世に「UFO」という言葉を広めた「ロズウェル事件」からさかのぼること5年あまり、記録に残る最初のUFO事件といえる大騒ぎがLAで起きていました。引き金を引いたのは旧日本海軍の潜水艦 伊十七とか。
「ロサンゼルスに空襲警報!」「敵機数25!」――まだ真珠湾攻撃の衝撃が冷めやらぬ1942(昭和17)年2月25日午前1時44分、ロサンゼルスのアメリカ陸軍 防空レーダーが西方約190kmの地点に、アメリカ本土へと接近してくる未確認飛行物体を探知します。それらは日本軍機と見なされ、「敵機来襲!」の警報が発せられて、沿岸の対空砲陣地や戦闘機基地が迎撃態勢へ。サンタモニカでは実際に赤く光る飛行物体が視認され、陸軍第37沿岸砲兵旅団が対空射撃を開始し、陸軍航空隊からは迎撃機が発進しました。
アメリカ西海岸の人口約150万人を抱える大都市ロサンゼルス上空にはサーチライトが交錯し、高射砲弾が夜空で炸裂して大混乱となります。しかもこの様子はラジオで全国中継されました。この騒ぎは後に「ロサンゼルスの戦い」ともいわれることになります。
伊十七の同型1番艦、伊十五。伊十七は長大な航続距離が特徴の伊十五型(巡潜乙型)潜水艦の2番艦で、アメリカ本土を艦砲射撃した最初の潜水艦となった。
これに先立つこと約2か月前、日本海軍は真珠湾攻撃に続くサプライズアタックとして、1941(昭和16)年12月25日のクリスマスに、アメリカ西海岸沿岸に展開していた伊十五型(巡潜乙型)潜水艦9隻(10隻説もあり)によって、ロサンゼルスやサンディエゴなど計8つの沿岸都市を砲撃するという大胆な作戦を立てていました。「Uボート」で名を馳せたドイツ潜水艦もアメリカ東海岸に展開し工作員を潜入させるなどしていますが、直接的な砲撃までは実施していませんでしたので、日本潜水艦が西海岸へ一斉に出現して砲撃すれば、アメリカ国民の心胆を寒からしめる「クリスマスプレゼント」になることでしょう。
しかし、クリスマスの本土攻撃はアメリカ世論を過度に刺激して逆効果になるとの理由から、実行は12月27日に延期されます(理由はほかに諸説あり)。
この作戦に参加する予定だった1隻である「伊十七」こと「伊号第十七潜水艦」が、実は上述したロサンゼルスの戦いの引き金を引いていました。
偶然? 大パニックを誘引したかもしれない伊十七の「米本土砲撃」伊十七は前々日の2月23日19時頃(現地時間)から、ロサンゼルスの北西約100kmにあるエルウッド製油所を砲撃、14センチ砲20発を撃ち込みます。しかし、油井設備にわずかな被害を与えた程度で、物理的な効果はほとんどありません。20時30分ごろに洋上の発砲閃光が住民に発見され、通報を受けたアメリカ軍は警報を発し、航空機と駆逐艦を出動させますが、伊十七の姿を捉えることはできませんでした。
その緊張感冷めやらぬ翌々日未明にレーダーが未確認飛行物体を捉えたのですから、騒ぎになるのは無理もありません。実際に飛行物体が多くの軍民で目撃されており、後に公開された陸軍の報告書には「非常に遅い速度から時速200マイル(約322km/h)に至るさまざまな速度で、9000フィートから1万8000フィート(約2743mから約5486m)に及ぶ高度で飛行した」と具体的に記録されています。
対空砲陣地からは1400発以上の高射砲弾が発射され、その破片で建物や自動車に被害も出ています。高射砲弾は空中で破裂してその破片で敵機に被害を与えようという弾ですので、砲弾の破片は当然、地面に降り注ぎます。空襲で防空壕に避難するのは敵機からの攻撃以外に、味方の高射砲弾の破片を避けるという意味もあります。混乱する市内では交通事故で3名、心臓発作で2名が亡くなっています。
2月26日のロサンゼルス・タイム紙は「ロサンゼルス空襲!」の大見出しで報じたのを始め、高射砲弾の破片を撃墜した日本軍機の破片と勘違いしたり、ほかの新聞でも「日本軍機4機撃墜」と報じたり、警察まで「日本機は185号線とバーモントストリートの近くに墜落した」と発表する始末となりました。
日本側に記録ナシ…アメリカ軍は何と戦っていたのか?しかし、日本海軍の記録では該当時期にロサンゼルス付近を飛行した航空機はありませんでした。伊十七は零式小型水上偵察機を1機搭載していますが、ロサンゼルス上空に飛ばすような無茶はしません。レーダーに映り、陸軍の公式報告書にも記載された未確認飛行物体が何だったのかは、2020年現在も分からないままです。

海軍従軍画家の御厨(みくりや)純一が描いた「わが潜艦加州沿岸を砲撃」。日本国内でも快挙として宣伝された。
伊十七の砲撃の物理的戦果はほとんどありませんでしたが、ロサンゼルスの戦いを生起させ間接的な戦果を上げたといえなくもありません。以降アメリカ沿岸部は敵襲に怯えて防備は厳重になり、都市部では映画館やナイトクラブの夜間営業停止、防毒マスクの配布など市民生活にも大きな影響を与えます。「見えない敵」の厄介さは、現代の我々も身につまされているところではないでしょうか。
「未確認飛行物体(UFO)」という言葉が登場するのは、1947(昭和22)年7月2日の「ロズウェル事件」からですが、このロサンゼルスの戦いが記録に残るUFO事件の最初ではないかともいわれています。
同日の2月25日午前3時ごろ、サンタモニカの陸軍第205防空部隊が気象観測用気球を上げていました。未確認飛行物体の正体はこの気球だったという説明もありますが、時系列上で辻褄が合わない所もあります。