※2014年12月撮影
トップ画像は、終点の人吉駅ホームに着いた「しんぺい2号」隣に九州横断特急。
肥薩線、吉松駅の一つ手前の栗野駅で列車交換。

※2014年12月撮影
※オリジナル写真が縦なので加工してあります
栗野駅は、1903年(明治36年)開業。1921年(大正10年)山野軽便鉄道が鹿児島本線(現・肥薩おれんじ鉄道)の水俣駅との間で開業します。軽便鉄道は1922年(大正11年)に山野線に改称。しかし1988年(昭和63年)山野線は、国鉄の特定地方交通線として廃止されました。
隼人駅から乗って来たキハ40-8063。全検後なのか、ずいぶん塗装がキレイです。

後方からも記録。銘板が見えます。左に駅舎とかつて山野線用だった、現在は使われていない単式ホームがあります。

11時42分、吉松駅に到着。1903年(明治36年)開業の古い駅です。1909年(明治42年)には吉松~人吉間が開業、門司駅から鹿児島駅までが鹿児島本線になって、途中駅となりました。

11時49分の上り人吉行「しんぺい2号」には、青春18きっぷで自由席に乗ることができます。。下りは「いさぶろう」になります。
「いさぶろう・しんぺい」は、人吉~吉松間が建設された時の逓信大臣山縣伊三郎と、同区間開業時の鐵道院総裁後藤新平の名前が使われています。

「いさぶろう・しんぺい」は、2009年(平成21年)に現在のスタイルになっています。車両はキハ140-2125、キハ47-9082、キハ47-8159の3両編成。筆者の乗る自由席はロングシートです。
標高213mの吉松駅を出発。トンネルの多い区間です。

松~真幸間の第二山神トンネルで終戦直後の1945年8月22日に悲惨な事故が起きました。
「いさぶろう・しんぺい」車内でもこの悲劇が伝えられました。
スイッチ・バックの駅、真幸駅に到着。標高380m。吉松駅から7.8kmで167mを上ってきました。この区間の平均が21パーミルです。そりゃ、蒸気機関車にはキツい。運転士さんは進行方向と逆の運転台に移動、進行方向が変わります。

「しんぺい2号」は7分間停車。アテンダントさんが記念のボードをわたして記念撮影のサービスが行われています。横は「幸せの鐘」。

これが「幸せの鐘」。

ホームはスイッチ・バックの引き込み線です。終端側にはこの様な案内板。

真幸という駅名に反して、駅には災難が降りかかっています。1972年(昭和47年)豪雨によって駅の裏山が崩壊。土石流が駅と集落を飲み込んだのです。死者4人を出し、住宅57棟が流失という凄まじい被害でした。土石流は肥薩線を切断、駅構内を土砂で埋めたのです。
ホームにはこの土石流で流れ込んだ約8トンの巨石がそのまま残されています。

1911年(明治44年)開業当時から使われている木造駅舎。

信号が青になりました。右が上ってきた吉松方面。奥の右に勾配を上っていきます。

標高536.9mの矢岳駅まで7.3km。平均で21パーミルの勾配が続きます。
※筆者は既にコラムなどで青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。
※価格などは2014年当時のものです。
(写真・文/住田至朗)