美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03の画像はこちら >>

※2020年8月撮影

トップ画像は、JR西日本美祢線四郎ケ原駅。心配していた雨が降り出しました。

幸い雨滴が見える程ではありません。霧雨という感じです。駅前に駐まっている車にはJR西日本と書かれていました。右の大木は駅の開業を記念して植えられたものだそうです。樹齢115年!

駅出入口。お約束の郵便ポストがあります。残念ながら丸型の古いタイプではありませんが。「当駅ではきっぷの発売をしていません。車内または乗り換え駅でお買い求め下さい。長門鉄道部長」と掲出してあります。厚保駅にも貼ってありました。長門さんという鉄道部長さんがいるのではありませんよ。

山口県長門市にあるJR西日本の鉄道部で美祢線、山陰本線などの運営を担当しています。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

駅前広場にこんな看板がありました。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

内容は、なかなかユニークです。

駅名の由来が駅所在地ではなく約1.8km北側にある江戸時代の宿場名から命名されたと「聞いている」(広島鉄道管理局発行「駅長さんの書いた駅名ものがたり」から一部引用)

駅舎の中はガランとしています。建物財産標などは見つけられませんでした。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

待合室には椅子の上に缶コーヒーがありました。筆者は缶コーヒーを口にしません。コーヒー牛乳は飲みます。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

窓口は塞がれて壁になっています。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

上りホームの駅名標が見えます。周囲には緑が広がっています。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

湯ノ峠駅、厚保駅にもあった金属製の改札口があります。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

四郎ケ原駅は、1905年(明治38年)山陽鉄道の駅として開業。1906年(明治39年)国有化。1985年(昭和60年)駅は無人化されました。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

下りホーム長門市駅方面です。この駅も貨物列車時代の長大なホームがあります。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

厚狭駅方面。跨線橋に上ります。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

跨線橋から四郎ケ原駅舎。一部が緑色に塗装されています。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

跨線橋から厚狭駅方面。集落があります。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

駅舎込みで長門市駅方面。

駅に来るときに通った集落が見えます。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

上りホームからですが駅舎が大きいので正面全体は広角レンズにもおさまりません。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

斜めからホーム側駅舎を写しました。妻壁などに手が加えられていないのが良いですね。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

国鉄九拾周年記念 昭和三十七年十月十四日 という小さな石碑がありました。1872年(明治5年)10月14日、新橋から横浜に最初の鉄道が敷かれました、それから90年を記念したのですね。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

反対側には、1962年(昭和37年)当時の四郎ケ原駅・駅員さんの名前が刻まれていました。ハッキリ読めなかったのですが8人くらいだと思います。約60年前にはたくさんの駅員さんが働いていたのですね。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

駅前に戻って駅舎の妻壁。結局、四郎ケ原駅にいる間JR西日本の方は見かけませんでした。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

駅前は長閑です。

美祢線で一番渋い駅でした【木造駅舎巡礼06】美祢線03
※2020年8月撮影

次は、重安駅です。

(写真・文章/住田至朗)

編集部おすすめ