日本ではもちろんのこと、世界でも長年主力を張っていた「ボーイング777」の全盛期が過ぎ去ろうとしています。「トリプルセブン」にはどのような意義があり、なぜ消えていくのでしょうか。

当時の世界の航空事情から振り返ります。

1995年にANAでデビュー

 1995(平成7)年12月23日、ANA(全日空)の羽田-伊丹線の旅客便で国内デビューしたボーイング777。このモデルは、標準型で約64m、長胴型で約74mの長大なボディをもち、「トリプルセブン」の愛称でも広く親しまれた大型双発機です。

 この飛行機の就航当時、初便のチケットをゲットできたことを自慢する人がいたことや、一目見ようと羽田空港にも伊丹空港にも数多くの航空ファンが集まったなどを筆者(種山雅夫:元航空科学博物館展示部長 学芸員)は思い出します。

さらば大量輸送時代 退役進むボーイングの巨人機「777」を振...の画像はこちら >>

ANAのボーイング777-200ER(乗りものニュース編集部撮影)。

「トリプルセブン」は、その巨体にも関わらず、エンジン音はそれまでの甲高い音ではなく、くぐもったような独特の振動音を発します。その音を響かせて離陸していく姿に、当時は新鋭機の威力を体感できました。その後、日本、そして世界で一時代を築いたこのモデルが、相次いで退役しています。「トリプル」全盛期が幕を下ろそうとしているのです。この旅客機には、どのような存在意義があったのでしょうか。

777は開発当初、エンジン制御用のコンピューターシステムをはじめとする多くの要素を、同社の主力機のひとつ「767」と共通性をもたせたモデルでした。また、767を運航している航空会社から受注しやすいように、当初は「767X」という名称を用いて開発が進められました。

 飛行速度としては既存の高亜音速で飛行し、航続性能としては太平洋を横断でき、300人程度の乗客を乗せるキャパシティを持ちながらも、既存の空港施設を可能な限りそのまま利用できる――このようなモデルを開発することに主眼が置かれていました。

 当時、ボーイングのジェット旅客機のフラッグ・シップは「ジャンボジェット」こと747シリーズでした。ただ、747が出現した1970年代と比べて、世界の航空旅客需要の量と質は、大きな変化を遂げていたのです。

777デビュー前、飛行機の乗り方にも変化?

 1970年代に想定されていた航空旅客の動向は、出発地近くの大きな空港まで移動し、その大きな空港から目的地近くの大きな空港まで大型機で移動、その後、目的地まで乗り換えて移動するというものでした。これはハブ&スポークという考え方であり、大きな空港を設置できる大都市を、そのエリアの中心的な役割を果たす「ハブ空港」として整備し、その周辺に自転車のスポークを延ばすように中小の空港を整備し、旅客需要に対応するという考え方です。

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JALのボーイング767-300ER型機(乗りものニュース編集部撮影)。

 この考え方においては、737に代表される近距離用で席数が少ない小型の旅客機と、長距離を飛行する、767などの中型、747などの大型旅客機が必要でした。

 その後、アメリカ国内では、1973(昭和48)年のオイルショックを経て、1978(昭和53)年にデギュレーション法と呼ばれる、航空路線設立の自由化に関する航空規制緩和法が可決されました。これにより、一部の航空会社の独占状態だった路線にも、航空会社が参入できるようになったわけです。

 その結果、航空旅客需要の拡大に対応して航空旅客運賃のレベルが下がり、アメリカ国内の航空自由化につながりました。また、それまでのハブ&スポークという、どちらかというと航空会社側にとって都合の良い路線展開から、ポイント・トゥー・ポイントという小さな空港にも直行便を数多く運用して、旅客にとって利用しやすい便を設定できるようになりました。

 やがて、ポイント・トゥー・ポイントに基づいた路線ネットワークは、国際線でも見られるようになりました。

当時、これを主に担当するボーイング機は767でしたが、航空自由化によって大きく増えた搭乗客数に対応するには、容量が小さすぎるという課題もありました。そこで、767X、のちの777の開発となったというわけです。

「ジャンボ」最大の課題も一掃! 777の強さとは

 一方で、大型機ボーイング747も、コンピューターシステムを更新し、空力改善などに対応した新型機「747-400」がデビューするなど、まだまだ全盛期は続いていました。もちろん効率は大きく向上しているのですが、このモデルは「エンジン4基」というのがネックだったのです。

さらば大量輸送時代 退役進むボーイングの巨人機「777」を振り返る 世界を近づけた双発機

JALのボーイング747-400型機(画像:JAL)。

 実は1980年代後半から、エンジン2基の「双発機」の時代が始まっていました。かつて双発機は洋上飛行に制限(60分以内に代替空港へ着陸できる範囲しか飛べない)がありましたが、エンジンの性能や信頼性が上がるにつれ、767で初めて、双発エンジン機の運航を緩和する規定が定められました。その後進となる777は設計時から「エンジン1発で、代替空港に3時間以内で着陸できる範囲まで飛べる」と担保されているような高いスペックを獲得しています。

 こうなるとボーイング777は、中長距離のポイント・トゥー・ポイントでの運航に対応しながらも、747並みの乗客を運べる機体としても運航できるようになる一挙両得のモデルとして開発されたわけです。このモデルをひと言で表すと、長距離を、亜音速で、数多くの旅客を乗せて運航できる旅客機です。多くの航空会社で、それまで747が飛んでいたような国際線の主力機として活躍します。JAL(日本航空)、ANA(全日空)も、その例に漏れませんでした。

 ただ、双発であるゆえ、搭載しているエンジンは大出力を発生するため限界まで高度化しています。結果として高い整備レベルが要求されるため、維持費がかさみます。また、旅客が少ないと、小型機を運航するのに比べて燃料消費量が多く、客室乗務員も数多く必要とするため、運航経費が余分にかかります。

ただ新星の波には勝てなかった777 新型コロナの影響も大きく

 開発当初は航空会社にとってベストな選択肢のひとつではあった「トリプルセブン」ことボーイング777ですが、時代は変わります。2010年代に入ると、機体規模がひとまわり小型でありながら、飛行速度や長距離性能がほぼ同等、かつエンジンの燃費がよく運航費用も少なくすむ、ボーイング787といったいわゆる「第7世代」の旅客機が登場。こちらのほうがコストパフォーマンスが高く、航空会社のニーズにマッチするようになります。

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ANAのボーイング787-9型機。新型コロナウイルス感染拡大下、現世代の国際線主力機になりつつある(乗りものニュース編集部撮影)。

 また、先述したポイント・トゥー・ポイントの直行便で運航できる路線も、年を追うごとに増えてきていますが、「トリプルセブン」のような300~400人クラスの大型機ほどの需要が見込めない路線もあり、世代交代へ動いた背景のひとつといえるでしょうか。

「トリプルセブン」は日本でも世界でも、徐々に運航本数が減っています。とくに日本では、経年に加え、新型コロナウイルス感染拡大による一便あたりの需要減にともなう大型機の削減や、P&W(プラット・アンド・ホイットニー)社製のエンジントラブルなどによる運航停止などで、機数は日増しに減るばかりです。くぐもったエンジン音をふかして、地面すれすれになるほど機首を上げて離陸する「トリプル」が少なくなってきたことに、筆者は一抹の寂しさを覚えます。

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