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※2025年6月撮影

トップ画像は、北千住駅ホーム。筆者が下りた下り電車は快速つくば行。

快速電車が出発。筆者は、初めて新型車両の「TX-3000系」に乗りました。やはり、快適で速い。

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

駅名標。駅番号はTX-05。

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

浅草側は階段でした。

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

改札口は、北と南に2つあります。南改札口に向かいました。

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

広い改札口。東武鉄道、東京メトロ日比谷線と乗り換えができます。

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

改札口の外もすごく広いです。

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

駅の西側に出て歩き始めました。

イキナリ飲み屋街です。嬉しくなっちゃう。(笑)

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

路地を西に進んで、金蔵寺に来ました。

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

足立区教育委員会の説明パネルがあります。

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

内容を写します。

「金蔵寺

当寺は真言宗豊山派で氷川山地蔵院(または閻魔院(えんまいん)ともいう)と号す。本尊は閻魔大王で、建武2年(1335)3月の創建という。

金蔵寺の門を入ると左側に2メートルほどの天保餓死者供養塔(足立区登録有形文化財 平成6年12月登録)がある。これは天保8年(1837)に起った大飢饉の餓死者の供養塔で、千住二丁目の名主永野長右衛門が世話人となり、天保11年(1840)に建てたものである。

碑文によれば「・・・飢えて下民に食なし・・・この地に死せる者828人・・・370人を金蔵寺に葬り・・・」とある。

その塔と並んで建つ別の千住遊女供養塔(足立区登録有形文化財 平成6年12月登録)は、千住宿の遊女の供養塔で、この地で死んだ遊女の戒名が石に刻まれている。

当寺、千住宿には、本陣・脇本陣のほかに55軒の旅籠屋があり、そのうち、食売旅籠(めしうりはたご 遊女屋)は36軒あった。

江戸後期に千住宿は宿場以外に、江戸近郊の遊里としても発達した。その陰で病死した遊女は無縁仏同様に葬られた。その霊を慰めるための供養塔である。

令和6年3月 足立区教育委員会」

ご本尊が閻魔大王。神仏習合思想、本地垂迹説では、閻魔大王の本来の姿は地蔵菩薩と考える様です。

※『神仏融合史の研究』吉田一彦著 名古屋大学出版会 2024年12月刊 を参照しました

門を入ったすぐの左側。右の無縁塔と刻まれているのが「天保餓死者供養塔」。

左の南無阿弥陀佛は「千住遊女供養塔」。

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

金蔵寺を辞して北に歩き、突き当たりを右折しました。

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

西に少し歩いた所に「森鴎外旧居橘井堂跡」があります。

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

大きな石碑には以下の様に刻まれています。

「千住の鴎外碑

翁は病人を見てゐる間は、全幅の精神を以て病人を見てゐる。

(中略)

花房はそれを見て、父の平生を考へて見ると、自分が遠い向うに或物を望んで、目前の事を好い加減に済ませて行くのに反して、父は詰まらない日常の事にも全幅の精神を傾注してゐるといふことに気が付いた。宿場の医者たるに安んじてゐる父のレジニアションの態度が、有道者の面目に近いといふことが、朧気ながら見えて来た。そして其時から俄に父を尊敬する念を生じた。

森鴎外「カズイスチカ」より」

レジニアションは resignation 、訳せば「諦念」「諦め」。

中略の後、鴎外の原文では「熊沢蕃山の書いたものを読んでいると、志を得て天下国家を事とするのも道を行うのであるが、平生顔を洗ったり髪を梳(くしけず)ったりするのも道を行うのであるという意味の事が書いてあった。」花房はそれを見て、と続きます。この部分が略されると文意が分かり難いと思いました。

さらに、原稿用紙に書かれた形の「森鴎外旧居」というパネルもありました。

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

内容です。

「橘井堂医院跡

森鴎外(本名、森林太郎)は近代の文豪として知られています。

明治12(1879)年に父の静男が南足立郡医となり千住に転居して、後に橘井堂医院(きっせいどういいん)を開業しました。この頃、鴎外は東大在学中で下宿先にいましたが、大学を卒業した明治14(1882)年には下宿を引き払って千住に住み、医師として父とともに医療活動に従事しました。この頃の様子は小説『カズイスチカ』(臨床記録の意味)に描写されています。

「鴎外」という号は、現隅田川の白鬚橋付近にあった「鴎の渡しの外」という意味で、林太郎が住んでいた千住を意味しています。」

これは分かり易いですね。

鴎外碑の道をそのまま西に歩いて、此処を右に曲がります。

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

山門が見えて来ました。

つくばエクスプレス【駅ぶら】018 北千住駅 その1 閻魔院 供養塔 森鴎外旧居橘井堂跡
※2025年6月撮影

続きは次回です。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などはつくばエクスプレス(首都圏新都市鉄道株式会社)の許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

首都圏新都市鉄道株式会社 会社要覧2024

るるぶ情報板関東31 つくばエクスプレス JTBパブリシング 2025年5月1日

つくばエクスプレス沿線アルバム 生田誠 山田亮 アルファベータブックス 2023年8月5日

つくばスタイル No.12 枻出版 2011年4月10日

つくばエクスプレス 最強のまちづくり 塚本一也 創英社 2014年10月23日 他

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