高度経済成長期、垂直離着陸できるヘリコプターは次世代の交通機関として注目されます。そのころ、池袋駅に隣接して建つ西武百貨店に管制塔も備えた本格的なヘリポートが開設され、「ヘリでお歳暮輸送」も行われました。
JRと西武池袋線、東武東上線、東京メトロが乗り入れる都心の一大ターミナル、池袋駅。1日平均で約56万人の乗降客数を誇る日本屈指のターミナル駅です(2019年JR東日本調べ)。
そのようなターミナル駅にあり、多くの来客で賑わう西武百貨店(西武池袋本店)の屋上には、人気の讃岐うどん店のほかフードコートや、緑豊かな庭園が設けられ、いわば都会のオアシスとなっていますが、その昔、ここからヘリコプターが飛び立っていました。
現在の西武池袋本店(画像:写真AC)。
いまから50年以上前、わずか4年間だけですが、ここには当時「世界最大の屋上ヘリポート」と宣伝された「西部スカイステーション」がありました。なぜ都会のデパート屋上にヘリポートが作られたのでしょう。
オープンは1959(昭和34)年9月12日。西武グループ創業者の故堤 康次郎氏も出席して行われた式典では、約400人が見守る中、着陸したベル47から降り立った神主がお祓いをし、益谷秀次副総理(当時)がテープカットを行い、海上自衛隊や在日アメリカ軍、大洋漁業(現・マルハニチロ)や新聞社といった、さまざまなヘリコプターが編隊で祝賀飛行する大がかりなものでした。
百貨店屋上に管制塔や航空灯火 給油場所はなんと所沢の…そもそも、なぜ西武百貨店がこの時期にヘリポートを設置するまでに至ったのかというと、当時はヘリコプター事業が将来有望と目されていたことから、斬新な発想で急成長を続ける同百貨店がこれに着目したのです。
西武百貨店は、若き店長・堤 清二(当時)が、商品だけでなく“生活技術”の提供を目指す「百貨店から百貨業へ」というスローガンを掲げていたこともあり、都心を起点にする定期航空路の開設を構想するなかで、朝日ヘリコプター(現・朝日航洋)への資本参加などを行っていました。
そのような経緯から、百貨店にもヘリコプターの離着陸ができる設備を設ける計画を立て、建物に約1億5000万円かけて構造を強化するとともに、管制塔や航空灯台を備えた面積3600平方メートルの立派な屋上ヘリポートを設置したのです。

西部スカイステーションで運用されていたベル47Gヘリコプター(作画:リタイ屋の梅)。
ただし給油施設は法令の規制から設置できなかったため、代替地として埼玉県所沢市にあった西武鉄道の車両工場(2000年廃止)に開設しました。
ちなみに「西武ヘリポート」でなく「西部ヘリポート」と命名した理由は、一企業の私物にとどまらない公共施設をこころざしたとも、羽田空港から当時計画中であった成田空港のルートに「東部ヘリポート」の建設構想があったからとも言われます。
お歳暮を運んだ「ベルちゃんのスピードサービス」「東京ど真ん中の屋上ヘリポート」は大きな話題となり、金魚鉢を思わせる愛らしい外見のベル47とともに子供向け雑誌からファッション広告、新聞や映画などに連日登場する人気ぶり。1961(昭和36)年から1962(昭和37)年のお中元やお歳暮の時期には、「ベルちゃんのスピードサービス~西武航空便」と銘打った新聞広告を出し、衣料品や扇風機などの家電、飲料や菓子などの贈答用高級品をヘリで都内各所に即日配送するという驚きのサービスまで展開しました。
1963(昭和38)年8月には、百貨店の定休日に館内で実施された防虫作業での不手際から出火した際、屋上に居合わせた川崎KH-4ヘリコプターが、屋上に逃れた人々を近隣の豊島消防署前にあった空き地へピストン輸送し、15名を救助する一幕もありました。

ベル47ヘリコプターを基に川崎重工が独自改良したKH-4型ヘリコプター(作画:リタイ屋の梅)。
そんな話題になったヘリポートも1963(昭和38)年のうちに廃止されました。残念ながら理由は不明です。一説によると、世界初の垂直離着陸可能な旅客機としてイギリスで開発されていたフェアリー「ロートダイン」の就役まで考えていたといいます。
しかし、半世紀以上たったいまではその痕跡はほとんど残っておらず、そこには代わりに冒頭に記したようなフードコートが開設されています。筆者(リタイ屋の梅:メカミリイラストレーター)としては、カツオ節がたっぷり乗った讃岐うどんをすすりながら、当時足元に描かれたヘリポートを示す「H」のマークを思い描くしかありません。