。
◆3月12日放送分より 番組名:「アフター6ジャンクション」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210312180000