※2020年8月撮影
トップ画像は、JR西日本美祢線四郎ケ原駅。心配していた雨が降り出しました。
駅出入口。お約束の郵便ポストがあります。残念ながら丸型の古いタイプではありませんが。「当駅ではきっぷの発売をしていません。車内または乗り換え駅でお買い求め下さい。長門鉄道部長」と掲出してあります。厚保駅にも貼ってありました。長門さんという鉄道部長さんがいるのではありませんよ。

駅前広場にこんな看板がありました。

内容は、なかなかユニークです。
駅名の由来が駅所在地ではなく約1.8km北側にある江戸時代の宿場名から命名されたと「聞いている」(広島鉄道管理局発行「駅長さんの書いた駅名ものがたり」から一部引用)
駅舎の中はガランとしています。建物財産標などは見つけられませんでした。

待合室には椅子の上に缶コーヒーがありました。筆者は缶コーヒーを口にしません。コーヒー牛乳は飲みます。

窓口は塞がれて壁になっています。

上りホームの駅名標が見えます。周囲には緑が広がっています。

湯ノ峠駅、厚保駅にもあった金属製の改札口があります。

四郎ケ原駅は、1905年(明治38年)山陽鉄道の駅として開業。1906年(明治39年)国有化。1985年(昭和60年)駅は無人化されました。

下りホーム長門市駅方面です。この駅も貨物列車時代の長大なホームがあります。

厚狭駅方面。跨線橋に上ります。

跨線橋から四郎ケ原駅舎。一部が緑色に塗装されています。

跨線橋から厚狭駅方面。集落があります。

駅舎込みで長門市駅方面。

上りホームからですが駅舎が大きいので正面全体は広角レンズにもおさまりません。

斜めからホーム側駅舎を写しました。妻壁などに手が加えられていないのが良いですね。

国鉄九拾周年記念 昭和三十七年十月十四日 という小さな石碑がありました。1872年(明治5年)10月14日、新橋から横浜に最初の鉄道が敷かれました、それから90年を記念したのですね。

反対側には、1962年(昭和37年)当時の四郎ケ原駅・駅員さんの名前が刻まれていました。ハッキリ読めなかったのですが8人くらいだと思います。約60年前にはたくさんの駅員さんが働いていたのですね。

駅前に戻って駅舎の妻壁。結局、四郎ケ原駅にいる間JR西日本の方は見かけませんでした。

駅前は長閑です。

次は、重安駅です。
(写真・文章/住田至朗)