TBSラジオ『森本毅郎・スタンバイ!』毎週月曜日~金曜日 朝6時30分から放送中!
6月19日(月)放送後記
毎週月曜日は東京新聞との紙面連動企画。
今日取り上げるのは、この三月、福島県浪江町の津島地区で一部が避難指示解除となったのですが、そこでの放射線量の測定に同行した、という「こちら特報部」の記事。
人は長期間、生活を根こそぎ奪われ続ける
浪江町津島地区は、かなり汚染が激しいところなのですが、そのごく一部が、特定復興再生拠点地域として先行除染をして、避難指示解除となりました。その一部の地域以外の津島地区は、まだ帰宅困難区域のままという状況です。
今回、その津島地区で、放射線量の測定を行ったのは、以前から、現地の被ばくの状況を細かく調べている獨協医科大学の木村真三准教授。まずは、調査と津島地区の様子を同行した東京新聞大津支局の大野孝志記者に聞きました。
東京新聞大津支局 大野孝志記者
「ドローンなんかを使って飛ばせば効率は良いんですけれども、事故から12年人が住んでいない家というのは、人の背丈よりも高いくらいの雑草とかトゲのある植物なんかが生い茂ってますもんで、ドローンが入っていけるわけがないもんですから、やっぱり一つ一つ人が歩いて測らなければならない、と。パッと見は、鳥の声とかさえずりとか、ちょうど大型連休で気候も良い時期だったものですから、だいぶ長閑な光景が広がってはいるんですけれども、それは道から見える所でして、そこからすぐ入ると廃墟が残っていたりしていました。ホントに原発事故がひとたび起きると、人の暮らしっていうのは根こそぎ奪われて、長期間奪われ続けるということを如実に現わしてるなと感じました。」
地区を一軒一軒歩いてまわり、生活の場にどのくらいの放射線量があるかを測った。防護服の上に作業着を重ね着しての作業で、5月とはいえ、大変。
避難指示解除された民家の敷地内でもバラつきがある
顔や服をトゲに引っかかれながら周って測定した、津島地区の結果はどうだったのか。再び、大野さんのお話です。
東京新聞大津支局 大野孝志記者
「 事故から12年経って、特に特定復興再生拠点区域ということで、もう人が戻れるよ、と国は言ってる所の周辺ですので、正直言ってだいぶ除染も進んで汚染された廃墟みたいなところも無いだろうと思っていたんですが、民家、民家と言っても、もう人は住んでいませんけれども、6軒ほど周ったんですが、だいたい1~2マイクロシーベルトでした。国の除染の長期目標の0・23マイクロシーベルト。これの10倍近い線量がたくさん残っているということに、ちょっと驚きました。現地を案内してくださった、紺野宏さんという方のお話ですと、「もうちょっと下がってると思ったんだけどな」とおっしゃっておりました。
大野さん達を案内してくれた紺野さんのお宅は、特定復興再生拠点に入り、避難指示が解除された場所。その紺野さんのお宅から国道を一本隔てたお宅では、1~1・2マイクロシーベルトと国の除染の長期目標0・23マイクロシーベルトをはるかに超えていました。
そして、避難指示解除になった紺野さんのお宅は、一時は200マイクロシーベルトあった、雨どいの排水溝の近くは、0・35マイクロシーベルトと下がっていました。
しかし、裏山と敷地の境や、蔵の裏手は1~1・3マイクロシーベルトで、国の除染目標を上回る、と、解除された自宅のエリア内でも測定結果にばらつきがありました。
紺野さんは帰還することを決めましたが、放射能と隣り合わせの生活を強いられることが改めて分かった結果となりました。
大野さんは、「人は玄関で暮らすわけじゃないので、玄関先、軒先だけ測って、安全だよって言うんじゃなくて、長い時間滞在する居間や寝室を始めとする生活の場の放射線量がどれだけあるのか、っていうのを把握することが大事」と話していました。
表に出るだけが現実ではない
実は、大野さんは、原発事故の後、2012年から4年間、社会部の原発事故取材班にいて、毎月のように福島に取材に行っていたのですが、今回、久しぶりの福島での取材で、感じたことについて、こう話します。
東京新聞大津支局 大野孝志記者
「うちの滋賀県内の若い記者を福島に毎年のように派遣して取材させていたんですけれども、今年は、そういえばしばらく行ってないなって、そこで気が付いたわけなんですね。で、浜通りの方、久しぶりに国道6号線走ったら、昔は帰宅困難区域の大熊町のあたりは、バリケードがズラッと並んでたんですけれども、あれがすっかり無くなっていて、なんで無くなったのかな?と思ったら、家屋が全部解体されていたんですね。そういう変化もこの12年、特に国道6号線沿いっていうのは、人の目に触れやすい所ですから、復興が進んでるかのような形でやってんのかな、ということも感じました。表に出るだけが現実ではない、ということですかね。いつまで経っても原発事故の影響というか、爪痕というのはずっと残っていますし。
今回の測定の結果として、生活の場の放射線量は国の目標を下回っていなかったわけですが、国の対応などは、例えば家賃の保証をなくす、賠償をなくすという圧力で帰還の方へ持って行こう持って行こうというのを感じる。それぞれの事情に応じて今後の人生を選択できるようにできないのか?ともおっしゃっていました。
ひとたび原発事故が起きると、人は生活を根こそぎ奪われて、長期間奪われ続ける、という言葉が、ずっしりと残りました。大野記者も指摘していたが、原発がこうした事故を起こすことを、そして、その爪痕が残り続けるということを、忘れてはいけない、と改めて実感しました。