トラックやバスのメーカーというイメージが強い日野自動車ですが、戦後の一時期、乗用車も造っていました。商用車メーカーである日野自動車が手掛けた乗用車とはどんなものなのでしょう。
いまでこそ、フランスのルノーは日産自動車と提携していますが、いまから70年ほど前は異なりました。1950年代から60年代初頭にかけて日本国内で好評を博したルノー「4CV」、これを生産していたのが日野自動車でした。
2020年現在、日野自動車はトヨタ自動車の傘下にあり、乗用車は造らずトラックやバスなどの商用車に特化しています。トラックメーカーの日野自動車がフランス製乗用車を生産したというのは、どういうことなのか。そこには戦後、モノづくりが飛躍する端緒がありました。
日野自動車が1950年代から1960年代にかけて生産していたルノー4CV(2020年8月、柘植優介撮影)。
日本が世界屈指の自動車大国になって半世紀上経ちますが、戦後間もない1950(昭和25)年の自動車生産台数は、年間わずか3.2万台程度でしかありませんでした。
そもそも戦争終結によって、アメリカをはじめとした連合国軍に占領された日本は、マッカーサー率いるGHQ(連合国軍最高司令部)から乗用車の生産が禁止され、戦後復興に必要とされた商用車、すなわちトラックなどのみ細々と生産しているような状況でした。
しかし1949(昭和24)年10月、乗用車の生産が許可されると、国内の自動車メーカーは一斉に乗用車の生産体制を整え始めます。とはいえ当時、日本車と外国車の性能差は著しく、3年後の1952(昭和27)年に外車の輸入が事実上自由化されると、街には外車があふれるようになりました。
そこで複数の日本メーカーが採ったのが、外国メーカーとの技術提携でした。外国車を国内で生産することで、海外の進んだ開発技術や生産ノウハウを学ぼうとしたのです。
日野自動車は、太平洋戦争中の1942(昭和17)年5月に、ヂーゼル自動車工業(のちのいすゞ自動車)の日野製造所が「日野重工業」として分離独立する形で誕生しました。太平洋戦争中は戦車や装甲車などを生産していましたが、戦争が終結すると各種トラックやバスなどを造るようになります。
そのなかで、会社が発展するためには乗用車を生産すべきだと考えられるようになり、外国の自動車メーカーと提携し、技術やノウハウを蓄積したのちオリジナルの乗用車を開発する道筋を立てました。その結果、提携先に選んだのがフランスのルノー、とりわけ4CVというモデルでした。

ルノー4CVは前後ドアともにヒンジが車体中央部分にあるため、独特の開き方をする(2020年8月、柘植優介撮影)。
日野自動車がルノー4CVを選んだ理由、それは「ルノーは外国車メーカーとして優秀」「コストが低く、維持整備も容易」「小型車ながら性能が良い」、そして「車格がコンパクトなので日本の交通事情に合致する」などの点からでした。
また一説には、日野自動車が要求した部品製造を含めたライセンス生産を認めたことも決定理由のひとつといいます。国産部品を用いたライセンス生産であればメーカーとしてメリットが多く、技術やノウハウを吸収するためには好条件といえるでしょう。
1953(昭和28)年2月、ルノーとのあいだで正式に4CVの技術提携を結ぶと、翌3月には早くも工場でノックダウン生産を開始、4月には販売もスタートしています。そして徐々に部品の国産化率を高めていき、1954(昭和29)年には比率25%だったものが、1956(昭和31)年には75%になり、ついに1958(昭和33)年に国産化率100%を達成しました。
日野製のルノー4CVは、経済性や日本の道路事情にマッチした取り回しの良さなどから好評を博し、「日野ルノー」の呼び名でタクシーなどにおいて多用されました。元々ルノー4CV自体、同じような理由から母国フランスなどで人気のクルマとなっており、10年以上生産されてフランス初のミリオンセラー車(生産数110万台以上)になっています。
フランス本国でのルノー4CVの生産は1961(昭和36)年に終了しますが、日野自動車では2年後の1963(昭和38)年まで生産が続きました。

日野自動車が初めて独自開発した乗用車「コンテッサ900」(2020年8月、柘植優介撮影)。
ルノー4CVの生産によって技術力を高めた日野自動車は、初のオリジナル乗用車「コンテッサ900」を開発、1961(昭和36)年に発表します。そして同車をもとに1964(昭和39)年、さらに大きな「コンテッサ1300」などを販売しました。
しかし、1966(昭和41)年に日野自動車はトヨタと業務提携を結んだことで、乗用車の開発から撤退を決定。これにより、「ハイラックス」など一部の受託生産車を除いて、トラックやバスなど商用車の開発生産がメインのメーカーとなります。
日野自動車の名を冠した乗用車は、ルノー4CVと「コンテッサ」シリーズのみで終わりました。しかし、ルノーと提携したことで同社の自動車開発技術や生産ノウハウは確実に向上しており、かつ日本国内でのフランス車の知名度アップに貢献したようです。
なお、ルノー4CVおよび「コンテッサ」シリーズは、日本製乗用車としては珍しくリアエンジン・リア駆動(RR)でした。冷却効率や積載スペースの問題などから乗用車では採用の少ない構造ですが、バスの分野では逆にポピュラーです。