鈴木町駅を出発しました。味の素川崎工場の敷地を京急大師線が通過しているという印象でした。
上りホームから小島新田駅方面をみています。大きな踏切があります。この写真を見て、改めて気付いてしまったのですが、川崎大師駅の北口に行くのを忘れていました。3月14日以降に駅名改称になった産業道路駅の撮影に行くので、その時に撮ってきて補足しましょう。

上りホーム、京急川崎駅方面です。流石に初詣など凄まじく混雑する駅らしくホーム幅に余裕があります。

駅名標。京急発祥の路線です。関東最古の電車駅。

南口改札を出ます。

流石に駅前広場が広い!

駅舎の西側に「京浜急行発祥の地記念碑」があります。「けいきゅん川崎大師」も加わっています。

この時けいきゅんは「保護剤塗りたてなので注意」となっていました。

「京浜急行発祥の地記念碑」せっかくなので文章を写します。旧字が不得手の方のためにカッコで読み等を補います。

京浜急行電鉄株式会社は、明治三十一年二月二十五日大師電気鐵道株式会社として設立され、翌明治三十二年一月二十一日、川崎六郷橋~川崎大師間の営業を開始した。
開業時の資本金は九万八千円、営業路線は単線二粁(キロ)、車両数は五両で開業当時の営業報告書には、次の通りに記されている。
全般ノ機械運轉(転)成績好結果ニシテ一日モ運轉(転)ヲ中止セシ事ナク即(すなわ)チ五月卅(三十)一日ニ至ル本期間ノ営業日数ハ一百三十一日ナリシ而(しこう)シテ乗客ハ相應(応)ニ多ク毎月廿(二十)一日ノ如キハ非常ノ雑踏ヲ極メシモ線路ノ単線ナリシト車輛ノ不足ナリシ為メ充分ニ乗客ヲ運ビ能(あた)ハサリシノ感アリ本期間平均一日一哩(里)ノ乗車賃ハ五拾円九拾銭ニ厘(りん)ニ相等セリ 元来本社ハ関東ニ於ケル電氣鐵道ノ嚆矢(こうし)ニシテ成績ノ如何(いかん)ハ将来電氣鐵道事業ノ発達ニ重大ナル関係ヲ有セシモノナリ
幸ニシテ今ヤ営業初期ニ於テ相應(応)ナル純益配当ノ報告ヲナスヲ得又運轉(転)開始以来一人ノ負傷者ヲ生ズルナク毎月廿(二十)一日ノ如キ数萬ノ老幼群衆シ往来織ルガ如キ場所ニ於テ乗客ヲ満載シ乍(なが)ラ一日貳(二)百五六十回余ノ運轉(転)ヲナシテ過(あやま)チナカリシハ實(実)ニ本社ノ幸福ニシテ亦(また)以テ電氣鐵道ノ市街交通機関ニ適シ更ニ危害の虞(おそ)レナキヲ表示スルヲ得タルモノナリ
かくて好調裡に営業を開始した大師電鐵は同年四月京濱(浜)電氣鐵道と改称昭和二十三年六月京浜急行電鉄となり逐次事業の拡張を図って今日の隆昌をみるに至った。
ここに創立七十周年に当り
会社設立発起人代表立川勇次郎はじめ先人の遺徳を偲び大師電鐵発祥のこの地に本記念碑を建立する。
昭和四十三年十二月二十一日
京浜急行電鉄株式会社

しかし、旧字を写すのには時間がかかりました。あ~草臥れた。(笑)
筆者は昔から旧字旧かなの本を好んで読んできたので、幸いだったのは読み方に困らなかったことです。元祖鉄ちゃんの内田百閒(百鬼園)先生も生前は全て旧字旧かな以外の出版を認めなかったのです。だから筆者は阿房列車を旺文社文庫で読みます。
昭和43年(1968年)建立なので50年以上経っています。
さて、厄除門をくぐって大師表参道の方に行きましょう。

【駅ぶら03】京浜急行128 に続きます。
(写真・記事/住田至朗)