ゲストは先週に引き続き、登山家の野口健さんです。

最上階10階にある 『エグゼクティブ オーシャンビュー テラス スイート 1007号室』
で 東京湾を眺めながら、お話伺っています。

野口さんは、明日8月21日がお誕生日!
よくお酒を嗜んでいらっしゃる野口さんの姿をよくSNSでお見かけしますので、
ホテルオリジナルワインをプレゼントしました。

野口「じゃあ、今度ここの部屋に...誰と来ようかな?」

要「お嬢さんとぜひ!」

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ずっと忘れられない…藤巻亮太さんの一言

今週はまず、世界各国の山々を登ってこられた野口さんの”忘れられない旅”について伺いました。

1つは、意外?!な友人、レミオロメンのボーカルである藤巻亮太さんとの旅。

仕事で出会い、偶然飲食店での再会を果たして以降、なにか波長が重なるのを感じた、という野口さん。
コロナ禍前は、長いと1ヶ月2人で冒険の旅に出ていた、という仲なのだとか。

最初に2人で登ったのは、八ヶ岳。
初めての登山をする藤巻さんの横で、野口さんは初心を思い出したそう。

野口「僕、その時50回くらいヒマラヤに行っていて、山に飽きていたんですよね~でも、藤巻さんはカメラを始めたばかりで、楽しそうに写真撮ってるんですよ。初めての登山で、”わ~”っていう喜びを横で見ていた時に『あぁ、俺も高校時代、たしかにそうだった』と思い出して。そこから、ヒマラヤ、キリマンジャロも一緒に行って。何かお互いにやましい事があったのかな?(笑) 気がついたら、北極海に行ってました。」

北極海を訪れたのは、9月。
ダウンジャケットに身を包み、澱んだ灰色の景色を2人見ながら手を広げ、30分ほど大きく深呼吸を続けていたそうで...

野口「すごい風で、鼻水がすごい出てるんですけど(笑)藤巻さんが『この風は、北極点からですよね?ここまで何もないですよね?』ってそうだねって返事すると、『この風、純粋ですね』って。良い事言うな~!藤巻さんが、『世界中いろんな旅をしたけど、あの風は忘れない』って。

北極の景色は色がないし、キレイじゃないし、もう一回行きたいかって言われたら、そうでもないのにね(笑)」

要「南極みたいなイメージじゃないんですか?キレイな」

野口「南極は大陸ですよね。北極海は、9月だと海が凍っているだけで、色がない。空も海もグレー!本当にグレー!でも、『純粋な風』って聞いた時、本当にそうだなってハッ、ってしました。」

野口健「忘れられない登山旅」

『してもいい無理』と『してはいけない無理』

続いて、小学校から一緒に山に登ってきた 娘の絵子さんのお話に。

最初に登山を一緒にしたのは、冬の八ヶ岳。
当日は、登山口ですら-17℃で吹雪という悪天候!
それでも、最初からムリと言うのはつまらない、と野口さんは登山を決行しました。

野口「『パパ、指が痛い』って言うから、それは神経が残っている証拠だから大丈夫って言ってもダメで(笑)一人では降りられないから、娘は僕に付いてくるしかないんだけど、最後の方は空を見て『神様。神様。絵子を助けてください。』って。『絵子には明日が来ないかも...ううん、今夜も来ないかも。まだ7年しか生きてないのに』って泣いてて。芸が細かいですね~女の子(笑)」

その時の野口さんの狙いは、樹林帯を抜けた山小屋でUターンすること。
地形を熟知しているため、強風でもルートさえ外れなければ大丈夫だと確信をもっていたのだとか。

その後、山小屋まで到着し、下山を始めることを娘:絵子さんに伝え、”していい無理と、してはいけない無理” を教えたそう。

野口「何かをするには、していい無理のギリギリまでやらないと結果が出ないけどしてはいけない無理に入ると、山では死ぬのは簡単だから、と。今日は、ここまでがしていい無理だよって。まだ小学生だから、きょとんとしていましたけど。翌日の報道で、山頂まで行ったあとに遭難した亡くなった人がいて。それを娘が見ていて、『していい無理と、しちゃいけない無理があるんだけどね』ってボソッと言ったんです。トラウマになるかなと思ったら、向こうにスイッチが入ってしまって、すぐ後に『キリマンジャロ行きたい』って(笑)」

要「え?!小学校の時に!」

野口「そう。腹くくったか、と聞いたら、『腹くくりました』と。それから2年、3年かけて登山合宿です。あえて悪天候の時に連れて行きました。肉体的精神的な苦痛は、ある程度経験しないと、パニックになります。最初、娘も泣いてましたね。

『これ、新手の虐待?』って聞かれました(笑)でも、側から見たらそう見えたかもしれないですね...修行です。」

野口健「忘れられない登山旅」

こうして野口さんの的確な登山合宿経験を数年積んだ、娘の絵子さんは、中学3年でキリマンジャロへ挑戦しました。

実際に、山頂手前の最終日、天候が崩れ猛吹雪に。
意識が遠のくほどの想定外の寒さ...
それでも、野口さんが備えていた大量のダウンでなんとか乗り切ることができたとか!

野口「やっぱり娘と山に行くとなると、何か起きるかもしれない、と備えていて。あとはもう気持ちの問題なので、ちょっと眠気がきてたみたいだったのでちょっとビンタして、やるか?やらないのか?って聞いたら『やる』って言うのでそこから1時間くらいかけて、吹雪の中登りました。あちこちから叫び声が聞こえる中で、悪天候訓練を積んでいたので、淡々と登れました。山頂で泣いてましたけどね~。ちょっと危なかったので、降りてきて一息ついていたら、意外に本人はケロッとしてて、『次は6000m行きたい!いつ行く?』って。」

そこから、またトレーニングを積んでいた中で、新型コロナウイルスの感染拡大。
海外での登山挑戦は、一度ストップしています。

野口健「忘れられない登山旅」

今も心に残る、父の言葉

登山を通じて、娘の絵子さんと向き合い続ける野口さんですが、子育てに関しては、ご自身のお父様の影響が強いようです。

野口さんのお父様は、外交官としてODA(政府開発援助)を担当されていました。
そんなお父様は、幼い野口さんを仕事現場に連れて行き、すべてを多面的に捉えることを教え続けてこられた、とのこと。

野口「例えば、観光地のピラミッドを見て、そのあとスラム街に行くんです。

『世の中には、必ずA面とB面がある』って言うのを、僕が小中高の時、現場に連れて行ってくれるたびにしてくれて。親父は、『世の中のテーマの大半は、B面にある』と。そのB面だB面だっていうのが強烈に残っていて、活動に繋がってるんですよ。ですから、娘にも、同じことしていますね。アフリカ行った時は、高級観光地行ったあと、スラム街も行きました。」

お父様の言葉を胸に、いまでは多くの”B面”的な 活動をされる野口さん。
娘の絵子さんにも、その思い伝わっているようです。

来週も、野口さんにお話伺います。

OA楽曲
So There/Ben Folds

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