アメリカ軍はじめ各国軍で採用されているF/A-18「ホーネット」戦闘攻撃機は、実は一度、制式採用のコンペに敗れていました。しかしトコロ変われば敗因要素がむしろ評価されるという、文字通りの大逆転劇が繰り広げられることになります。

アメリカ海軍の顔「ブルーエンジェルス」の使用機といえば…?

 2020年11月4日、アメリカのフロリダ州ペンサコラで、アメリカ海軍のアクロバット飛行チーム「ブルーエンジェルス」が、F/A-18C/D「ホーネット」戦闘機を使用する最後のフライトを実施しました。

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2020年11月4日にフロリダ州ペンサコラで行なわれた、ブルーエンジェルスによるF/A-18C/Dのラストフライト(画像:アメリカ海軍)。

 ブルーエンジェルスは、2008(平成20)年1月からF/A-18C/Dを使用してきましたが、1986(昭和61)年11月から2008年1月まではF/A-18C/Dの原型であるF/A-18A/B「ホーネット」を使用しており、すなわちブルーエンジェルスは34年間に渡って、F/A-18「ホーネット」を使用してきたことになります。

 ブルーエンジェルスは第2次世界大戦終結直後の1946(昭和21)年4月に、一般国民の海軍航空兵力への関心を維持することを目的に設立された、いわばアメリカ海軍の「顔」とでもいうべき飛行隊です。その重責を歴代の使用機のなかで最も長く務めたF/A-18「ホーネット」もまた、アメリカ海軍の「顔」として一時代を築いた戦闘機ですが、実のところF/A-18は、アメリカ海軍のために一から開発された戦闘機ではありませんでした。

F/A-18「ホーネット」の大逆転劇 「空」がダメなら「海」で飛ばせばいいじゃない!

最後のフライトを終えてテキサス州のコーパス・クリスティ海軍航空基地に到着したブルーエンジェルスのF/A-18C。今後は同基地で展示される予定(画像:アメリカ海軍)。

 アメリカ空軍は1960年代半ばより、ベトナム戦争で旧ソ連製戦闘機に苦戦を強いられた苦い教訓から、高い空対空戦闘能力を持つ戦闘機の開発に取り組み、1970年代前半にF-15「イーグル」の完成へとこぎつけました。

 F-15は実用化から40年以上が経過した2020年現在でも第一線で働けるほど、高い空対空戦闘能力を持つ戦闘機ですが、その能力を実現するため当時の最先端の技術や、高価な素材を盛り込んだ結果、性能だけでなく価格も高い戦闘機となってしまいました。このためアメリカ空軍は、F-15を補佐する安価な「軽量戦闘機」の開発に取り組むことになります。

空軍向けに開発が始まった機体がなぜ海軍へ?

 同じころ、F-5E/F「タイガーII」戦闘機などを開発したノースロップ(現ノースロップ・グラマン)は、F-5をさらに発展させるための研究を行ない、その結果を基にP-530「コブラ」という軽戦闘機の開発に着手していました。

 ノースロップはアメリカ空海軍からの要求ではなく、輸出を想定して自社資金でP-530の開発を進めていましたが、アメリカ空軍の軽量戦闘機の要求に適合していたことから、P-530の発展型P-600を、同空軍に提案することとしました。

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アメリカ空軍の軽量戦闘機計画に提案されたYF-17(画像:アメリカ海軍)。

 軽量戦闘機にはノースロップのほか5社が提案を行ないましたが、ノースロップと、後にロッキード・マーチンに航空機部門が買収されるジェネラル・ダイナミクスの2社が試作機の開発と製造に駒を進めることとなり、ノースロップはYF-17という名称の試作機を完成させます。

 YF-17は、中低速飛行時の高い運動性能と短距離離着陸性能が評価されたものの、エンジンを2基搭載する双発機でジェネラル・ダイナミクスが提案した単発機のYF-16に比べて運用コストが高く、また高速性能や加速性能もやや劣ることなどから、アメリカ空軍はYF-16に軍配を上げました。

 しかし「捨てる神あれば拾う神あり」とはよく言ったもので、空軍のコンペに敗れたYF-17に救いの「神」が現れます。

 アメリカ空軍が軽量戦闘機計画を進めていた1970年代半ばに、アメリカ海軍は大型のF-14「トムキャット」戦闘機が運用できない中型空母で運用されていた、F-4「ファントムII」戦闘機の後継機を模索していました。前に述べたように、YF-17は離着陸性能が高く、また双発機のため洋上でエンジントラブルが発生した際の生存性も高いことから、アメリカ海軍はYF-17をF-4の後継機として採用します。

「F/A」は多用途機のしるし 「ホーネット」世界へ

 アメリカ海軍という「拾う神」の登場により、敗者の座から復活したYF-17ですが、ノースロップは第2次世界大戦後、空母艦載機を開発した実績がなかったことから、同機の艦上戦闘機化は、F-4などを手がけたマクドネル・ダグラス(後にボーイングに吸収合併)へ移管されることになりました。

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原子力空母「ジョージ.H.W.ブッシュ」に着艦するF/A-18C(画像:アメリカ海軍)。

 YF-17の艦上戦闘機化の過程で、アメリカ海軍はA-7「コルセアII」攻撃機の役割も果たせる戦闘機であることを求めました。このためYF-17は戦闘機の機種記号である「F」(Fighter)と、攻撃機の機種記号である「A」(Attacker)を組み合わせた「F」/「A」-18として制式化されることに。

 F/A-18は初陣となった1991(平成3)年の湾岸戦争で、爆撃任務の途中に遭遇したイラク空軍のMiG-21を撃墜後、そのまま本来の目的である爆撃を行なって帰還し、戦闘機としても攻撃機としても高い能力を持つことを実証しました。高性能のわりに価格が安いF/A-18は海外からの評価も高く、カナダやオーストラリアなど7か国にも採用され、製造数も1480機に達しています。

F/A-18「ホーネット」の大逆転劇 「空」がダメなら「海」で飛ばせばいいじゃない!

オーストラリア空軍のF/A-18A(画像:アメリカ空軍)。

 F/A-18は現在、アメリカ海軍と海兵隊、オーストラリア空軍などでは退役が進んでおり、導入したカナダやスイスも後継機の選定を進めているところです。空軍の軽量戦闘機の選定ではライバルに敗れたものの、開発したメーカーからほかのメーカーに「養子入り」して成功をおさめたその数奇な運命と、現在の戦闘機では主流となっている、最初から戦闘機と攻撃機の任務を1機でこなせる「マルチロール・ファイター」のはしりとなったF/A-18の名は、航空史に刻まれていくものと筆者(竹内 修:軍事ジャーナリスト)は思います。

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