秋川雅史さん(Part 1)
1967年、愛媛県西条市生まれのテノール歌手。1998年にカンツォーネコンクールで優勝し、2001年に「パッシオーネ~復活の歌声」でCDデビュー。

クラシックのみならず、歌謡曲、演歌、ポップスなど幅広いジャンルをこなし、2006年リリースのシングル「千の風になって」は130万枚を突破。クラシック歌手として史上初のオリコンシングルチャート1位にも輝きました。

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出水:「千の風になって」は当時皆さんが口ずさんでいましたよね。

秋川:2~3歳の子供が口ずさんでくれてたのを見て本当に嬉しかったですね。本当に幅広い年代の人に聴いていただけたのがすごく嬉しいです。

JK:そういうヒットが1つあるって人生最高ですね! 子どもにとっては一生知ってるわけですもんね。

出水:テノール歌手の楽曲がオリコンチャート1位になったのは初めてだったんですよね?

秋川:クラシックの歌手はそもそもオリコンとは縁がないと思って生きてますからね。その現象は自分自身びっくりしました。

出水:いつ頃からリリースされてどれくらいでじわじわと社会現象になっていった?

秋川:最初はアルバムの中の1曲だったんですよ。12曲入っているアルバムの1曲で、とくにクローズアップさせようということではなかったんですよ。だけどアルバムを発売したら「千の風になって」に対する問い合わせとか出てきて、だったらシングルカットしようということで出したのが2006年ですね。そしたらその年の暮れに紅白が決まって・・・紅白1本で世の中に広がっていった感じでした。

JK:紅白出たらこっちのもんですよ! 日本独特ですよね、紅白って。外国にないですよね?

秋川:ないですね。イタリアだと例えばサンレモ音楽祭とか、音楽祭っていう形ではあるんですけど、日本の紅白は特別な雰囲気ですね。

JK:演歌や何やらいろいろで。暮れにはこれがないと。

秋川:でも紅白に出られると思ってなかったんでね。2006年の時点で多分、世の中のほとんどの方が秋川雅史とか「千の風になって」を知らなかったと思うんですよ。みんな「誰だ次の人は?」みたいな感じで見てたと思うんです。そしたらいきなり「♪私のお墓の前で・・・♪」って始まるじゃないですか(^^) すごい衝撃的な感じだったと思いますね。

出水:紅白の後もまたその反響っていうのは大きかったですか?

秋川:本当に一晩寝たら世の中が変わってたっていう感じでした。全くの無名でしたから! 翌日初詣行ったら、いろんな人から「昨日紅白見ました」って声かけられるわけですよ。もう本当に世の中が一気に変わってた感じですね。

私自身は何も変わってないんですけど、世の中が変わってた。そのあと最初の週でオリコン4位になったんですね。一番最初は168位だったんですよ。そこから4位になって、その翌週は1位になるんですよ。

JK:拍手! 急ですよね!

秋川:自分としたら、あの頃はどちらかというと怖かったです、気持ち的には。徐々に徐々に自分がステップアップしていくのはいいけど、いきなり変わったんでね。

JK:一気にバンって押し上げられて、それから変わりっぱなしですか?

秋川:その状況に自分が少しずつ慣れていったという感じ。1~2年かけて慣れていきました。

JK:でも世間は意外にそこまでガーって言うより、当然っていう感じ。やっぱり歌だから、みんなが歌いたくなることっていうのは自然に伝わっていくし。本人は大変ですよね、人生本当に変わるから。紅白の力って大きいわね。

世界が一気に変わった紅白の夜~ 秋川雅史さん

出水:そもそもアルバムにこの曲を収録しようと思ったきっかけは?

秋川:日本の名曲を3曲入れようと。1曲は自分が生まれる前の世代のもの、1曲は自分が子供の頃に聴いた歌、もう1曲は世の中でヒットして最近歌われてる曲。この3つの時代で入れようと思って。美空ひばりさんの「津軽のふるさと」は私が生まれる前にヒットした歌、それと私が子供の頃聴いた歌として谷村新司さんの「いい日旅立ち」。そして現代の曲ということでこの曲。ちょうどそのころ初めて知った曲なんです。

JK:これはカバーなんですか?

秋川:カバーなんですよ。もともと新井満さんが自分が歌う曲として、CDも出されてたんです。その後何人もの歌手がカバーして歌ってたんですよ。だから自分も何種類ものCDを聴きました。

JK:でもオペラ歌手だからフレッシュですよね。演歌の人とは違うしね。

秋川:歌い方に流行り廃りがないから、長年聴いてもらえる名曲になったかなと思います。唱歌のような雰囲気もあるし、歌曲のような印象もあるし。最近は教科書に載ってるそうですよ。

JK:それはおめでとうございます。永遠に残ることですよ。本当多才だなあ。声は生まれつきですよね?

秋川:父親が同じテノールだったので、父親の声を受け継いだかなと。父はよくお風呂で歌ってたんですよ。父は気持ちよくなって歌うんだけど、子どもの頃は「父の歌声すごいな」と思ってました。いつもイタリアのカンツォーネとか。

JK:大コンサートやってるみたい(^^)

秋川:近所に絶対聞こえてたと思います(笑)

出水:「この千の風になって」にはアメリカに元とネタの詩があったんだそうですね。

秋川:誰が作ったかもわからない詩があって、9.11同時テロの一周忌の時だったかな、ある少女が朗読したんですよ。

それが全米で放映されてアメリカでは話題になったんです。その記事を新井満さんが見て、日本語に訳してメロディーをつけて曲にされたんです。

JK:面白いですね!

秋川:誰が作ったかもわからない、っていうところがね。英語版もどうやらあるそうですよ。私は歌ってないですけども。もともとの英語はメロディーがない詩だけ。それを日本で歌にして、逆輸入みたいな形で誰か歌ってるそうですよ。

JK:やっぱり秋川さんが歌わないとダメですよ! そんな人ごとじゃダメですよ、英語で歌って世界に出る!

秋川:まずは英語勉強しなきゃな(笑)あ、イタリア語でもいいですね!

JK:そのほうがいいかもしれない。オペラ歌手ですもんね! オペラって英語は似合わないし、やっぱりイタリア語で! 決めた!

秋川:イタリアの友達に詩を書いてもらおうかな(^^)

出水:音楽の世界へと入ったのはお父様の影響で、4歳からバイオリンとかピアノを始めたそうですが、最初は声ではなかったんですね?

秋川:周りがクラスの3分の1くらいがピアノを習ってるっていう時代がありまして、そんな中うちの父は息子にも同じようにピアノを習わすのはアレだなと思って、バイオリンを選んだ。

JK:今もバイオリンやってらっしゃいます?

秋川:弾けなくはないけど、あんまり上達しなかったですね(笑) 田舎の男の子だからやっぱり外で遊びたいから、なかなか練習しなくて。野球やったり、中学校の時はバレーボール部でスポーツに打ち込んだり、運動少年でした。

出水:お父様がお風呂で歌っている時に、一緒に声を出したりとかは?

秋川:いや、なかったですね。

中学3年生の時に、先生が「今年から合唱コンクールを目指す」って言って合唱部に強引に勧誘されて、それで初めてテノールの声を出したんです。

JK:それでどこかに出たんですか?

秋川:一応愛媛県の地区大会予選を突破して、県大会まで行って、そこで敗退しちゃうんですけど。

出水:当時先生から勧誘されたのは、秋川さんの声を聞いて「この子だ!」って思ってらっしゃったんですか?

秋川:いや、違うんですよ。要するに秋川先生の息子だから。「間違いなく歌えるだろう」っていう決めつけで勧誘してきた。先生は僕の歌を聴いたことないですよ。

出水:お父さんの才能が受け継がれているに違いない!という感じですね。お父さんは喜ばれましたか?

秋川:将来の夢というか、将来どの道に進みたいっていうのがあんまり明確じゃなかった感じだったんで、音楽の道に行きたいっていう夢が見つかったことは喜んでくれました。

世界が一気に変わった紅白の夜~ 秋川雅史さん

出水:意外だったのが、音楽一筋で来たのかと思ったら途中ブレイクダンスもやってらしたんですよね?

JK:え、そうなの? 今もできるってこと?

秋川:もうさすがに(^^;) あの頃はバク転したりとか、ウィンドミルでくるくる回ったりとかやってたんですよ。さすがに今バク転やれっていうと・・・でも1ヶ月くれたら多分できると思いますけど。

JK:そういう歌手の人はあんまりいませんよね、スポーツ系歌手って。

秋川:でも歌手って結構体全身使って声出すんで、自分は体育会系だと思ってるんですよ。

出水:ダンスで培った体幹も生きてますね(^^) 高校の時には音楽の道で、というのは定まってたんですか?

秋川:そうですね、音楽大学に行くって決めて目指してましたから、歌のレッスンももちろんだし、ピアノも弾けなければいけないし。音楽のいろんな理論も勉強しなきゃいけなかったので、高校の時は完全に音大に行くことだけを目指して音楽に打ち込んでました。

出水:高校卒業後は国立音楽大学に進学して、大学院へも進んで、さらにイタリアへ留学。

秋川:とにかくイタリアに憧れて、もうイタリア人になりたいと思ってました。パルマっていう、ハムとパルメザンチーズの町。中田選手も住んでました。その頃パルマのサッカーチームがすごく強かったんです。だから隔週でホームの試合は全部見に行きました。

JK:あそこで歌わなかったんですか? 歌えばよかったのに! 国歌とか。

秋川:まだ学生でしたからね(笑) でも一番自分が多く「君が代」を歌ってます。石井達也さんと自分が8回で、一番多いんです。

出水:「君が代」は難しいって聞きます。

JK:伴奏なくて、突然一人で歌うわけでしょう?

秋川:難しいです! 最初の音が低いところから始まるんで、高いところから始まっちゃうとえらいことになっちゃう。それで失敗されてる方結構たくさんいるんですけど。あと、秋川が絶対的に得意としているのは「さざれ石を一息で歌える歌手」。さざれ石っていう単語だから、本当は「♪さざれ~石の~」と途中で息を吸っちゃいけない。だけど結構一息で歌うのは大変だから、みんな「♪さざれ~/石の~」って歌うわけですよ。

JK:さざれと石がバラバラになっちゃう!

秋川:これを一息で歌える歌手はなかなかいないかな(笑)今度注目して聴いてみてください!

(TBSラジオ『コシノジュンコ MASACA』より抜粋)

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