TBSラジオ『東京042~多摩もりあげ宣言~』毎週土曜15時25分から放送中!
2月25日(土) 放送後記
MCは土屋礼央さん(国分寺市出身)&林家つる子さん(八王子市の大学出身)。今回から新コーナーとして多摩とゆかりが深い偉人=多摩人を紹介!第1回は「大瀧詠一さん」特集!大瀧さんと多摩の関係性とは!?
多摩とゆかりが深い偉人「多摩人」=大瀧詠一さん特集
土屋:今週の「東京042~多摩もりあげ宣言」なんですけど・・・ちょっと今までタメにならないことばっかりやってたなって(笑)
つる子:(笑)
土屋:「そうそう!」ってゲラゲラ笑って終わるみたいな。放送を聴いた後味がすぐ無くなっちゃうから(笑)もう少し多摩のタメになるというか、多摩をみんなで知ろう!というようなコーナーもやっていかなきゃなと思いまして。
つる子:通称「多摩人」(笑)
土屋:そうです、“多摩人・オール・ザ・ピープル~♪”ですから(笑)我々のテーマソングとしてやってるんで、勝手にですけど(笑)まだ気付かれてないから怒られていないだけで、怒られたら言うのやめます(笑)
つる子:(笑)
土屋:そんな新コーナー、最初に紹介する人は誰かなと思ったら、この人になります!「大瀧詠一さん」。日本のポップスを作った偉大な方の一人。個人的には自分の音楽のベースには、山下達郎さんのやっていたバンド「シュガーベイブ」が根底にあるんです。でもまさか、恥ずかしながら、その達郎さんのさらに大元になる大瀧詠一さんをあまり通ってないという・・・
つる子:そうなんですね。そんな大瀧詠一さんなんですが、アルバム「A LONG VACATION」が1981年に大ヒットしまして、提供曲では、太田裕美さんの「さらばシベリア鉄道」、松田聖子さんの「風立ちぬ」、森進一さんの「冬のリヴィエラ」、小林旭さんの「熱き心に」、稲垣潤一さんの「バチェラー・ガール」!さらには数々のCMソングも作られているという。
土屋:なんなら大瀧さんが「多摩人」であるということを認知していない方もいるかもしれない。大瀧さんは岩手県出身なんですよ。自宅兼スタジオがあったのが、東京都西多摩郡の「瑞穂町」だったんです。なかなか聞かない地名じゃないですか。銀行の本店がありそうな名前ですけど。
つる子:そうですね(笑)
土屋:活動の初期の頃には「福生45スタジオ」と名付けられた瑞穂町のスタジオで作品を作られていたそうです。
つる子:「福生市」は私も営業で行ったことあります。
土屋:「米軍基地」があるからね。そこら辺はちょっとアメリカな感じがあったんだろうね。僕も若い頃、バイト仲間と夜に車で走って。ハンバーガーショップが日本じゃないみたいだ!って言ってた記憶がありますね。
つる子:ああ、なるほど~(笑)
土屋:大瀧さんの曲と福生や瑞穂町の雰囲気はなんとなくリンクしているなという気がしてきますね。その瑞穂町の図書館「瑞穂町図書館」には大瀧詠一さんの特設コーナーがあるんですよ。さらに瑞穂町には「大瀧詠一さんを語る会」というディープな組織があって。
つる子:ディープですね~(笑)
土屋:ディープなファンの方がいっぱいいますからね。今回はその「大瀧詠一さんを語る会」というディープな会の、ディープな代表の方をゲストにお迎えしてディープな多摩と大瀧詠一さんの関係を、ディープに伺っていこうと。
つる子:うわ~今回はディープですねえ(笑)
土屋:僕は大瀧詠一さんの創世記の時代はあまりよく知らないので、「大瀧詠一さん」の偉大なところ、多摩との関係性などを伺えたらなと。
つる子:楽しみです!
「大瀧詠一さん」が住んでいた「瑞穂町」
土屋:さっそくゲストの方を紹介させていただきます、「大瀧詠一さんを語る会」代表の栗原勤さんです。
栗原さん:はい、こんにちは!“クリキン”と呼んでくれると嬉しいです!
つる子:ああ。
土屋:西多摩郡「瑞穂町」在住ということで。
クリキンさん:もう60年くらい瑞穂町に住んでいます。出身は隣の「武蔵村山市」なんです。
土屋:「瑞穂町」というところが、大変失礼ながらどこにあるとかなかなかイメージできない人もいると思うので、場所を説明していただけますか。
クリキンさん:東京都の地図で見ると真ん中の一番上。埼玉県との県境にありますよね。
土屋:多摩地域の中でいうと真ん中くらい。
クリキンさん:そして狭山丘陵のいちばん西側になります。「瑞穂町」の下にあるのが「福生市」、その南側には「横田基地」が広がっていますね。平らなところから里山まであるという豊かな所です。
土屋:土地勘が無い理由として鉄道網がそんなに豊かではないという印象がありますよね。
クリキンさん:そうですね。
つる子:あ~「箱根ヶ崎駅」!
土屋:「多摩都市モノレール」が延伸する予定の終点の駅じゃないですか!
クリキンさん:そうです、あと何年かかりますか・・・。
つる子:そこまで伸びる予定なんですね!
土屋:銀行は“みずほ銀行”ばかりなんですか?
クリキンさん:ゴメンナサイ!「瑞穂町」は銀行が1行も無いんですよ。
つる子:ええ!?瑞穂町なのに!?
クリキンさん:「瑞穂町」は「多摩信用金庫」さん、「青梅信用金庫」さん、「西武信用金庫」さんがあるんですが、あとはセブン銀行さんだけですね。「瑞穂町」なのにみずほ銀行が無い=「瑞穂町あるある」ですね。
土屋:これは由々しき問題ですね(笑)緑豊かということは遊びに行っても素敵な場所っていうことですよね。
クリキンさん:そうですね、ウォーキングコースや遊歩道、山がありますので自然豊かですね。
土屋:「八高線」で行くかクルマで行くか。
クリキンさん:あとはバスですね。
「大瀧詠一さんを語る会」とは
土屋:そんなクリキンさんが代表を務める「大瀧詠一さんを語る会」。これはいつ、どういった形で誕生したんですか?
クリキンさん:2013年の12月30日、大瀧さんがご自宅で亡くなられて。その翌年、「瑞穂町図書館」の館長さんが蔵書とかCDとかを集めて追悼コーナーを作られたんですね。それが地元の新聞やニュースで取り上げられまして、日本中の方が訪れられたんです。
土屋:クリキンさんはもともと大瀧詠一さんが好きだったんですか?
クリキンさん:「はっぴいえんど」からですから50年ですね。
土屋:大瀧さんが瑞穂町に住んでいるということはいつ認識されたんですか?
クリキンさん:大瀧さんは1973年1月に「瑞穂町」に転居されたんです。「瑞穂町図書館」もたまたまその年にできたんですね。大瀧さんは音楽活動をされていて、1975年から“ラジオ関東”で「ゴーゴーナイアガラ」という番組を3年間ほどやられていたんですね。放送は76回だったかな。それを私はずっと聴いていたんですね。もちろん、曲は「はっぴいえんど」から聴いていましたが、大瀧さんのラジオ番組が楽しくて。その中でも「瑞穂町」の話をしてましたし、音楽雑誌にもスタジオ風景の写真が載っていまして“撮影:東京都西多摩郡瑞穂町”と出ていて、ああお近くなんだと思いまして。
土屋:「瑞穂町」の住人としては「大瀧詠一さん」はやはり誇りなんですか?
クリキンさん:知ってる人は。当時はまだ無名でしたから。「冬のリビエラ」「熱き心に」の曲は知っていても、作曲者が大瀧さんというのは認知度は低いと。
土屋:たしかに。誰が歌ってるかはイメージあるけど、誰が作ったかはね。
クリキンさん:大瀧さんがテレビに出ないというのもあるじゃないですか。そんなもんで、全国から集まるファンと地元の私が何かの形で繋がらないかなと思って「大瀧詠一さんを語る会」を始めたんですね。今まで丸9年、70回くらい集まっていますね。
土屋:ほぼほぼ毎月じゃないですか!
クリキンさん:一時は毎月やってましたね。町民会館やふれあいセンター、あと「瑞穂町図書館」の3階に“秘密の部屋”、郷土資料館などをお借りして。
つる子:やはり「瑞穂町」の方が来るんですか?
クリキンさん:残念ながら「瑞穂町」の方は1割にも満たないんです。
つる子:じゃあ全国来られているってことなんですね。
クリキンさん:北海道から来たり九州から来たり。
大瀧詠一さんの自宅スタジオ「福生45スタジオ」
土屋:大瀧さんはもともと岩手県出身の方じゃないですか、どうして「瑞穂町」に引っ越してきたんですかね?
クリキンさん:「はっぴんえんど」を1970年に作られて1973年に解散されて。そこで「瑞穂町」に来られたので、皆さんにも聞かれますし、私もずっと考えていたんですが。その頃の「福生」の町は“アメリカンハウス=米軍ハウス”なんですね。
土屋:他ではアメリカの情報が入ってこないところ、そこでは入ってくるという。
クリキンさん:家の造りが小部屋がいくつもあったり、靴のまま入っていけたり。そういうアメリカンハウスにそういう人たちが住んでいて。「福生」の町にコーヒーハウスやライブハウスがありまして。
土屋:それを大瀧さんがどこかで知ったということですか?訪れないと気づかないですよね。
クリキンさん:そうだと思いますよ。そのアメリカンハウス2棟の1棟をスタジオにされて。
土屋:ずっとそこにお住まいだったんですか?
クリキンさん:だったも何も今でもご家族がお住まいで。
土屋:あれだけヒット曲を飛ばしていたら引っ越して、もうちょっと・・・多摩地域の番組が言うのもなんですけどもっと都心に引っ越してやろうと思うのも自然だと思うんだけど・・・
つる子:(笑)
クリキンさん:アメリカン風な生活もあるんですけど。それともう一つ、「大瀧詠一さんを語る会」を始めて縁があって、私が岩手県盛岡市で大瀧さんの展示をするというので呼ばれて行ったんです。盛岡の遠くに山並みが見えている、そういうのが「瑞穂町」と似てる。もう一つ大事なのは大瀧さんのお家からもそうなんですけど「瑞穂町」は富士山が綺麗に見えるです、“富士山”という地名があるくらい。大瀧さんは“日本一”や“日本初”が好きですから。例えば、アルバムからシングルを6枚切ったとか。
つる子:へえ~
土屋:たしかに歌の感じもシングル曲ものどかな雰囲気なラインの歌声も、もしかしたらそういう景色があるからそういうメロディが生まれたっていうのもあるかもですね。作曲はそこで作られたとして、レコーディングは?
クリキンさん:大瀧さんは“エレック時代”“コロムビア時代”“ソニー時代”と分かれるんですが、70年代の初期(エレック~コロムビア)は自宅のスタジオで音作りの“実験”をされていたんですね。今や有名になったミュージシャンが集まって、大瀧さんの指示の元でレコーディングの実験をされていたと。だから70年代の頃は売れないですよね、マニアにしか。
土屋:はいはい。流行を追ってそっちに流れるじゃなくて。
スタジオはどれくらいの大きさで、どんな雰囲気だったんですか?
クリキンさん:今収録しているスタジオの2つ分ですね。
土屋:20畳くらいかな。
クリキンさん:今でも「アメリカンハウス」は国道16号線の「福生」の商店街さんの管理で、自由に入れて見られるところがあります。間取りはいくつも種類があるんですよ。ぜひ寄られたらいいと思いますよ。
つる子:「福生45スタジオ」というスタジオですね。
クリキンさん:大瀧さんとか他のミュージシャンは“45スタジオ”と言うんですよ。45というのは、レコードのシングル盤の回転数のことですね。
土屋:ああ、そういうことか!大瀧さんの初期の作品には福生のスタジオの音が入っていると。それを想像してから聴くだけで違ってきますよね。僕のダニー・ハサウェイが好きで、ライブ盤をレコーディングした場所に行って聴いたんですよ。いつもと違う感覚が最高だったから。だから、「瑞穂町」や米軍基地の近くをドライブして、景色を想像して聴いたらいいかもしれないですね。ちょっと海外旅行に行った気分になれるんですよ、ここは。
クリキンさん:アメリカンスタイルの店がいくつもありますから。「福生バーガー」とかピザ屋さんのはしりの「ニコラ」とかね。
土屋:じゃあちょっとそこら辺のイメージを膨らませながら「瑞穂町」のスタジオでレコーディングしていることがわかっている曲を聴いてみましょうか。
クリキンさん:1975年リリースの「ナイアガラムーン」というアルバムから、「楽しい夜更かし」。
<M①>楽しい夜更かし/大瀧詠一
土屋:聴いていただいたのは、大瀧詠一さんが住んでいた「瑞穂町」の自宅スタジオでレコーディングした曲「楽しい夜更かし」でした。曲のバランスが歌モノじゃないんですよ。楽器の音の一つとして大瀧さんの声があったり、画期的な捉え方ですよね。
クリキンさん:洋楽的なレコーディングなんですよね。それまでの歌謡曲のレコーディングはボーカルが前に来ていてオーケストラや楽器が後ろにきていて。大瀧さんの場合、せーの!で一緒のバランスで同じミックスで録っているんです。だから声も楽器の一部として入っているので聞きにくいっていえば聞きにくいんですよ。
土屋:ボーカルをダブルで重ねてたりするんですよね。そのにじむ感じに憧れて僕もダブルによくしてたんですよ。
つる子:へえ!
土屋:“おまえの声はダブルに向いていない!”って怒られて止めさせられました(笑)
クリキンさん:ダブルのレコーディングはニール・セダカが始めたんですよね。
つる子:大瀧さんもそうやって実験を重ねてたんですね。
土屋:この大瀧さんの「楽しい夜更かし」は、TBSラジオとも関係があるみたいですね?
クリキンさん:1973、4年ですね、TBSラジオで放送していた馬場こずえさんの「深夜営業」という番組の主題歌に使われたりね。まさに“楽しい夜更かし”ですね。
つる子:そうだったんだ~
土屋:さあクリキンさん!「瑞穂町」で生まれた名曲はまだまだあると思いますので、来週また聞かせてもらいたいので、多摩地域と大瀧詠一さんの関係についても迫っていきたいと思いますので、よろしくお願いします!