約7000の島からなる日本。水道完備は人口の多い島に限られ、いまも井戸水や雨水に頼っている離島は少なくありません。

過去には伊豆諸島で深刻な水不足が起きたことも。そこに救いの手を差し伸べたのが、一度沈没したオールド自衛艦でした。

冬でも起きる水不足 雨降らないと離島は大変

 2020年12月中旬、千葉県南房総市にある小向ダムの貯水量が減少し、一部地域で断水の恐れが出たと報道されました。その後の降雨で2021年1月下旬に水不足は解消しましたが、地域住民は大変な不便をしいられ、地元自治体も給水車の出動やダムへの緊急注水など対応に追われました。

 水不足の原因は、2020年秋に改修工事のため貯水率を下げたあと予想より雨が少ない状況が続いたためでした。「水不足」というと、一般的には夏のイメージが強いものの、実は雨量が少ない冬にも起きやすいそうです。

海底から蘇った老艦「わかば」の離島救出大作戦 水不足のSOS...の画像はこちら >>

レーダーや各種武装を装備する前の警備艦「わかば」(画像:海上自衛隊)。

 60年以上前の1957(昭和32)年1月にも、晴天続きの伊豆諸島で深刻な水不足がおこりました。島からのSOSを受けて動いたのは海上自衛隊の警備艦「わかば」。一度は海底に沈没していた旧日本海軍駆逐艦を引き上げ、よみがえらせた自衛艦です。

「わかば」の前身は、太平洋戦争中に建造された橘型駆逐艦の10番艦「梨」。生産性を考慮した直線的なラインをもつ、実用性の高い駆逐艦だったといわれます。

戦争末期の1944(昭和19)年に建造されましたが、1945(昭和20)年7月の戦闘で損傷を被り、山口県沖に沈みました。

 戦後、民間業者が鉄屑に転用するために駆逐艦「梨」を引き揚げたところ、状態が非常に良かったため防衛庁が買い戻します。大修理を経て1956(昭和31)年5月に海上自衛隊の警備艦「わかば」として復活したのち、武装を一切持たない練習艦として横須賀に配備されました。

小島からのSOS「ノミミズオクレ」

 警備艦「わかば」の就役から8か月後の1957(昭和32)年1月、伊豆諸島の各地から東京都庁に「ノミミズオクレ」のSOSが続々と入ります。当時の離島は、水道が整備されているところは稀で、地下水に恵まれない島は雨水に頼っていました。そのような島々が、異常ともいえる晴天続きで水不足に陥ったのです。とくに「利島(としま)」の状況が深刻でした。

 利島は東京から南に約140km、大島の南に位置する伊豆諸島で最も小さな島です。冬には椿が咲き誇る自然豊かな利島には1957(昭和32)年当時、83世帯363人の住民が暮らしていました。

 この小さな島の貯水槽が雨不足で枯れ、1月20日ころには残り10日分もない危機的状況になったのです。当時の利島には定期航路がなかったこともあり、海上自衛隊による真水の緊急輸送が決定しました。

海底から蘇った老艦「わかば」の離島救出大作戦 水不足のSOSに「樽」大量輸送

旧海軍の駆逐艦だったときと海上自衛隊の警備艦に転身したとき、2種類の姿を比較したイラスト(リタイ屋の梅作画)。

 輸送艇などでなく「わかば」が選ばれた理由は、冬の荒れた海にも耐えられ、なおかつ大型の非武装艦であるため輸送力もそこそこあったからではないか、と筆者(リタイ屋の梅:メカミリイラストレーター)は推測します。

 1957(昭和32)年1月25日夕方に横須賀を出港した「わかば」は、まず千葉県の館山港に向かいます。甲板上には住民一週間分の真水が入った日本酒用の“四斗樽”(72リットル)170個が積まれました。

 なぜ「樽」で運んだのかというと、当時の利島は港が未整備で大型艦が接岸できないため、沖合で島の小型船に樽を渡すしか方法がなかったからです。

 翌1月26日、波の静かな早朝を狙って未明に館山を出港した「わかば」は、午前6時過ぎに利島の沖合に到着。海岸に集まった住民約100人は「わかば」を見つけるや歓声をあげて大喜びしました。

 穏やかな海に錨をおろした「わかば」に、ハシケ(無動力の運荷船)を牽いた漁船が島から近づきます。いよいよ水の引き渡しの始まりです。

オールド艦「わかば」海上で170個の樽を手渡し

 当時のニュース映像を見ると、内火艇(備え付けボート)の吊り下げ金具「ボートダビット」にロープで樽をくくりつけて海の上にせり出し、ハシケ上の住民に渡したようです。揺れる海上で重い樽を手作業で載せ替えるのは大変だったことでしょう。

 ハシケから住民の手で陸に引き揚げられた樽は各家庭に1個ずつ配られ、残りは貯水槽に給水され、利島はようやく危機を脱しました。当時の新聞は、海岸で給水を受ける女性たちの写真を載せてホッとした島の様子を報じています。

海底から蘇った老艦「わかば」の離島救出大作戦 水不足のSOSに「樽」大量輸送

艦側面に装備したボートダビットを使って真水の入った樽をはしけに積み替える様子(リタイ屋の梅作画)。

 利島ではその後、貯水池や海水淡水化装置が整備され、このような非常事態は起きなくなりました。しかし少雨や装置の故障で、その後も水不足になったことがあったようで、水の大切さは今でも変わっていないと筆者(リタイ屋の梅:メカミリイラストレーター)は考えます。

 利島を救った警備艦「わかば」はその後、護衛艦に改称。新型レーダーや武器類の搭載試験に従事する一方、1962(昭和37)年の三宅島噴火時に島民避難に出動するなど奮闘し、1971(昭和46)年に波乱の生涯に幕を閉じました。

 東日本大震災や平成30年豪雨災害などでも、海上自衛隊の水船(艦船に真水を補給する支援船)が被災地に対して給水支援を実施しています。自衛艦が離島住民のために水を運び喜ばれる。これこそ自衛隊らしいエピソードといえるのではないでしょうか。

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