戦後日本で初めて開発された国産旅客機YS-11。東海道新幹線0系とともに、昭和における高度成長期のシンボル的存在として扱われることも多い機種の、最後のオリジナルエンジン機を入間基地で取材してきました。
太平洋戦争後に日本で開発された初の国産旅客機であり、かつ2020年までに量産された唯一の国産旅客機である「YS-11」。最盛期にはJAL(日本航空)やANA(全日空)をはじめとした国内航空会社だけでなく、海上自衛隊や航空自衛隊、海上保安庁などの官公庁まで幅広く採用され、日本中の空港で見られました。
しかし老朽化によって次々と姿を消し、2015(平成27)年以降、YS-11を日本で運用するのは航空自衛隊のみ。その空自においても、オリジナルのロールスロイス製ターボプロップエンジン「ダート」を搭載しているのは2020年10月現在、1機しかありません。この貴重な唯一のオリジナルエンジン機を取材してきました。
早朝、フライトのためにエンジンを始動するYS-11FC(2020年9月、柘植優介撮影)。
オリジナルエンジンを積んだ最後の機体は「YS-11FC」。「FC」とはフライト・チェッカーの略で、日本語では飛行点検機といいます。この機体は自衛隊の飛行場に設置された航空保安無線施設を点検するもので、航空自衛隊航空支援集団隷下の飛行点検隊で運用されています。
飛行点検隊は埼玉県にある航空自衛隊入間基地に所在し、ここを拠点に全国にある陸海空自衛隊の飛行場を点検で巡っています。航空自衛隊だけでなく陸上自衛隊や海上自衛隊の飛行場(航空基地)の点検も一手に引き受けているため、結構忙しいとのこと。そのためYS-11FCも、古いとはいえ老骨に鞭打ち、全国を飛び回っているそうです。
忙しい任務の合間を縫って機体のなかを見学させてもらうと、至るところに昭和の面影を見つけることができました。
エンジン止めたYS-11に乗るための必須装備とは機内に入る前に、隊員から手渡されたのが、ウチワです。なぜウチワが必要なのかというと、機内はエアコンが効いていないから。エンジンを回さない限り空調が効かないそうです。
最初に見たのは操縦室。針が回転するタイプのアナログ計器が所狭しと並び、現代のマルチディスプレイを多用した、いわゆるデジタルコクピットとは明らかに違う雰囲気です。
隊員によると、シートはリクライニングなどせず、操縦桿も重いとのこと。飛行状況によっては、フライトが終わると腕がパンパンになるほど疲れると語っていたのが印象的でした。
ヘッドセットもマイクのないイヤホンのみのタイプで、管制塔などと交信する際は別体のハンドマイクで話します。その際もマイクが口元から遠ざかると声を拾ってくれなくなるとのことでした。

入間基地の滑走路を離陸するYS-11FC(2020年9月、柘植優介撮影)。
キャビン部分は、飛行点検機のため様々な計測機器が並んでいましたが、これまたレトロ。
また計測機器は、複数設置された鉄製フレームのなかにいくつも並ぶ大きなもので、昭和時代のコンピュータを思わせるほど。YS-11FCとあわせて取材した最新のU-680A飛行点検機の計測システムが、筐体ひとつに収まる程度とコンパクトだったのに比べると、ここでも時代の差を感じました。
シートひじ掛けやトイレ表記に見る昭和レトロ感計測機器のあいだを抜けて機体後部に行くと、そこは搭乗員の休憩スペース。しかしここにも昭和の面影が。設置されている2人掛けのシートのひじ掛けには灰皿があり、ドリンクホルダーも紙コップしか入らないような小さい簡易式のものでした。
最後部にあるトイレを覗くと、そこには「飲料水」や「スチュワデス呼び出し(原文ママ)」という表記が。これらも現代の旅客機などでは見られない表記です。

フライト前に機体の前でブリーフィングを行う整備員と搭乗員(2020年9月、柘植優介撮影)。
取材したYS-11FCは、1965(昭和40)年3月に航空自衛隊に引き渡された機体で、すでに55年運用されています。当初、輸送機仕様で導入され、1992(平成4)年に飛行点検機に改造された経緯を持つものの、トイレやシート含めて機内は清潔に保たれており、老朽機ながら隊員が大切に使っているのが伝わってきました。
YS-11FCの後継となる新型のU-680A飛行点検機は、2020年10月現在、2機が飛行点検隊に配備されています。